白と黒の境界線

霜弍谷鴇

文字の大きさ
上 下
17 / 17
第一章 雪降る街のカゲ

第16話 想定された最悪

しおりを挟む
「おう」

 ブツっと通話の切れる音が耳元で鳴り、のどかは携帯を置く。焦燥感の隠せない様子だった野仲のなかの声が耳に残る中、床に座りあぐらをかいた。

 そして床に置き去りにしていた一枚の式札を手に取る。式札には『目』が黒く描かれており、和は目を閉じてその式札を額に当てた。瞬間、目を閉じている和の視界が開く。

「うっぷ、何回やっても最初は気持ちわるぅなるわほんま」

 ぶつぶつと呟きながら和は集中する。現在の和の視界は、モニターが二画面に分割されたように、別々の視界が同時に二つ見えている状態だ。

 熟練した陰陽師は多数の式神を『目』として飛ばすことが出来ると言うが、和にはまだ二つが限界だった。一方の視界は繁華街で行き交う人々のすぐ頭上を飛びながら異変を探り、他方の視界は住宅街の上空を旋回し、怪しい影がないかを監視していた。どちらの視界にも行き交う人々と、低級な妖が映されている。

「ちっ、やっぱ妖が増えてきとる。ブチ祓ったりたいとこやが、今は野仲の妹ちゃんが最優先や。……琴葉ことはちゃん、なんともないとええんやけど」

 以前見た琴葉の姿を思い出しながら視界に集中する。野仲の言ったように、何かの拍子に妖をってしまうことは容易にあり得ることだ。特に現在のような異常な状況では低級の妖も集まり、人と妖の境界線も曖昧になりやすい。条件が揃えば、妖の干渉を受けてしまう状態になりかねない。

 和は住宅街の上空に飛ばしていた式神を移動させた。ここ数日の調査の中で、低級の妖が集まりやすい場所の目星はつけており、そこを確認するためだ。和と野仲の通う高校の旧校舎を筆頭に、繁華街のさらに奥に位置する歓楽街、住宅街の端にあるまどろみ公園など、低級の妖が集まりやすい場所をリストアップしていた。

「まずはいっちゃん近いとこからやな」

 移動先は住宅街の端に位置する「まどろみ公園」だ。当然移動させている道中も人、妖ともに注視はしつつもまどろみ公園へ式神を急がせる。

「なんや? いつもと集まり方が……」

 まどろみ公園の間近に式神が到着したところで、和はここ数日との違いに気づいた。普段見る妖は公園の周りをうろつく、という表現がぴったりなほどに、目的なく引き寄せられたような様相だった。

 それに対して、公園内に入っていくモノや、ちらちらと公園を遠巻きに見るモノ、鼻をヒクつかせながら様子を伺うモノなど、明らかに公園に関心を示すモノ——妖が多すぎる。

「こらまずいかもしれん。はよ確認せな」

 和は式神の高度を下げながら公園に近づく。近づくにつれ、やはり妖たちの関心は公園内の何かに向けられていることが明白になってきた。そして公園の真上に着き、街灯で照らされてもなお薄暗い公園内が見えてくる。

「うっそでしょ」

 和の額に冷や汗が滲み、額に押し当てている式札ごしに指を濡らす。

 公園のベンチに女の子が寝そべっていた。
 
 その前に、真っ白な妖が鎮座していたのだ。その妖は痩せ細り、大人ほどの背丈ではあるが、見た目は全身の肌が真っ白だった。

 先日の雪入道ゆきにゅうどうとの一件から、和は関連性のある妖をひと通り調べ直していた。そしてその中にそっくりの妖がいた。

雪婆ゆきんばあ……」

 雪婆は雪入道と近しい出自といわれ、その性質も類似している。雪入道は自分達のナワバリを一歩でも超えた人間、特に子供をさらうと言われている妖だが、雪婆も人間をさらう。

 ただ異なることとして、雪入道は食うために人間をさらうが、雪婆は氷漬けにして手元に置き続けるといわれている。母性からなのか、寂しさなのか、特に子供が狙われるとされていた。低級上位の妖のため雪入道ほどの危険性はないものの、それでも被害は出ている。

 雪婆は他の妖を近づかせないようになのか、ベンチの前に座っている。そのベンチに横になっている女の子は——野仲の妹、琴葉だった。

「くっっそ!! どんくらいや? どんくらい経っとるんや!?」

 和は額に押し付けていた式札を離して目を開ける。雪婆はどう見ても琴葉を認識していた。人間を識っているということ、そして琴葉が狙われたということは、琴葉も妖を識ってしまったということに他ならない。

 識ってから時間が経てば経つほど、人と妖は濃く深く関わり合ってしまう。干渉してしまい、干渉されてしまう。雪婆が琴葉に手を出せていないということは、まだ深くは干渉できていないということだ。だが——。

「時間の問題や、いつどうなってもおかしない。思っとった何倍もヤバい」

 ひとりでに口から漏れ出る言葉。和はすぐさま外へ出る準備、妖を祓う準備をしながら携帯を手に取る。野仲に電話をかけると、2コールでつながった。

「和! 何かわかったのか!?」

 かなり息の上がった野仲の声と、外で通話しているであろう様々な雑音が聞こえてくる。

「見つかったで、まどろみ公園や! 野仲、今どこや?」

「まどろみ公園か、今すぐ向かう! 僕は今、琴葉の中学校についたところだから公園の方までは少し時間がかかる。琴葉は大丈夫なんだよな和!?」

「……状況はまずい。たぶん識ってしまっとる」

 野仲の息を吸うヒュウっという音が、和の耳に聞こえてくる。

「妖に狙われとるが、まだ大丈夫や。うちが今から向かう、絶対助ける」

 準備を終えた和は自宅から外へ出た。一瞬雪に足を取られそうになるが持ち堪え、「切るで」と言って通話を終わらせた。今は野仲に状況を伝えるよりも、安心させるよりも、1秒でも早く助けに向かわなければならない。

 和は住宅街を走りながら式札を取り出し詠唱する。

「『吹け、香り高き薫風よ。我が声に応え姿を現せ』」

「おいで、” 狛太こまた ”!」

 和の周囲に激しい風が吹き、柴犬のような見た目をした式神、狛太が姿を現した。

「呼ばれて飛び出たでぇ! ん、なんやお嬢そない走って……まさか見つけたんか!?」

 のほほんと現れた狛太が険しい表情をする。この街の異常気象の原因である、上級と思われる妖を和が発見したと思ったからだ。天候をも変えうる妖。ここ数日、主人である和が探し続けている妖。

「ちゃう! せやけど状況はマズすぎる。ええか狛太、細かい説明はする時間がないから端的に話すで。まどろみ公園に先に飛んで行って女の子を守り。命令や、絶対うちが行くまで守り切るんや」

 狛太は一瞬、口を開こうと犬歯を覗かせたが、ぴたりとつぐむと、進む速度と高度を上げた。

「ほなら先行くでお嬢。なんや後でご褒美期待しとるで」

 ちらと振り向きながら主人顔負けのエセ関西弁で軽口を叩くと、狛太は民家を超えて最短距離でまどろみ公園へと向かって行った。人格を有する稀有な式神、狛太にしかできない命令であり行動だ。

「頼むで、狛太」

 和は狛太を見送ると、雪降る街を駆けていった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...