白と黒の境界線

霜弍谷鴇

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第一章 雪降る街のカゲ

第15話 連鎖する変事

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 ギャハハハという喧しい笑い声が、繁華街を抜けた先の住宅街で響いていた。

 時刻は深夜になろうという時刻であり、近所迷惑も甚だしい。頬を紅潮させ足元をふらつかせる5人の若い男たちが、ご機嫌よろしく騒ぎながら道を独占するように闊歩していた。黒いスカジャンや灰色のパーカー、深緑色のトレンチーコートなど様々な格好をしているが、みな若々しいファッションに身を包んでいる。

 横に広がり道を塞ぐような形で歩く男たちの前から女性が一人歩いてきた。白いワンピースの女性が、白く細い肌を覗かせて揺らめくように男たちに近づく。そしてすれ違い様に男たちのうちのひとりに肩がぶつかった。

「っおぉい、いってぇなぁ。お? こんな寒いのにそんなカッコで、大丈夫かいお姉さん? よかったら俺らとあったけぇところでお茶でもしようぜ? てか来るよな?」

 ニタニタと笑いながら肩がぶつかった男が女性に絡む。女性に反応はない。

「怖がんなって、俺らはほら、優しいからさぁ。なぁお前ら?」

 粘っこい笑顔を仲間たちに向けるも、思ったような反応は返ってこなかった。他の4人は怪訝な顔をしながら、お互いに顔を見合わせている。

「んだよノリ悪いな」

 女性の腕を掴みつつ、男が仲間に吐き捨てるように言うと、一人が口を開いた。

「なぁケイゴ、お前さっきから、誰に話しかけてんだ?」

「あ? 何言ってんだよ、ふざけてんのか? この女を連れてくぞっつってんだよ」

 ケイゴと呼ばれたスカジャンの男が眉間に皺を寄せて、女性をぐいっと引っ張る。女性の肩が他の一人にぶつかると、ぶつかった男が腰を抜かした。

「おいそんな強くぶつかってねぇだろ」

「お前たちも、そうやって傷つけるの?」

 沈黙を貫いていた女が口を開く、と同時に腰を抜かした男が目を見開く。

「ケ、ケイゴ。俺、俺にもみ、見えるようになった。誰だその女、なんなんだよそいつは!?」

 事態を誰も理解できていなかった。夜の闇の中、街灯に照らされた女の白い肌は、月光を反射する雪のように怪しく世界から浮かび上がっていた。

「また、私から奪うの?」

 静かな女の声には確かな感情が乗り、空気が震え始めた。しんしんと降っていた雪は徐々に勢いを増し、強くなる風と混ざり吹雪となった。ケイゴと呼ばれたスカジャンの男は女から手を離し、後退りする。仲間の男たちは磔にされたように身動きを取れずにいた。

「傷つけるの? 奪うの? 許さない。許さない許さない許さない。奪おうというなら、奪われる前に奪ってやる。熱も、自由も、時間も、全て、全て……!!」


◆◆◆◆◆◆◆

 ——キョウちゃん。

 誰かが自分を呼ぶ声がする。遠くから、あるいは耳元で。どこから聞こえているのかわからない、ひどくぼやけた声だ。

 ——キョウちゃん、起きて。

 真っ暗な視界が揺れる。誰かに体を揺さぶられているようだ。聞き覚えのある優しい、しゃがれた声が近づいてくるのを感じる。

 ——キョウちゃん、コトちゃんが帰ってないの、キョウちゃん。

 琴葉ことはが……? 視界が暗い、意識がハッキリしない。頭に霧がかかったように。ついこの間も、こんなことがあった。いつだったか、なぜだったか、思い出せない。

『いい加減目を覚ませ、野仲恭平のなかきょうへい

 はっと目を覚ます。野仲の眼前では、眉間に深い皺を寄せた祖母が、眠っていた野仲を起こそうと呼びかけながら揺さぶっていた。

 自分と妹の琴葉、二人の育ての親になってくれている祖母。負担をかけないよう、迷惑をかけないよう努めてきたが、祖母にこんな顔をさせてしまった。

 野仲は混乱する頭でも罪悪感に胸を締め付けられた。そして状況は理解できないままだ。

「キョウちゃん、コトちゃんが帰ってないの。こんな時間まで帰ってこないことなんてなかったのに。ばあちゃんもさっきまで寝ちゃってて気づかなくって」

 申し訳なさそうに、そして酷く心配な面持ちで祖母が言った。祖母の言葉に一瞬理解が及ばなかった野仲だが、一拍おいて理解した時には手の平に冷や汗が握られていた。

「え……琴葉が……?」

 野仲が鈍く重たい頭を振り、時計を確認すると時刻は21時を回っていた。携帯を開き連絡がきていないか通知を確認するも、『東雲玲奈しののめれいな』『八条希はちじょうのぞみ』以外の名前はない。

 野仲の妹、琴葉はまだ中学生だ。連絡もなくこんな時間まで帰ってこないことなど、野仲の記憶では今まで一度たりともなかった。しかもこの雪の中、妖が潜んでいるであろうこの状況でだ。

 野仲の頭の中で人為的な事件と妖による変事、両方の可能性が浮かんだ。どちらにしても、事態は一刻を争う。

 野仲は携帯に登録している連絡先から、急いで『妹』を開き電話をかける。コールが鳴り、2回、3回と繰り返される。野仲はソファの前で行ったり来たりと意味のない動きをしながらコールを聞く。電源は入っているようだが、何コール鳴っても電話が繋がることはなかった。

 野仲は小走りでコート掛けから自身のダッフルコートを取ると雑に羽織り、前も留めずに玄関に向かった。祖母が心配そうに、不安そうにその後に続く。

「ばあちゃん、琴葉を探してくる。この雪で危ないし、琴葉が帰ってきて入れ違いになるかもしれないから、ばあちゃんは家で待ってて」

「気をつけるんだよキョウちゃん。ばあちゃん警察に連絡してみるからね」

 野仲はこくりと頷くと玄関のドアを開けた。五月とは思えない、刺すような冷気が野仲の身体を撫で、思わず首を縮める。雪を踏み締め駆け出すと、野仲は携帯を取り出し電話をかけた。数コールもせずコール音は止み、野仲の耳元に声が響く。

「なんやぁ! のどかちゃんはただいま絶賛残業中や。なぁんも手がかり掴めとらんでぇクソがぁ」

「和! 妹が帰ってきてないんだ!」

「あん? 琴葉ちゃん中学生やろ? 今何時や思てんねん、はよ警察に連絡せえ」

「それはばあちゃんがしてくれてる。でも警察じゃあ妖はどうにもならないだろ? 今、妖がらみの異常が起きているこの街で琴葉の行方がわからなくなってる。僕の時みたいに、どこかで妖を識ってしまっているかもしれない」

 野仲は小走りで周囲を見渡しながら、息を切らせて電話の先の和へ続ける。

「僕はこれから心当たりがあるところを片っ端から探す。和、式神で妹を探すのを手伝ってほしい。お願いだ……」

「わぁかった、わかったて! うちも心配やし探すの手伝うわ」

 和の言葉に野仲がほっと息を吐く。白いモヤとなった息は後ろへと流れて消えていった。

「せやけど野仲、昨日も言うたがヤバそうな妖がおったら祓おうとせんと逃げるんやぞ? 万が一、琴葉ちゃんが妖との何らかに巻き込まれとったとしても、まずうちに連絡すること。一人で先走るんは禁止や、守れるか?」

「わかってる。ありがとう和。また後で連絡する」

 おう、という和の返答を聞いたところで通話を終了し携帯をポケットに突っ込む。野仲は真っ直ぐに妹の通う中学校へ向かい、様々に湧き出る嫌な想像を振り払うように走った。
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