彼女は小石

よなぷー

文字の大きさ
31 / 65

河合留美C02

しおりを挟む
 敬吾さんは快活に笑って謝罪した。

「ははは、悪い悪い。気に入ってくれたみたいで嬉しいよ。どんどん食べよう」

 メインを胃袋に収め、デザートのチョコレートケーキを平らげた頃には、すっかり満腹だった。私は膨れたお腹をさすり、今後のダイエットの予定を厳しく変更した。

 2人揃って傘を差し、小雨がぱらつく店外へと踏み出す。敬吾さんが異常に喜んでいたが、それは料理の味に対してではなく、私がそれを楽しんでくれたことに対してのように推察された。

「美味かったね」

「うん」

「幸せそうな顔してる」

「幸せだからしょうがないよ」

「はは、それじゃ行こうか。幸せすぎて映画の最中に寝ないでよ」

 映画自体は流行の海外アクションもので、特別観たいものでもないなあ、と私はそれほど期待していなかった。それよりも行列に並んでいる間の、敬吾さんとの他愛ないおしゃべりの方が、娯楽としてずっと上位に感じられた。

 だが指定席に隣同士で座り、いざ映画が始まってみると、満員の観客の歓声に気分をあおられた。主人公のピンチの連続には、大画面と大音響に食い入るように集中してしまった。隣の敬吾さんの存在をつかの間忘れてしまったほどである。それほどスクリーンの向こう側の世界に没入していた。

 だが、私は強引に現実へ引き戻された。

「えっ」

 ひじ掛けに置いた私の手に、そっと敬吾さんの手が重ねられたのだ。私が思わず敬吾さんの顔を見ると、彼は少し恥ずかしそうにしながら、あくまで主人公のアクションを凝視している。手は重なったままだ。私は急に映画の内容より、その掌に全ての注意を持っていかれてしまった。何だろう。どうして急に触れてきたんだろう。敬吾さんの手、大きくて温かいな。

 やがてクライマックスらしきものがきて、ハッピーエンドが展開されて、スタッフロールに入った、ような気がした。気付けば眩しい照明が館内を照らし上げ、周りの客がぞろぞろ立ち上がっている。私はようやく我に返った。

 敬吾さんは手を載せたまま微笑む。

「面白かったね」

 私はゆっくりと自分の手を上向け、相手の手を握り締めた。

「うん……」

 頬も熱く答える。敬吾さんの指に力が込められるのを肌で実感した。

 私たちは手を繋いだまま映画館を出た。雨が降っているので傘を差さねばならない。お互いの皮膚が離れた。私はそれを名残なごり惜しく思う。

 それから雨のそぼ降る道を歩いていった。お互い無言だ。私は隣を歩く敬吾さんの顔を正視することができないでいた。仕方なく、そのまま話しかける。

「あのさ、敬吾さん」

「ん?」

「今日は楽しかった。すっごく」

 それは私の本心だった。昨日の晩からわくわくどきどきしてなかなか寝付けなかった。今朝は浮き浮きと可愛い格好をすることに腐心し、コーヒーショップでは雨を見ながら早く会いたいと待ち焦がれた。初めて口にするクロアチア料理には舌鼓したつづみを打ったし、アクション映画では――最後のほうは覚えてないけど――ハラハラと画面に見入ってしまった。

 全ての過ぎ去った時間が、心弾むひとときが、今はとても懐かしい。

「そう? よかった。俺も楽しかったよ」

 敬吾さんも同じだった。私は首元を熱くする。

「そう。嬉しい」

 しばらく会話が途切れた。が、今度のそれは短く、切り出したのは敬吾さんの方だった。

「河合さん。また……誘ってもいいかな?」

「あのっ!」

 私は立ち止まった。敬吾さんは遅れて足を止め、私に向き合う。彼の足元へ視線を投じながら、私は勇気を振り絞った。ためらいがちになる自分の声を励ます。

「あの……。私、今日は敬吾さんと、仲のいい友達として遊びに来た」

「うん」

「でも、待ち合わせして、一緒に食事して、映画観て……。それがあんまり楽しくて、嬉しかったものだから、私、どんどん欲張りになってる」

 私は敬吾さんを見上げた。久しぶりに目と目が合う。

「もう友達としてじゃない、今度は恋人として一緒に歩きたいって、そう思ってるんだ! ……私、ずうずうしいかな?」

「そんなことないよ。俺も……」

 不意に敬吾さんは髪をかき回した。言い知れぬ恐怖と戦うように。

「つか、俺だって、俺だって……。河合さんと恋人になりたい!」

「ほ、本当?」

 敬吾さんは真っ赤な顔で答えた。

「これは俺の本心だよ」

 お互い、見えない壁を壊そうとしていた。それがどんな結果をもたらすのかは分からないが、壊さなければ前進できないことだけは分かっていた。だから、私は決定的な言葉を放った。

「私、敬吾さんが好き。ずっと前からね。保健室で初めて会話したあのときから、ずっと。敬吾さんは、私のこと好き?」

 返事は被せ気味だった。

「ああ、もちろん! 当たり前だよ。だって、俺……好きな相手とじゃなきゃ、毎日昼休みに会ったり、頻繁にLINEしたり、休日にデートに誘ったりなんかしないよ。さっきは急に手を繋いでごめん。そうしたかったんだ」

 彼の瞳が真っ直ぐ私の目を見つめる。

「……俺は、河合さんが好きだ。河合さんにばっかり言わせるのもあれだから、これから先は俺が言うよ。河合さん。俺と、付き合ってください!」

 しかしそれを聞いた私は、嬉しくなる反面、胸に刺さったままの針の存在に気がついた。暗く濁った湖水に沈み込んでいくような気分がして、反射的にうつむいてしまう。不安を含んだ敬吾さんの声が前髪に投げかけられた。

「河合さん?」

 私は針の太さに痛みを感じて、胸に手を当てた。今、話さなければならない。この針のことを。自分のために、敬吾さんのために。

「……私ね、前にも男子に告白されたんだ。中学2年のときにね、ここじゃない、実家近くの中学校で」

「ああ、俺の田舎の……」

「その男子は私のこと好きだって言ってくれた。付き合いたいって言ってくれた。でも、それは全部真っ赤な嘘だった。私に告白して、どんな反応するか面白がって見てみたかっただけなの。私、ころりと騙されて。一晩悩んだ挙句、真相知らされて、その男子を平手打ちしちゃったの」

「…………」

「それで、その子が女子をけしかけたの。多分ね。それから女子が私をいじめるようになって……。後は敬吾さんも知ってるとおり」

 雨滴がアスファルトを叩く騒然とした音が、2人の間に横たわる。それを敬吾さんが突き破った。

「河合さん、昔のことは思い出さなくていい。辛い過去は忘れるんだ」

「でも、でも……!」

 私は再びおもてを上げた。その目から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。目を見張る敬吾さんに向かって、私は思いのたけをぶつけた。

「忘れられないよ! 私、敬吾さんに好きだって言われても、付き合ってくれって言われても、また裏切られるんじゃないかって……。また笑われるんじゃないかって……。怖くて……! 怖くて……!」

 震える声が雨空に響き渡る。次の瞬間、私は傘を放り捨てた敬吾さんに抱き締められていた。私の手からも傘が転がり落ちる。雨が二人を打つ中、敬吾さんの真剣な言葉が私の鼓膜に届いた。

「大丈夫だ。俺は、東条敬吾は、河合さんを裏切ったりなんかしない。傷つけたりなんかしない。笑ったりなんかしない。この身が朽ち果てるまで、河合さんを……留美を好きでい続ける。俺みたいな奴が言うのはおこがましいかもしれないけど……。頼りないって思われるかもしれないけど……。信じてほしい。俺を信じてくれ、留美。俺が、留美のゴールだ」

「敬吾さん……!」

 胸が敬吾さんの優しい言葉で満ちる。針が、針が抜け落ちていく。

「留美。好きだ。この世界の、どんな女の子より」

 私はしゃくり上げた。長く胸にくすぶっていたものが、自分を包む敬吾さんの腕の温もりで、ようやく消えていくのが感じられる。私は号泣していた。

「敬吾さん、信じるよ。私、信じちゃうからね。ついていくからね」

「ああ、信じろ、留美。俺が絶対に幸せにしてやるから」

「うう……。敬吾さん、敬吾さん……!」

 冷たい雨は降り続く。それに打たれながら、私は敬吾さんと抱き締め合って、互いの体温を伝え合っていた。それがこの世で信じられる、唯一確かなものだと実感しながら……
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

優しい雨が降る夜は

葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン 無自覚にモテる地味子に 余裕もなく翻弄されるイケメン 二人の恋は一筋縄ではいかなくて…… 雨降る夜に心に届いた 優しい恋の物語 ⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡ 風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格 雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン

恋愛の醍醐味

凛子
恋愛
最近の恋人の言動に嫌気がさしていた萌々香は、誕生日を忘れられたことで、ついに別れを決断。 あることがきっかけで、完璧な理想の恋人に出会うことが出来た萌々香は、幸せな日々が永遠に続くと思っていたのだが……

あなたの側にいられたら、それだけで

椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。 私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。 傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。 彼は一体誰? そして私は……? アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。 _____________________________ 私らしい作品になっているかと思います。 ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。 ※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります ※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)

12年目の恋物語

真矢すみれ
恋愛
生まれつき心臓の悪い少女陽菜(はるな)と、12年間同じクラス、隣の家に住む幼なじみの男の子叶太(かなた)は学校公認カップルと呼ばれるほどに仲が良く、同じ時間を過ごしていた。 だけど、陽菜はある日、叶太が自分の身体に責任を感じて、ずっと一緒にいてくれるのだと知り、叶太から離れることを決意をする。 すれ違う想い。陽菜を好きな先輩の出現。二人を見守り、何とか想いが通じるようにと奔走する友人たち。 2人が結ばれるまでの物語。 第一部「12年目の恋物語」完結 第二部「13年目のやさしい願い」完結 第三部「14年目の永遠の誓い」←順次公開中 ※ベリーズカフェと小説家になろうにも公開しています。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

【完結】シロツメ草の花冠

彩華(あやはな)
恋愛
夏休みを開けにあったミリアは別人となって「聖女」の隣に立っていた・・・。  彼女の身に何があったのか・・・。  *ミリア視点は最初のみ、主に聖女サシャ、婚約者アルト視点侍女マヤ視点で書かれています。  後半・・・切ない・・・。タオルまたはティッシュをご用意ください。

モテ男とデキ女の奥手な恋

松丹子
恋愛
 来るもの拒まず去るもの追わずなモテ男、神崎政人。  学歴、仕事共に、エリート過ぎることに悩む同期、橘彩乃。  ただの同期として接していた二人は、ある日を境に接近していくが、互いに近づく勇気がないまま、関係をこじらせていく。  そんなじれじれな話です。 *学歴についての偏った見解が出てきますので、ご了承の上ご覧ください。(1/23追記) *エセ関西弁とエセ博多弁が出てきます。 *拙著『神崎くんは残念なイケメン』の登場人物が出てきますが、単体で読めます。  ただし、こちらの方が後の話になるため、前著のネタバレを含みます。 *作品に出てくる団体は実在の団体と関係ありません。 関連作品(どれも政人が出ます。時系列順。カッコ内主役) 『期待外れな吉田さん、自由人な前田くん』(隼人友人、サリー) 『初恋旅行に出かけます』(山口ヒカル) 『物狂ほしや色と情』(名取葉子) 『さくやこの』(江原あきら) 『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい!』(阿久津)

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

処理中です...