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15 優の決意
しおりを挟む「寺田課長、ちょっとだけお時間いただけませんか?」
本日の業務が滞りなく進み、珍しく定時で上がろうと部署を出た寺田。
するとそこには誰かを待っているのであろう優の姿があり、寺田を見つけるや否やこちらに駆け寄りまじめな表情で声を掛けてきた。
「どうした?」
二か月前に律が退職してからというものの、寺田と優はめっきり会う頻度が少なくなっていた。
元々二人の部署は離れており、律という共通の知人がきっかけで交流があったのだ。顔を合わさなくなることも自然の流れだと言えるであろう。
「律先輩のことで相談があって……」
優の口から出た言葉の内容は、寺田が予想していた通りのものであった。
「分かった、場所を変えよう」
会社近くの喫茶店へと移動した二人。
人のまばらな店内にはジャズのメロディーが流れており、ゆったりとした空間に包まれている。
「それで、樋口がどうしたんだ?」
二人は頼んだアイスコーヒーに口を付けることもなく、口数少なくテーブル越しに向かい合う。
「いえ、律先輩から連絡があったとかではないのですが、私個人の問題で……」
寺田が抱いていた天真爛漫な優の姿はそこにはなく、沈んだ表情で覇気のない声を発している。
「私、律先輩にどう声を掛けたらいいのか分からなくて。連絡は取りたいしお見舞いにも行きたいです。だけど、もしそれが先輩の重荷になったらどうしようって……」
優も、律が入院を始めた当初は連絡を取り合っていた。しかし幾度か見舞いに行きたい旨の内容を伝えたところ、その都度断りの文章が返ってきたため、それ以上踏み込む勇気が湧かずに、次第に連絡を取ることに対し恐れに似た感情を抱くようになっていた。
優は視線を落としながら下唇を噛み、グラスのふちを親指でなぞる。
「樋口はそんなに弱い人間じゃないぞ」
寺田の口から放たれた言葉に、律は驚くように顔を上げる。
そう言い切った寺田の表情には悲しみや焦燥感といった感情は一切なく、優しいながらも強く意思の宿った真っ直ぐな瞳をしていた。
「確かに今は樋口にとって苦しくて目を逸らすこともできない時間だと思う。だけどあいつは、これまでもどんな辛い境遇だろうが自分の力で乗り越えてきた」
寺田はテーブルの上で静かに両手を組む。
「それに、樋口は南本のことを凄く可愛がっているんだ。南本を邪険に扱うわけがないだろう?」
呆れたように笑う寺田。
優は、律と寺田が別れたことを人伝えに聞いていた。
寺田が律のことを真剣に想っていることも知っていたため、寺田も自分と同様に落ち込んでいるものだと思っていたのだが、どうやら見当違いだったようだ。
寺田は別れて尚、樋口律という人間を信じ続けているのだ。
「あいつは戻ってくるよ。だってあいつ、うちの仕事好きだったし。負けず嫌いだからな」
律と一緒にいる時の寺田は、年相応の男性といった、もっと若々しいイメージだった。しかし今優の目の前にいる寺田は泰然として構えており、彼にここまで想われる律のことを少しだけ羨ましくさえ思えた。
「……じゃあ、寺田課長は律先輩が戻ってきたら、また寄りを戻す気ですか?」
「それはどうかな。それまでに良い出逢いがあったら俺は迷わずそっちに行くけど」
「またそういうことを……」
漸く二人の会話に調子が戻ってきたようだ。優は笑いながら氷の解けたコーヒーを口に運ぶ。
「まあ話は戻るけど、連絡は南本からは取らなくていいんじゃないか?」
寺田もコーヒーを一口飲み、再度テーブルにグラスを置いた。
「あいつ俺の連絡には面倒くさがって返信を遅らせてくるんだ。あと返事は毎回同じ文章な。いや、俺もこういった時の距離の取り方が分からないから、嫌な思いをさせているのかもしれないけど……」
律とのやり取りを思い出しているのか、コロコロと表情を変える寺田に優は思わず吹き出してしまう。
「確かに、振った相手から何度も連絡が来たら、鬱陶しいかもしれませんね」
「やっぱりそうなのか? ……て、おい。もう少し優しい言葉を俺に掛けろ」
顎に手を当て思考したものの、自分が堂々とけなされていることに気が付きしかめっ面を見せる寺田。そんな寺田を前にして、優は声に出して笑ってしまった。
「……まあそういうことで、あいつが落ち着いたらその内勝手に連絡してくるだろ。それまでは放っておいてやろうや」
本人が気付いているかは分からないが、寺田の表情が、特定の誰かを想う男性のものへと変わっていた。
「そうですね。それなら私は律先輩がいつ戻ってきても困らないように、仕事の管理をしっかりしておきます」
「ああ、間違いなくそれが一番嬉しいだろうな」
優は近い未来に律の隣で共に働いている光景を想像する。
真面目に仕事に取り組みながらもちょっとした私語で盛り上がり、休憩時間はそれぞれの私生活の報告をしたりして。そして業務が終わった後はまた三人で飲みに行くのだ。
律が戻ってくるまでに、もっと仕事を捌ける人間になって彼女を驚かせてやろう。いつの日か彼女が自分を守ってくれたように、次こそは自分が彼女の居場所を守るのだ。
その想いだけで、自分はもっと成長できると強く思えた。
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