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第2章〜芸州編(其の壱)

第22話

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「おお、六郎殿。貴殿が話してくださるのですか」
「この場限りにして頂ければ」
「分かりました。お約束致しましょう」
「では……。まず、若の叔父は信濃上田藩主である真田伊豆守信之さまでございます」
「な、な、なんと!?」
 一同が度肝を抜く。忠次郎も驚き「ガタッ」と襖に倒れかかった。
「六郎、何も叔父のことを言わなくても」
「いえ、ここは大事なところです」
「だ、大名のご血筋……」
「真田家は『天下分けめの大戦関ヶ原の戦い』にて、お家存続のために親子・兄弟が敵味方に分かれ戦いましてな」

 関ヶ原の戦いでは、俺の祖父昌幸と父幸村が西方へ、父幸村の兄信之が東方に属し戦った。祖父らは徳川秀忠を足止めするなど善戦したが本陣の敗戦により、敗軍の将として高野山九度山へ流罪となる。そして九度山で俺が生まれたという経緯を話した。

「我々にとっては雲の上のお話ですな」
「それからどうなりました?」
「九度山の生活は苦しくて、再々信之さまに援助して頂きながら何とか食い繋いできたが、14年経って我らは再び表舞台に立つことになるのです」
「いくさ……ですか」
「さよう。豊臣と徳川の大戦、大坂の陣でござる」

 大坂の陣では真田軍の活躍目覚ましく、徳川家康・秀忠親子も「あわや討死」と言われるまで追い詰めたが、徳川方の圧倒的な軍勢によって徐々に敗走していった。最後の手段である『豊臣秀頼公御出陣』を促すため父幸村の命を受け、俺は陣を離れ単身大阪城へ乗り込んだのである。

右大臣豊臣秀頼さまは若の説得に心動かされ出陣しようとされましたが、母君淀殿の反対でそれも叶わずでして……責任感じた若は最後まで右大臣さまの側で仕えたのです」
「我々では計り知れない御苦労をなさったのですね。その若さで……」
「さよう。そして若は右大臣さまの最後を見届け、敵軍を蹴散らしながら逃走したのです」

 さて、ここからが肝心な話である。六郎がどう言うのか気が気でなかった。

「結局、徳川の残党狩りに敵わず逃走を諦めた若は謹慎処分となり、幕府の意向でここに居るのです。この地が選ばれたのは豊臣家に恩のある福島正則さまが、若を不憫に思って申し出た次第。但し、若を監視する一方で援助する気は無いものと思われます。これは叔父である信之さまもしかり」
「で、では藩からの扶持米は無いと? 何故?」
「これまで再三にわたり徳川に歯向かってきたのです。流石に表立っては援助できない。そのように幕府を気遣っているのかと」
「なるほど、そういう事情があるのですな」
「ただ、あくまでもでござる」
「と言いますと?」
「真田家が大名として徳川家から信頼されてるのは、常に我らを叩き潰してるからに他ならない。これは真田家の戦略なのです。決して仲違いしてる訳ではございません。よっていつか必ず手を差し伸べられる。……どうかそれまで我らをお頼み申す」
「六郎殿、つまり真田さまは信濃に帰られると?」
「信濃、もしくは若の姉弟を保護している仙台かもしれません」

 大坂夏の陣で敗北を悟った父幸村は、兼ねてから親交のあった伊達家重臣である片倉重長に俺の姉(阿梅)や弟(真田守信)を託した。なんと敵将に保護して貰ったのである。

 六郎、信濃や仙台などちょっと楽観過ぎないか?

 俺は言葉を選びながら口を開いた。
「全ては幕府の意向次第だ。悪い方に捉えれば「切腹」もある。だが俺はこの芸州にて生涯謹慎したいと思っている。そのために山村でお役に立ちたいのだ」

 暫くの沈黙の後、忠兵衛が意を決したように言葉を発した。
「よおく、分かりました。藩の扶持米など当てにしません。真田さまはこの山村の警護役として、ここに居る我々が生活を支えて行きまする」
「その通りでございます。この面前、山村の庄屋として警護への謝礼米を納めさせて頂きます」
「神田家からも同じく!」
「ありがとう、皆さん。お世話になり申す」
「ははっ」

 福島正則公の申し出など1部想像の話もあったが、大体大筋はあっている。だが肝心の芸州藩襲来の話はできない。もしそこで逃げたら、やはり山村に迷惑を掛けることになる。そう考えると俺は逃げる気を失っていた。その時が来たら諦めるしかないのか……。いや、その時が来ないことを祈りたい。

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