甘夏と青年

宮下

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3 樋口律は、青年と出逢う

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 じりじりとした、ぼんやりと、自分がここに存在していることも分からなくなる熱い夏の陽射し。
 二十代後半の年頃に見えるその女性は、病院の屋上のフェンスにもたれかかり、遠い空をひとり眺める。
 雲一つない晴天だ。
 きっと、とても素敵な夏空なのだろう。
 遠くには青い海のチカチカとする水光が見え、少しだけべたつく潮風が、女性の前髪を弄って遊んでいる。


「――何してるの?」


 そんな時に背後から掛けられた、聞き覚えのない男性の声。
 特に驚く程ではなかったため、ゆっくりと体ごとその声の持ち主の方に視線を移動する。

 恐らく大学生くらいか。
 陽光を受け透明感の際立った軽やかな茶髪に茶色の瞳。身長が百七十センチ半ばのその青年は、やはり女性の記憶の中には存在しないであろう人物であった。

「自殺でもするんじゃないかと思って」

 言葉の内容とそぐわない、ヘラッとした軽い表情を浮かべる青年。

「……まさか、そんなことはしませんよ。ここは病院だし、私が自殺したら笑えないでしょう?」

 女性は社交辞令用の笑顔を張り付け言葉を返す。
 本音を言ってしまえば、青年の言うこともあながち間違いではないのかもしれない。
 自殺をするぐらいの絶望を味わったつもりも、自ら命を絶つ勇気も持ち合わせてはいない。だが明日を迎える希望も見出せない。
 フェンスの立て付け劣化で不慮の事故にあった悲劇のヒロイン。
 そんな楽なストーリーを望んでいた節もある。無意識のうちにフェンスに体重を預けていたのかも分からない。

「そうですか……。それなら良かった。声を掛けてしまってすみません」

 青年に人懐っこい笑顔を向けられる。

「いいえ、こちらこそ心配を掛けてごめんなさい。お見舞いの方ですか?」

「はい、妹がこの病院に入院していて」

「そう、優しいお兄さんですね」

 女性のその言葉に、青年は微笑みながら首を横に振る。

「いえ、妹が可愛くて仕方がないので」

 青年の返事に、女性は無言で笑顔を返す。

「俺、結構この病院に来ているので、もしまた会えたら話し相手になってもらえたら嬉しいです」

「そうなの。そう、是非よろしくね」

「……あ、それと、あまりフェンスに近付くと危ないですよ。次からは中庭で日向ぼっこしてくださいね。俺もそっちに行くので」

 それでは、と青年は手を振り、室内へと繋がる扉へ歩いていく。
 女性もつられて手を振り返しながら、青年が視界から消えるまで後ろ姿を見つめていた。
 
 ――久し振りに、他人と普通の会話をした気がする。

 急にぼやけた脳内から現実に引き戻された感覚に陥る。
 その青年は、女性よりいくつか年下だと思われる。
 だが今の腐った自分に比べれば、明るくハキハキとした青年の方が、数倍未来ある優れた人間に思えてしまう。

 だからといって、心がどう動いたわけでもないのだが。


「……戻ろう」

 彼女――樋口ひぐち律は、ゆっくりと自身の病室へ向かい足を進めた。
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