甘夏と青年

宮下

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13 弁当屋「くるまだ」

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「トモ。これ、配達よろしく。配達先は三津総合病院。正午着。いつもの受付にお願いね」

 蝉の声が耳障りな真夏の昼日中ひるひなか
 畳部屋で音の煩い扇風機を回し、漫画を読みながら雑魚寝をしているのは、トモと呼ばれる少年だ。
 そこへビニール袋を両手に下げた三十代前半の女性が現れ、溌剌とした態度でトモの傍へ近寄り声を掛ける。

「えー。今日は暑いからバイトはいいよ」

「何あんた、自分に選択権があると思ってんの? タダで長期滞在しているんだから、さっさと行って稼いできなさい」

 女性に「ほら!」と急かされ、少年、車田智明ともあきは渋々と重い腰を上げた。

 都内にある高校の三年生である智明は、夏休みを利用し、母親である和枝かずえの実家がある三津市を訪れていた。
 和枝の実家は智明にとって祖父にあたる敏郎としろうと、和枝の妹の千恵美との二人で弁当屋「くるまだ」を経営している。
 智明も滞在中はアルバイトとして雇われているのだが、地元の人気店な故、避暑する暇もなく慌ただしい毎日を送っている。

「はいはい、行った行った」

 智明は千恵美に押し出されるような形で店の表へ出ると、配達用の自転車に注文分の弁当を載せていく。
同時に、千恵美から手渡されたくるまだ専用のエプロンを腰に巻いた。

「次の配達も詰まっているから、寄り道しちゃ駄目だからね」

 千恵美は智明に釘を刺すと、次の仕事に取り掛かるべく店内へと戻っていく。

「えーっと、配達先は……三津総合病院だったか」

 三津総合病院とは、ここら一帯で一番大きな病院だ。
 複数の科があり、外来だけでなく様々な病症の患者が入院している。
 因みに三津総合病院からは、ほぼ毎日のように弁当の注文が入る。お得意先だ。

 自転車を走らせ大きな坂を下り、風を切る。
 頭上から灼けつくような日差しを受け、首筋の日焼け部分にチリチリとした痛みを帯びるが、打ち水がされた道路を走った瞬間の涼やかな風が、智明のペダルを踏む足に力を与えた。
 三津市は海に接する小さな地域だ。
 所謂いわゆる田舎なのだが、自然に溢れた開放感のある風土が人気で、都会から移住してくる家庭も多いと聞く。
 程なくして病院に到着した智明は、来客専用の駐輪場に自転車を停めると、弁当を持ち院内の受付へと向かった。

「お世話になります、くるまだです」

 受付の中で仕事をしている女性スタッフに声を掛ける。

「くるまださん。はい、ありがとうございます」

 智明に気付き顔を上げる女性スタッフ。智明は彼女に弁当の入った袋を渡すと、そのまま料金を受け取り領収証を手渡した。

「いつもありがとうございます。これ、来週からの日替わりのメニューです。またよろしくお願いします」

 智明は女性に対し軽く会釈をし、そのまま出口に向かうべく体を反転させる。
 同時に、後方から興奮した男性の声が飛び込んでくる。
 思わず振り返ると、そこには大学生らしき青年と、白衣を纏った男性の医師とが言い争いをしていた。

「ちょっと待ってくれ! 俺だよ、雅紀だよ!」

 雅紀と名乗る青年は、一回り程年上の医師に対し敬語も使わず慣れ慣れしく詰め寄っている。対する男性は明らかに怪訝な表情を浮かべ迷惑そうにしている。

「すまないが急いでいるので」

 男性は青年の話を遮るかのようにその場から離れていく。
 知り合いなのだろうか。何かトラブルがあったのかもしれない。
 呆然としている青年を遠巻きに眺める智明。すると驚くことに、青年は先程の医師だけでなく、他の見舞客にも声を掛けだした。
 危ない仕事の勧誘でもしているのだろうか。案の定、その見舞客も青年に付き合うことなくその場を去っていく。

 なるべくああいう人種とは関わり合いたくないな。

 自分に矛先が向くことを恐れた智明は、さっさとこの場から離れようと病院の出口へと向かう。


 ――ただ、二人と話した直後の、絶望と虚無感が入り混じったような青年の表情は、智明の心に小さなしこりを残した。


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