彼女は小石

よなぷー

文字の大きさ
22 / 64

多奈川美穂A01

しおりを挟む
 中間テストが近づき、読書部は臨時の対策本部と化していた。勉強道具を机に並べ、1学年の最優秀生徒・多奈川美穂たながわ・みほさんに、僕――田辺篤彦たなべ・あつひこ渡来保わたらい・たもつも厳しく指導してもらっている。

 多奈川さんが失笑した。可愛い笑顔。

「ほらまた間違えたー。何度言ったら分かるのー。ここはこう……だよー」

 模範解答を提示され、保が舌打ちしつつノートにそれを書き写す。

「くそ、こんなアホみたいなしゃべり方してる奴が入学試験トップだなんて、信じられん」

 僕は彼の腕を肘で小突いた。

「それは保、教えてもらってるのに言いすぎだよ」

「ほら田辺くんも、よそ見してないー。勉強勉強ー」

 3年の大蔵秀三おおくら・しゅうぞう部長は所用で留守。2年の峰山香織みねやま・かおり副部長は物静かにシャープペンシルを走らせて勉強している。僕らと同じ1年A組の河合留美かわい・るみさんは、多奈川さんに対抗意識を燃やしているのか、教導を拒否して一人教科書とにらめっこしていた。さっきから「絶対勝つ、絶対勝つ……」と、ぶつぶつつぶやいている。

 僕のポケットの小石さんは、もちろんこうなると完全に蚊帳かやの外だ。

「私も勉強ができればいいのですが……」

「小石さんは黙っててー。勉強の邪魔ー」

「えーん。いじめられてしまいました」

 保が小石さんをかばう。

「ひでえ奴だな美穂、小石ちゃんを泣かすなんて」

「泣いてるかどうかなんか分かんないでしょー。石ころだしー」

 僕はこの前、保が小石さんを投げ捨てたときのことを思い出していた。あのとき小石さんははっきりと泣いていた。『泣き声』は明瞭に分かるものなのだ。まあ、今のは嘘泣きだが。

「多奈川さんは泣いたりしないの?」

「しないよー。あたし、強い子だもんー」

 そのときだった。読書部のドアが、無作法に開いたのだ。部員の目が一斉にそちらへ向けられた。

 顔を出したのは、灰色のボサボサ髪で色白の優男だった。あれ、見覚えあるぞ。僕は脳内の手帳をめくった。『ひろし』と書かれた項目に、多奈川さんのスマホの待ち受け画像に映っていた男が――目の前の彼が――記載されていた。

「捜したぜ、美穂。まさかこんな片隅の、しかも読書部なんてところに入り浸っていたとはな。おかげで見つけるのに苦労したぜ」

「ひ、ひろしー……!」

 上履きの色で1年と分かる。浩は、常成高校1年生だったのだ。

「さあ、帰るぞ美穂。お前の居場所はこんなケチなところじゃねえだろうが」

 浩は部室内にずかずか踏み込んでくると、多奈川さんの手首を掴んで強引に引っ張り立たせた。女に対して遠慮のない暴力だった。

「痛いーっ! 痛いってば、浩ー!」

 そのまま多奈川さんを出入り口まで引きずっていく。河合さんがいきどおって机を叩き、抗議した。

「ちょっと! 勝手に入ってきて、何うちの部員を連れて行こうとしてるのよ! あなた何者よ!」

「うるせえ、クソ女! お前に用はねえよ。俺さまはこの美穂に用があるんだよ。引っ込んでろ、このクソ豚が!」

 とんでもなく口の悪い優男だった。僕は保を見た。河合さんを、峰山副部長を見た。しかし、彼らの顔に浮かんでいたのは、このゴロツキに対する圧倒的な恐怖だけだった。多奈川さんを取り戻したいけど、暴力を振るわれることに対する深甚しんじんたるおびえがその気持ちを上回っている。そんな状態だった。こりゃ駄目だ。

 多奈川さんが激痛に悲鳴を上げる。

「い、痛いよ、浩ー……!」

「さ、行くぞ、美穂」

 僕しかいない。僕は勇気をふるい立たせ、浩に近づいてその肩を掴んだ。

「よ、よせよ。多奈川さん、嫌がってるじゃないか。放してやれよ」

 浩がこちらへ物凄い顔を向けてくる。僕は情けなくも膝が震えてしまった。それぐらい、この男の人を殺しそうなほど鋭い目は恐怖をあおった。彼は笑みを浮かべた。

「馬鹿が……」

 次の瞬間、僕の腹に激痛が走る。膝蹴りを叩き込まれた、と理解したときには、僕はもううずくまって苦悶していた。内臓が破裂したかと思うほどの苦痛だ。

 上から浩のせせら笑いが降り注いだ。

「こいつみたいに痛い目に遭いたくなかったら、お前らはもう余計な真似すんな。じゃ、今度こそ行くぞ、美穂」

「浩ー……っ!」

 二人は出て行ってしまった。3秒ほどの間があって、読書部部員たちの心配する声が僕の背中に集中する。

「大丈夫、田辺くん!」

「無事?」

「大丈夫か、篤彦!」

 僕は、ひざまずいてこちらをうかがう保の肩を叩いた。

「……保、多奈川さんを取り戻しに行ってよ」

 保は乾いた笑いを発して手の平を急いで振った。

「いや、ごめん、ごめん。俺、喧嘩苦手でさ。勝った試しがないんだよね。つーわけで悪いけどパス」

「ちぇっ、薄情もの。あー、いてて……。小石さん、二人の位置は分かる?」

「はい。今は西階段を1階へ向かって降りています。どうやらひと気のない中庭を目指しているみたいです」

「小石さん、一緒に来て。多奈川さんを追いかけて取り戻す。小石さんは鳥と話せるんだよね?」

「はい、それが何か……?」

 僕は腹を押さえながらよろめき出て行った。出せる限りの走力で西階段を下っていく。



「は、放してー……!」

「ああ、いいぜ」

 浩はようやくあたしを解放した。あたしはその場にへたり込む。掴まれてた手首が痛くて思わずさすった。

 ここは常成高校の中庭だ。植木に花壇、ベンチに噴水。面積があって美しいこの広場は、常成高校生徒たちのいこいの場所だ。でも昼休み、大勢の生徒が食事するために集まりにぎわうこのスペースも、今は閑散としていた。中間テスト前で、主だった部活動は全て一時休止していて、放課後の談話を楽しむものさえ一人もいなかった。

 あたしが連行されたのは、そんな中庭の一角だ。浩はしゃがみ込むと、あたしの顎を片手ですくい上げた。にやにやと、まるで宝物を獲得した海賊のように笑っている。気味が悪い。

「かくれんぼは終わりだぜ、美穂。てっきり高校は違うもんだと思ってた。お前は東高に進学するって言ってたからな。だから俺さまたちの関係も中学までで終わりだと納得してた。そのお前が、ここの入学式で代表挨拶する後姿を見たとき、俺さまは夢でも見てるのかと驚いたよ」

 一人えつっている。あたしは声が震えた。

「そ、そうだねー。まさか浩が常成に受かってるなんて、予想外だったよー」

「俺さまも自分が高嶺たかねの花の常成に受かるとは思っても見なかったぜ。まあお前の指導で勉強がそこそこできたのと、後は強運、悪運って奴だ。……でも美穂とは縁が切れたし、それは残念に思ってたよ」

 何よそれ。ムカついたあたしは元彼を鋭くにらみつけ、断罪するようにわめいた。

「嘘ー! あたし、知ってるもんー! 浩が3股をかけていたことー!」

「えっ?」

 いきなりの反撃に目を丸くする浩。あたしは畳みかける。

美砂みさちゃんと紅葉もみじちゃんでしょー? あたしの目をごまかしたつもりだったのー?」

 浩の顔から余裕が消え失せ、狼狽ろうばいの色が濃くなった。

「そ、それはだな……。ま、いいだろ。あいつらとは高校が別になってもう別れたんだ。今はお前一人だぜ、美穂」

「それも嘘ー! あたしが東高行ったと思って、春休みに新しい女作ってた癖にー! あたし、浩が街中を知らない女と腕組んで歩いているの、見たもんー!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。

10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました

専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。

恋は、やさしく

美凪ましろ
恋愛
失恋したばかりの彼女はひょんなことから新橋の街中で上司にお姫様抱っこされ……!? ――俺様な美形上司と彼女とのじんわりとした恋物語。 性描写の入る章には*マークをつけています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

触れる指先 偽りの恋

萩野詩音
恋愛
武井夏穂は、お人よしな性格が玉にキズなカフェ店員。 ある日、常連のお客様のトラブルに遭遇し、とっさに彼を手助けしたところ、そのまま「恋人のふり」をすることになって――。 <登場人物> 武井夏穂(たけい かほ)28歳 カフェ店員   × 貴島春樹(きじま はるき)35歳 エリートサラリーマン 『本当の自分』を受け入れてくれるひとに、出会えたかもしれない。

強引な初彼と10年ぶりの再会

矢簑芽衣
恋愛
葛城ほのかは、高校生の時に初めて付き合った彼氏・高坂玲からキスをされて逃げ出した過去がある。高坂とはそれっきりになってしまい、以来誰とも付き合うことなくほのかは26歳になっていた。そんなある日、ほのかの職場に高坂がやって来る。10年ぶりに再会する2人。高坂はほのかを翻弄していく……。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

処理中です...