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峰山香織C02
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早野部長が一瞬、軽く目をすがめたのを私は見逃さなかった。3年生はすぐに透き通った笑みに戻る。
「ふうん。いいわよ。夕方は予定ないし、ね」
秀三は明らかにほっとした様子だった。
「ありがとうございます。『後回し』にはしないでくださいね。約束ですよ?」
「はいはーい、分かってるわよ」
私は秀三が早野部長に告白する気なのだと察した。胸中はぐちゃぐちゃにかき混ぜたルービック・キューブのように混沌としている。
成功してほしい、という気持ちは確かにある。秀三は早野部長だけを真っ直ぐ見てきた。この1年間だけでも、痛いぐらいに真摯に、力強く。秀三の願いが叶うことは、私の喜びでもあった。彼の底抜けの笑顔を、私は見てみたかった。
だが、失敗してほしい、という気持ちも無論ある。秀三が早野部長を想うように、私もまた秀三を想ってきた。早野部長に秀三を取られたくない。秀三に、自分のそばにいてほしい。身勝手なわがままだと承知している。自分が秀三の彼女になるには、たとえば無愛想過ぎるとか、単語返事するだとか、いろいろふさわしくないことも自覚している。
心の天秤の左右の皿に、それぞれの気持ちを載せてみる。私は自分が嫌になった――指針はやはり、失敗を願う気持ちのほうへと傾いたのだ。
二人が帰っていって、部室には私が一人残された。さて、読書部には問題があった。今年の4月、あと4人の追加部員を獲得できなければ、部活動の規定人数である6人を満たせず廃部となってしまうのだ。
秀三は早野部長と付き合うことになっても、読書部に残り続けるし、存続に全力を尽くすだろう。それは間違いない。だがそんな読書部が続いたとして、果たして自分は残っていられるだろうか。他人を向いている秀三の前で、あくまで平気な振りをして文庫本の世界に没頭できるだろうか。その光景を思ったとき、寒々とした空気が全身を包み込んできたような気がした。どうやら無理そうだ、と自嘲する。
窓の外にちらつき始めた雪を眺めながら、私はぼんやり時を過ごした。外は真っ暗になり、やがて時計の針が午後5時半を回る。下校時刻だ。私は戸締まりし、職員室に鍵を返却すると、雪の降る中を帰宅の途についた。
辺りでは圧倒的な闇を前に、街灯や看板の光が空しい抵抗を続けている。白い粒がその真っただ中を、ただただ無音で降り続いていた。息が白い。私は早く帰って、熱い風呂で全ての感情を洗い流してしまいたいと願った。天然の絵の具で白く塗装された道を歩いていく。
そのときだった。街灯の明かりの中、雪が降り積もるベンチに、うなだれて動かない秀三の姿を発見したのは。
まるで椅子に座る人間の彫像と化している。髪にも肩にも雪が降り積もっていた。想い人の無残な姿に、私は居ても立ってもいられず、駆け寄って乱暴に彼の雪をはたき落とす。それで気がついたとばかりに、秀三が私の顔を見上げた。
「峰山くんか」
その目は真っ赤に泣き腫らしていて、まるで兎のようだった。
「失敗?」
私は思わず分かり切っていることを尋ねてしまい、自分で勝手に狼狽した。秀三はがっくりと肩を落とし、また地面に目をやる。
「峰山くんは僕が早野部長に告白したと気付いてるんだね。はは、ばればれだったのかね、僕の恋愛は」
自己を嘲笑う秀三は痛々しくて、私は見ていられなかった。
「僕はついさっき、彼女に告白して、ものの見事に振られたよ。『秀三ちゃんは恋愛感情の対象にはならないよ』だってさ。やれやれ、完膚なきまでに叩きのめされた。KO負けしたボクサーの気分が骨の髄までよく分かるよ。僕は、あの人の彼氏になれなかった――」
語尾が震える。小康状態にあった激情が、またぶり返してきたとでもいうように、秀三は声をうねらせた。感情に任せて、濡れた拳で湿った膝を叩く。
「僕は! 1年のときからずっと、あの人に憧れてたんだ! 他のどんな男にも負けない、本当に心からの愛情を持って、早野部長を慕ってきたんだ!」
そこに涙がぽつぽつと落ちていった。泣いている。あの先輩読書部部員が、秀三が、今慟哭している。私は胸が苦しくて切なくて、そんな彼を直視できなかった。だが同時に、目を背けることもどうしたって不可能だ。
秀三は壊れた声音で思いのたけを吐き出し続けた。そうすることでまた思い出し、傷口を悪化させると知りながら、それでもやめられないのだろう。
「彼氏がいるなら分かる。それなら潔くあきらめるさ。でも、あの人はずっと一人だった。僕にもチャンスがあるって思ったって、特別おかしくなんかないだろう? それなのに、結局あの人は僕の想いに応えてはくれなかった。僕に振り向いてはくれなかったんだ!」
手袋に覆われた拳が、太ももの上で震えている。ややあって、疲れ切ったようにこぼした。言葉の刃で自らを切り刻む。
「なあ峰山くん。僕は、そんなに駄目な男なのかな……。早野部長のお眼鏡には叶わない、とてつもなく情けない男なのかな……。そんなに僕は、だらしない、魅力のない、男として異性の気をひくものがない男なのかな……」
気がついたとき、私は秀三を抱き締めていた。座っている彼の頭が胸へと当たる。戸惑ったような秀三の声が、そこから立ち上った。
「み、峰山くん?」
私は決然と言い放った。
「好き」
「え?」
「好き!」
私はきつく腕に力を込めた。自分が涙を流していることに、まばたきすることでようやく気がつく。自力で止められなかったが、今はそれより秀三だ。
「峰山くん、まさか、僕のことが……?」
「うん。大好き」
秀三が今度は本気でうろたえる。しどろもどろに口にした。
「え、ちょっと待って。頭が混乱して理解が追いつかないんだけど……。峰山くんが、僕のことを、好き。……え? 何で?」
雪ですっかり濡れそぼっている秀三の頭髪に、私はいとおしく頬ずりした。
「本気。秀三は、いつでも。どんなときでも」
「それが好きになったポイントってこと?」
「肯定」
「は、はは……ありがとう。信じられないよ」
「本当」
「うん。分かった。もういいから、放して。もう大丈夫だから」
秀三の声が、普段どおりとはいかないまでも、それでも力強さを取り戻していることを私は確認した。ゆっくりと離れる。秀三の目は曇った眼鏡の奥で、笑っているのか、悲しんでいるのか。急に不安になって、せっつかれるように私は問いかけた。
「返事」
秀三は苦笑した。どちらとも取れない笑い方だった。
「ふうん。いいわよ。夕方は予定ないし、ね」
秀三は明らかにほっとした様子だった。
「ありがとうございます。『後回し』にはしないでくださいね。約束ですよ?」
「はいはーい、分かってるわよ」
私は秀三が早野部長に告白する気なのだと察した。胸中はぐちゃぐちゃにかき混ぜたルービック・キューブのように混沌としている。
成功してほしい、という気持ちは確かにある。秀三は早野部長だけを真っ直ぐ見てきた。この1年間だけでも、痛いぐらいに真摯に、力強く。秀三の願いが叶うことは、私の喜びでもあった。彼の底抜けの笑顔を、私は見てみたかった。
だが、失敗してほしい、という気持ちも無論ある。秀三が早野部長を想うように、私もまた秀三を想ってきた。早野部長に秀三を取られたくない。秀三に、自分のそばにいてほしい。身勝手なわがままだと承知している。自分が秀三の彼女になるには、たとえば無愛想過ぎるとか、単語返事するだとか、いろいろふさわしくないことも自覚している。
心の天秤の左右の皿に、それぞれの気持ちを載せてみる。私は自分が嫌になった――指針はやはり、失敗を願う気持ちのほうへと傾いたのだ。
二人が帰っていって、部室には私が一人残された。さて、読書部には問題があった。今年の4月、あと4人の追加部員を獲得できなければ、部活動の規定人数である6人を満たせず廃部となってしまうのだ。
秀三は早野部長と付き合うことになっても、読書部に残り続けるし、存続に全力を尽くすだろう。それは間違いない。だがそんな読書部が続いたとして、果たして自分は残っていられるだろうか。他人を向いている秀三の前で、あくまで平気な振りをして文庫本の世界に没頭できるだろうか。その光景を思ったとき、寒々とした空気が全身を包み込んできたような気がした。どうやら無理そうだ、と自嘲する。
窓の外にちらつき始めた雪を眺めながら、私はぼんやり時を過ごした。外は真っ暗になり、やがて時計の針が午後5時半を回る。下校時刻だ。私は戸締まりし、職員室に鍵を返却すると、雪の降る中を帰宅の途についた。
辺りでは圧倒的な闇を前に、街灯や看板の光が空しい抵抗を続けている。白い粒がその真っただ中を、ただただ無音で降り続いていた。息が白い。私は早く帰って、熱い風呂で全ての感情を洗い流してしまいたいと願った。天然の絵の具で白く塗装された道を歩いていく。
そのときだった。街灯の明かりの中、雪が降り積もるベンチに、うなだれて動かない秀三の姿を発見したのは。
まるで椅子に座る人間の彫像と化している。髪にも肩にも雪が降り積もっていた。想い人の無残な姿に、私は居ても立ってもいられず、駆け寄って乱暴に彼の雪をはたき落とす。それで気がついたとばかりに、秀三が私の顔を見上げた。
「峰山くんか」
その目は真っ赤に泣き腫らしていて、まるで兎のようだった。
「失敗?」
私は思わず分かり切っていることを尋ねてしまい、自分で勝手に狼狽した。秀三はがっくりと肩を落とし、また地面に目をやる。
「峰山くんは僕が早野部長に告白したと気付いてるんだね。はは、ばればれだったのかね、僕の恋愛は」
自己を嘲笑う秀三は痛々しくて、私は見ていられなかった。
「僕はついさっき、彼女に告白して、ものの見事に振られたよ。『秀三ちゃんは恋愛感情の対象にはならないよ』だってさ。やれやれ、完膚なきまでに叩きのめされた。KO負けしたボクサーの気分が骨の髄までよく分かるよ。僕は、あの人の彼氏になれなかった――」
語尾が震える。小康状態にあった激情が、またぶり返してきたとでもいうように、秀三は声をうねらせた。感情に任せて、濡れた拳で湿った膝を叩く。
「僕は! 1年のときからずっと、あの人に憧れてたんだ! 他のどんな男にも負けない、本当に心からの愛情を持って、早野部長を慕ってきたんだ!」
そこに涙がぽつぽつと落ちていった。泣いている。あの先輩読書部部員が、秀三が、今慟哭している。私は胸が苦しくて切なくて、そんな彼を直視できなかった。だが同時に、目を背けることもどうしたって不可能だ。
秀三は壊れた声音で思いのたけを吐き出し続けた。そうすることでまた思い出し、傷口を悪化させると知りながら、それでもやめられないのだろう。
「彼氏がいるなら分かる。それなら潔くあきらめるさ。でも、あの人はずっと一人だった。僕にもチャンスがあるって思ったって、特別おかしくなんかないだろう? それなのに、結局あの人は僕の想いに応えてはくれなかった。僕に振り向いてはくれなかったんだ!」
手袋に覆われた拳が、太ももの上で震えている。ややあって、疲れ切ったようにこぼした。言葉の刃で自らを切り刻む。
「なあ峰山くん。僕は、そんなに駄目な男なのかな……。早野部長のお眼鏡には叶わない、とてつもなく情けない男なのかな……。そんなに僕は、だらしない、魅力のない、男として異性の気をひくものがない男なのかな……」
気がついたとき、私は秀三を抱き締めていた。座っている彼の頭が胸へと当たる。戸惑ったような秀三の声が、そこから立ち上った。
「み、峰山くん?」
私は決然と言い放った。
「好き」
「え?」
「好き!」
私はきつく腕に力を込めた。自分が涙を流していることに、まばたきすることでようやく気がつく。自力で止められなかったが、今はそれより秀三だ。
「峰山くん、まさか、僕のことが……?」
「うん。大好き」
秀三が今度は本気でうろたえる。しどろもどろに口にした。
「え、ちょっと待って。頭が混乱して理解が追いつかないんだけど……。峰山くんが、僕のことを、好き。……え? 何で?」
雪ですっかり濡れそぼっている秀三の頭髪に、私はいとおしく頬ずりした。
「本気。秀三は、いつでも。どんなときでも」
「それが好きになったポイントってこと?」
「肯定」
「は、はは……ありがとう。信じられないよ」
「本当」
「うん。分かった。もういいから、放して。もう大丈夫だから」
秀三の声が、普段どおりとはいかないまでも、それでも力強さを取り戻していることを私は確認した。ゆっくりと離れる。秀三の目は曇った眼鏡の奥で、笑っているのか、悲しんでいるのか。急に不安になって、せっつかれるように私は問いかけた。
「返事」
秀三は苦笑した。どちらとも取れない笑い方だった。
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