彼女は小石

よなぷー

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故郷02

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「小石と呼んでください。篤彦さんがつけてくれた『田辺小石』が、今の私の本名ですから」

「うん、そうだね。……小石さんはきっと、当時の人々が神秘的な呪術か何かで、きっとその心を――生きたままなのかか殺害した後なのかどうかは不明だけれど――石ころの中に閉じ込めた結果なんだと思う。その目的はやっぱり、小石さんの広く『見る』力による万全な警備を、掌中に収めるためだったんじゃないかな」

 大蔵部長は僕の意見を賞賛した。

「なかなかの推理だね、田辺くん。『平穏なる楽園を築く』。この鳥居は人目を隠れるようにこっそり小さく建てられている。多分当時ここに住んでいた人々は、そんな大きな集団じゃなかった。この周りに小さい集落を作り、山脈を盾として、いくさの影におびえながら、小石くんのお告げを頼りに隠れるように細々と暮らしていたんだ。森の恵みがあるから、ひもじかっただろうが、少人数が食べていけるにはどうにかなっていたんだろう。その総数は、たぶん10人から30人ってところかな。まあ、これは僕のつたない推測だけどね」

 僕は夕闇に溶け落ちそうになる周辺一帯を眺めた。一つの疑問が脳裏に浮かび上がる。

「でも、この鳥居の周りには家屋の形跡はありません。長年の風化で崩れてしまったんでしょうか」

「それにしたって痕跡ぐらいはあるだろう。それすらないとすると、何か事情があって家屋を壊し、跡形もなくしてしまったんだと思う。そうなるとこの場所を見限って、どこか別の場所に移住していった可能性もある」

「小石さんを小箱に入れたのは?」

「もちろん月光で人間の姿になるのを防ぐためだよ。人間の姿のときは『見る』ことができないからね」

「……だいぶ分かってきましたね。小石さんが記憶喪失になったのは、きっと置き去りにされたときですよ」

 僕は考え考え思考を台詞に変換する。

「その理由なら何となく推測が付きます。人々が、自分たちの移動先を、ならず者たちに知られないようにするため、小石さんの記憶を何らかの手段で消去したんです。小石さんは広い領域を見渡せますからね。行く先を野盗たちにしゃべられたら困りますから、ここに住んでいた人々の記憶も、小石さんがもとは人間の女の子であったことすらも、綺麗さっぱり消したんです。その、呪術を使って……。でも、何で小石さんを持っていかなかったんだろう。どうしてここに置き去りにしたんだろう」

 僕の思索がずるずる先へと延びるのを、大蔵部長はやんわり牽制けんせいした。

「さてね。今まで話してきた僕らの推測が、極端に間違っている可能性だってないとは言い切れない。あんまり先走りは軽率だよ、田辺くん」

「はい……すみません」

 僕は空を眺めた。月が星々を従えて輝き始めている。黄昏たそがれどきだった。もうそんな時間か。

「日が暮れますね」

「背負い袋から蚊取り線香とレジャーシートを出したまえ。今日はこの小さな鳥居の下で眠ろう。早朝また探索して、さらに何か手がかりがないか発見に全力を尽くすんだ。何しろ、僕らは山中の行軍でへとへとなんだからね。食事を済ませてとっとと寝るとしよう。人間、休むことも大事だよ」

 僕はそこでふと気がついた。

「あれ、ちょっと待ってくださいよ。今日は月夜です。小石さんに人間になってもらいましょうよ」

「おっとうっかりしていた。そうだね、僕も久しぶりに見てみたい。小石くん、どうかね?」

「はい!」

 僕はポケットから小石さんを取り出し、月光にさらした。途端に猛烈な光とともに、緑色の長髪で紺色の着物の可憐な少女が現れる。赤い腰布がふわりと垂れ下がった。大蔵部長が黒縁眼鏡をかけ直す。

「何度見てもこの変身には慣れないな」

 僕らはシートの上に座り、食事を取り始めた。見事な月が頭上で陽光を反射している。星たちは宝石箱をひっくり返したかのように、漆黒の中できらめきを放って明滅していた。小石さんが正座してそれを見上げている。

「……お二人のお話を聞いていて、思っていたよりいろいろ分かって、びっくりしてしまって……。私、約900歳だったんですね。おばあちゃんですね」

 僕は苦笑した。サバの缶詰を慎重に開く。

「いや、小石さんは十代半ばのままだよ。僕が中学3年のとき、小石さんの声を少しお姉さんくらいの年齢かなと感じたけど……。僕が成長して、何だか同年代になっちゃったみたいだね」

 大蔵部長が水筒の紅茶をフタで飲んだ。乾いていたであろう喉を鳴らす。

「どうだね小石くん、コーンの缶詰は美味しいかね?」

「はい! お月見のときには味わえなかった、水気のある食べ物で、歯ごたえがあって……。とっても美味しいです」

「それはよかった。じゃんじゃん食べてくれ。……それで、何か思い出したかね? きみがしずくんとして生きていた頃の記憶。石ころに封じられたときの記憶。人々が去ったときの記憶。後思い出してほしいのは、この3点だけなんだが」

「いいえ。何だかここに再びやってきて、かすかに……そう、かすかに脳裏に浮かび上がりそうな光景があるんです。でも、何だか不明瞭で、手が届きそうで届かなくって……。もどかしい限りです」

 僕は小石さんにサバ缶を勧めつつ、できるだけの柔らかな声でいたわった。

「小石さん、気に病むことはない。ゆっくりでいいんだ。あ、寝袋は二つしかないから、小石さんには悪いけど、眠るときは石ころに戻ってね」

「はい。というか、私は今まで眠ったためしがありませんから。篤彦さんのポケットの中で、一晩じっくり記憶を探ってみます」



「ぐおー……。ぐおー……」

 大蔵部長は肝が据わっているのか、シートに寝転ぶなり、あっさりと眠ってしまった。一方の僕はなかなか寝付けず、これまで明らかになった小石さんの過去を思い返していた。

 かつてここで暮らしていた人々は、索敵に使うため、まだ十代半ばだったしずさん――小石さんを『鎮守石』という名の石ころに封じ込めた。石ころになって利用されるためだけにまつられるなんて、誰だって嫌だったに違いない。小石さんは犠牲者だ。その頃の記憶を消されたのは、むしろ幸いというべきか。辛い記憶にさいなまれることがないのだから……

「篤彦さん、部長さん、まだ起きてますか?」

 緊張感にいろどられた小石さんの声が、僕の頭に響き渡る。

「小石さん? うん、僕は起きてるよ。どうかした?」

「何か近づいてきています。獣じゃなくて、人でもなくて……」

「何だい、それは」

 僕は起き上がって、大蔵部長の肩を揺さぶった。彼はいびきを止めて目覚めると、寝ぼけまなこをこすりながら眼鏡をかける。

「どうしたんだね?」

 小石さんの声が恐怖と狼狽で切迫していた。

「それが……その……真上から、怪物さんが……!」

「怪物?」

 ハモってしまった。大蔵部長は懐中電灯の光を鳥居の上に向けた。そこには……

「なっ、何だ?」

「ば、化け物……!」

 鳥居の上には、獅子の頭に熊の前脚、狼の胴体に鳥の翼、蛇の尻尾を振ってこちらを見下ろす、巨大なまがまがしい物のがうずくまっていたのだ。重苦しい声が頭の中に飛び込んでくる。

『ご苦労だった。しずを連れ帰ってきてくれて……』

「に、人間の声? き、貴様は何者だ!」

 大蔵部長が自分を鼓舞するように怒声を放つと、怪物は見透かしたように失笑した。

『俺は元人間の彦五郎ひこごろう。しばらくお前らを闇夜に溶け込んで眺めさせてもらっていたが、どうやらしずの敵ではないらしいと思ってな。安心しろ、さしあたって取って食おうとは思っておらぬ』

 小石さんがかすれ声を出した。

「彦五郎さん……。その名前は、確かに……聞き覚えがあります」

 大蔵部長と僕は仰天した。

「えっ?」

「こ、小石さん? 思い出したのかい?」

「何だか苦しい……あとちょっとで、思い出せそうな気が……。彦五郎さん、あなたは私のことをご存知のようですが、いったい私とどんな関係だったのですか?」

 返事は間髪を入れなかった。

夫婦めおとだ』

 またまた大蔵部長と僕は驚愕に平手打ちされる。

「へっ? 結婚していたってのかい? この化け物と……?」

「ひ、彦五郎さん! あんた、何を馬鹿なことを……!」

 彦五郎は俊敏な動きで地上に降り立った。見るからに忌まわしい。複数の動物を継ぎ接ぎした姿には、言い知れぬ恐怖と不快感をそそられる。

 彦五郎は一歩前に出た。僕と大蔵部長はそれに合わせて一歩しりぞく。嫌悪と戦慄で背中は汗がにじみ、動悸はなかなか静まらなかった。小石さんが呆けている。

「あなたが、私の旦那様……?」

 彦五郎のつぶやきには、自嘲の波動が含まれていた。

『さっき見た人間の姿のしずに、俺は心ときめいた。昔を思い出して、取り戻したくなった。やはり俺はしずが好きなんだ。人間時代のようなこんな浅ましい感情、とっくに捨てていたと思っていたがな』

 僕はごくりと唾を飲み込んだ。

「彦五郎さん。あなたは小石さんの過去を知ってるんですね。話していただけますか?」

 獅子は重々しく答える。

『いいだろう、お前らの苦労への返礼としてな。あれは遠い遠い昔のことだったが、今でもはっきり思い出せる……』
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