生人形師喜三郎が駆ける

CHIHARU

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6   実の娘と〝床入り〟ってか?

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 出入りの貸本屋を囲んで、笑いさんざめく女郎たちの横を通り過ぎ、二階一番奥の部屋に通された。

「おお。来ましたな」
 小日向屋は上機嫌だった。
「黛は、いま風呂です。今日が、月に一度の髪洗いの日とは、ついていましたな」
 振袖新造に肩を揉ませている。

 喜三郎は、黛の部屋を見渡した。

 商家の造作を、取り急ぎ、妓院の形に改めたため、屏風が鴨居よりも高かったり、造作がちぐはぐである。
 床の間に違い棚がなく、ろくに道具も置いていない味気なさだった。

 全てが、見世物の籠細工のように、はりぼてだ。

 もともと吉原自体が、虚飾の世界である。
 仮宅になって、化けの皮が半分、剥がれている。
 

 若い者が、小日向屋に向かって愛想笑いをして部屋を辞した。

「喜三郎さん。わたしは、黛のことが、可愛いてならん。できるものなら、身請けしてやりたいが、そうもいかん。だからね。せめて、贔屓にしてやりたいと思ってね」

 花魁の身請けには、法外な大金が掛かる。
 年季明けまでに、稼ぎ出す金子まで勘定に入るので、千両とも言われている。
 大店の主でも、おいそれと出せる金額ではなかった。

 小日向屋は番頭から女婿に入っているため、なおさら難しいだろう。

「札差が栄華を誇った、明和から天明の頃ならいざ知らず、このご時世、札差も楽じゃない。登楼の金の工面のためにも、興行を成功させないといけません」
 小日向屋の言葉は、自分自身に対する決心、叱咤激励めいて聞こえた。

 なんで、そんなにこの女にのめり込めるんでえ。
 喜三郎は心の内で苦笑した。

「実は黙っていましたがね」
 小日向屋が、喜三郎の近くに躙り寄ってきた。
 振り袖新造をからかっている庄助に聞こえぬよう、声を落とす。

「黛は、わたしの〝落とし種〟なんですよ。つい去年、知ったのですがね。娘と分かれば、毎日でも会いに来たい。〝可愛がってやりたい〟のですよ」

「え」
 喜三郎の頭に、かっと血が上った。

 なんてえ、畜生なんでえ。
 好き者にも、ほどがある。
 呆れてものが言えない。
「それでも親かい」と、この場で殴りつけたくなった。

 だが、私憤は我慢である。

「ほう。それはそれは……」
 喜三郎は、揶揄する口調になった。

「黛の母親は、わたしが奉公人だった頃、贔屓にしていた、大鳥という、小見世の部屋持ちでしてね」

「けど、どうして、小日向屋さんの種だとわかるんですかい」
 喜三郎の問いかけに、小日向屋は「なんてことを言うんだ」とでも言いたげに、眉根をきつく寄せた。

「わたしには、お美代という、ひとり娘がおったのですよ。七つになった年の春に、御役三病の痘瘡で、あっけなく亡くなりましたが」

 小日向屋は、細い目に、一瞬、悲哀の色を浮かべた。
 が、すぐさま、気を取り直したように、早口で捲し立てた。

「黛はね。お美代と、瓜二つなんですよ。これほどはっきりした証拠がありますか」
 一つ感情を込めて、大きく息継ぎをする。

「お美代は、わたしには、これっぽっちも似てやしませんでしたよ。お美代は、器量よしで評判だった、わたしの母親にそっくりだったんですよ」

 七つの幼女だの、年老いた母親だのと瓜二つと言われても、『はいさようで』とも承服できねえなあ。
 喜三郎の表情に、おそらく『半信半疑』と出ていたのだろう。

「信じてもらわなくたっていい。我が子は我が子なんですよ」
 小日向屋は、自分自身にも言い聞かせるつもりか、語気を強めた。


 そのとき「お待たせなんし」と、痩せぎすの番頭新造が、障子を開けた。
 番頭新造は、年季明け後も郭奉公を続ける新造なので、三十過ぎの心得顔の女である。


 真冬でも足袋を履かぬ、黛の白い素足が、静かに敷居を跨ぐ。
 廊下の向こうの光を背に受けて、一瞬、後光が差しているように見えた。

「う」
 息が詰まった。心臓が跳ねる。
 逆光になって、顔は見えない。

 俺は、何を錯覚をしてんだ。なんで、後光なんぞ……。
 我に返った喜三郎は、己の馬鹿馬鹿しさに苦笑いした。

「待っていたぞ。黛」
 小日向屋が、転びそうな勢いで黛に駆け寄り、手を取って、自分の隣の上席に案内した。

 ともかく、俺は、黛の似面絵を描きゃいいだけでえ。
 雑念を振り解き、黛の姿を正視した。

 黛は、横を向き、袂で顔を隠している。
 洗い髪のままで、立兵庫髷に結っていなかった。
 浴衣の上に、松の裾模様の寝巻き仕掛けを羽織っている。

 こんなだったか。
 喜三郎は声を失った。
 黛の小ささ、頼りなさに、心が揺れる。

「黛の素の姿を見てもらおうと思ってね。嫌がるのを無理に、湯上がりのまま呼んでもらったのですよ」
 小日向屋が、親らしい、慈愛溢れる眼差しで、黛を見やった。

「先だっては、ありがとうなんした」
 黛が、ようやく顔を上げた。

 喜三郎と目が合う。

「あ、あの……」
 二の句が継げなかった。

 目の前にいる黛は、地震の日に見た、仰々しい、人形のような女郎ではなかった。
 大輪の牡丹のような徒花ではなく、純白で清楚な梅花空木の小花だった。

 血の通った、生身の女だった。
 不自然な白塗りよりも、透き通った素の肌のほうが、よほど輝いている。

 この前は、ごてごてした〝仕掛け〟の豪華さ、花魁特有の髪や髪の飾りのあざとさばかりに、目を奪われていた。
 一幅の絵を鑑賞するおりに、〝表装〟の派手派手しさばかり目について、肝心の絵を見ていなかったようなものだった。

 早く、描き写したい。
 この匂やかな肌を、人形に仕立てたい。
 絵心と、人形師魂が激しく疼く。

「じゃ、庄助さん。場を外そうかね」
 小日向屋は、振袖新造に目配せした。

 振袖新造が、庄助の手を取って部屋を出る。
 ようやく目を覚ました禿も、慌てて、ばたばたと後に続いた。

「では、存分に下絵を描いてくださいよ。暁七ツ(午前四時)まで、わたしが黛を買いきっていますからね。描き終えるまで、人払いしていますし、ごゆるりと」

 小日向屋は、意味ありげな顔で、座敷を後にした。
 長い廊下を、重い足音が、ゆっくり遠ざかる。


 がらんとした広い座敷に、喜三郎と黛だけが取り残された。

 障子のうちが、急に静まり返る。
 笑いさざめく女郎たちの声も遠い。
 外を行き交う棒手振の声も、雪のために密やかである。

 黛は何も言わない。

「では、早速……」
 喜三郎は、黙って矢立を取り出し、漉き返し紙を広げた。

  一枚。また一枚。
 筆が不思議なほど走った。
 息をすることも忘れ、黛の顔を、漉き返し紙の上に写し取っていく。

 描くことが楽しい。
 嬉しい。
 
 子供の頃に断念した、絵師になる夢が蘇る。
 人形師ではなく、絵師になるべきだったのではないかとさえ思えてくる。

 やはり、化粧の前の姿でなければいけなかったんだ。
 小日向屋は、俺の生人形のことをよくわかっていないと思っていたが、俺の思い違いだった。

 黒髪の流れ、生え際の美妙さ。
 白いが、嫌味な白さではない肌。
 伏し目がちにした睫毛の長さ。

 ふとした仕草が、舞のように滑らかで美しい。
 見る角度によって、表情が、幼くも、妖艶にも変化する。

「わっちは……」
 黛が何か言いかけた。

 が、喜三郎は無視した。

 女郎の話に真実などない。
 ましてや、実の父と思われる男と平気で睦み合う女の打ち明け話など、聞きたくもなかった。

 うんと、扇情的な場面にしてやる。ただれた縁の親娘なら、むしろ喜ぶに違いない。
 ふっと、意地悪い気持ちが膨らむ。

 場面の構想が次々に浮かんだ。

「良い着想ができました。湯上がりに黛さんが、髪を結わせ、化粧をしながら、番頭さんと話す図です。番頭さんが『花魁。ほんとうに、髪の飾りを、に出して、ようござんすか』と、喫驚する場面です」

 両肌脱ぎになり、胸も顕わになった、蓮っ葉な黛を作るつもりである。

 そのためにゃ、黛の肌を、もっと見たいが……。

「脱いでくれ」とは言い出せなかった。

 何かが怖かった。
 何が恐ろしいのか、正体は心の奥底にある。


「身仕舞いの場なれば……」
 黛は、すっくと立ち上がった。

 仕掛けを脱ぎ、細い指で、衣桁に掛ける。
 巻帯を、するすると解く。
 浴衣が、はらりと畳の上に滑り落ちた。

 喜三郎の前に立った黛は、男の手垢が染みついた身体とは、とうてい思えなかった。  
 上半身を反り身に控えて立つ姿は、気高さが匂い立っている。

 空気が微かに揺らぎ、仄甘い香りがたゆたう。

 こ、こりゃあ……。観音さまだ。

 観音菩薩がこの世に現れたとすれば、このような姿に違いない。
 目を細めれば、黛の姿が、白い象に乗った、神々しい観音菩薩の姿に見える。

 いや、騙されちゃいけねえ。『外面如菩薩内心如夜叉』ってえ言葉もある。

 女郎は女郎である。
 惑わされては、ありのままを人形に写し取れないと、怖くなった。

 けどよ……。
 心が根元から揺れる。

 観音さまは、三十三の姿に化身して、衆生を救うというじゃねえか。
 観音さまは、あらゆる姿で現れなさる。

 観音菩薩が、卑しい遊女の姿で現れてもおかしくはない。

 湯上がりの黛の肢体が、僅かに上気している。
 どこからか隙間風が冷たく水を差す。

「わっちは、お上から、銀二枚をいただいたなんし」
 黛は、独り言のように話し始めた。

 自慢話か。
 喜三郎は黙って筆を動かす。

「けんど、褒められとうて、お救小屋に鍋を施したわけではないなんし」
「じゃあ、どういう了見で施しをなすったんで?」
 筆を止め、黛の目を見た。

「あの地震で、実のととさん、かかさんは、何処でどうしていなさるかと、気になったなんし。施しをして、ひとの噂になりでもすりゃあ、『親から便りが来ぬとも限らねえ』と、生みの親に巡り会いたい一心ゆえなんし」

 図らずも、黛本人の口から、真実が明らかになった。

 黛は、大鳥の娘だなんて、いい加減な嘘をでっち上げて、小日向屋を惑わし、金蔓にしてやがるんだな。なんて奴でえ。
 黛への反感が、大きく膨れ上がった。

 女郎に嘘はつきもので、嘘を楽しむ男が群がる。


  だが、目の前の黛は、汚れた手練手管など無縁のように見えた。

 まあ、真相なんて、どうでもいい。
 見たままの黛を、人形に写しゃあいい。

 雑念を振り払った。

 筆に、さらに力がこもる。
 子細に観察して、姿を描き取れば、黛の心の内まで、透けて見えてくるに違いない。

 絵に写し取ることは、心を写すことのはずだった。

 だが、心は杳として見えなかった。
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