16 / 37
15 優の決意
しおりを挟む「寺田課長、ちょっとだけお時間いただけませんか?」
本日の業務が滞りなく進み、珍しく定時で上がろうと部署を出た寺田。
するとそこには誰かを待っているのであろう優の姿があり、寺田を見つけるや否やこちらに駆け寄りまじめな表情で声を掛けてきた。
「どうした?」
二か月前に律が退職してからというものの、寺田と優はめっきり会う頻度が少なくなっていた。
元々二人の部署は離れており、律という共通の知人がきっかけで交流があったのだ。顔を合わさなくなることも自然の流れだと言えるであろう。
「律先輩のことで相談があって……」
優の口から出た言葉の内容は、寺田が予想していた通りのものであった。
「分かった、場所を変えよう」
会社近くの喫茶店へと移動した二人。
人のまばらな店内にはジャズのメロディーが流れており、ゆったりとした空間に包まれている。
「それで、樋口がどうしたんだ?」
二人は頼んだアイスコーヒーに口を付けることもなく、口数少なくテーブル越しに向かい合う。
「いえ、律先輩から連絡があったとかではないのですが、私個人の問題で……」
寺田が抱いていた天真爛漫な優の姿はそこにはなく、沈んだ表情で覇気のない声を発している。
「私、律先輩にどう声を掛けたらいいのか分からなくて。連絡は取りたいしお見舞いにも行きたいです。だけど、もしそれが先輩の重荷になったらどうしようって……」
優も、律が入院を始めた当初は連絡を取り合っていた。しかし幾度か見舞いに行きたい旨の内容を伝えたところ、その都度断りの文章が返ってきたため、それ以上踏み込む勇気が湧かずに、次第に連絡を取ることに対し恐れに似た感情を抱くようになっていた。
優は視線を落としながら下唇を噛み、グラスのふちを親指でなぞる。
「樋口はそんなに弱い人間じゃないぞ」
寺田の口から放たれた言葉に、律は驚くように顔を上げる。
そう言い切った寺田の表情には悲しみや焦燥感といった感情は一切なく、優しいながらも強く意思の宿った真っ直ぐな瞳をしていた。
「確かに今は樋口にとって苦しくて目を逸らすこともできない時間だと思う。だけどあいつは、これまでもどんな辛い境遇だろうが自分の力で乗り越えてきた」
寺田はテーブルの上で静かに両手を組む。
「それに、樋口は南本のことを凄く可愛がっているんだ。南本を邪険に扱うわけがないだろう?」
呆れたように笑う寺田。
優は、律と寺田が別れたことを人伝えに聞いていた。
寺田が律のことを真剣に想っていることも知っていたため、寺田も自分と同様に落ち込んでいるものだと思っていたのだが、どうやら見当違いだったようだ。
寺田は別れて尚、樋口律という人間を信じ続けているのだ。
「あいつは戻ってくるよ。だってあいつ、うちの仕事好きだったし。負けず嫌いだからな」
律と一緒にいる時の寺田は、年相応の男性といった、もっと若々しいイメージだった。しかし今優の目の前にいる寺田は泰然として構えており、彼にここまで想われる律のことを少しだけ羨ましくさえ思えた。
「……じゃあ、寺田課長は律先輩が戻ってきたら、また寄りを戻す気ですか?」
「それはどうかな。それまでに良い出逢いがあったら俺は迷わずそっちに行くけど」
「またそういうことを……」
漸く二人の会話に調子が戻ってきたようだ。優は笑いながら氷の解けたコーヒーを口に運ぶ。
「まあ話は戻るけど、連絡は南本からは取らなくていいんじゃないか?」
寺田もコーヒーを一口飲み、再度テーブルにグラスを置いた。
「あいつ俺の連絡には面倒くさがって返信を遅らせてくるんだ。あと返事は毎回同じ文章な。いや、俺もこういった時の距離の取り方が分からないから、嫌な思いをさせているのかもしれないけど……」
律とのやり取りを思い出しているのか、コロコロと表情を変える寺田に優は思わず吹き出してしまう。
「確かに、振った相手から何度も連絡が来たら、鬱陶しいかもしれませんね」
「やっぱりそうなのか? ……て、おい。もう少し優しい言葉を俺に掛けろ」
顎に手を当て思考したものの、自分が堂々とけなされていることに気が付きしかめっ面を見せる寺田。そんな寺田を前にして、優は声に出して笑ってしまった。
「……まあそういうことで、あいつが落ち着いたらその内勝手に連絡してくるだろ。それまでは放っておいてやろうや」
本人が気付いているかは分からないが、寺田の表情が、特定の誰かを想う男性のものへと変わっていた。
「そうですね。それなら私は律先輩がいつ戻ってきても困らないように、仕事の管理をしっかりしておきます」
「ああ、間違いなくそれが一番嬉しいだろうな」
優は近い未来に律の隣で共に働いている光景を想像する。
真面目に仕事に取り組みながらもちょっとした私語で盛り上がり、休憩時間はそれぞれの私生活の報告をしたりして。そして業務が終わった後はまた三人で飲みに行くのだ。
律が戻ってくるまでに、もっと仕事を捌ける人間になって彼女を驚かせてやろう。いつの日か彼女が自分を守ってくれたように、次こそは自分が彼女の居場所を守るのだ。
その想いだけで、自分はもっと成長できると強く思えた。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる