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第3章〜芸州編(其の参)〜

第33話

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「辰三郎!! 気をしっかり持て!!」
 辰三郎は意識がなかった。俺は彼を背負い河岸へと向かいたいところだが、水の勢いでなかなか進めない。大岩に引っかかった流木にしがみつくので精一杯なのだ。そうもどかしく立ち往生してる時だった。
「ゴオーーッ、バジャン、ゴオーーッ……!!」
 溜池の水門が崩壊した勢いで大量の泥水が流れ込んできた。
「ああっ……!!」
 その瞬間、俺と辰三郎は濁流へのみ込まれた。
「わ、若ああああああーー!!」

──そして気を失った。

 濁流の凄まじい音は高台にある神社まで聞こえ、避難した領民らが集まり不安そうに山村を見下ろす。
「忠次郎さん、凄い濁流ですよ!!」
「これ……ついに溜池が決壊したのか?」
「そりゃマズイでしょ!! これ以上氾濫すれば被害がどんどん増える。民家が流され、田畠が壊滅します!!」
「忠吾郎、こんなに長く続く豪雨は初めてだ。悔しいがどうしようもない!!」
「大助さまは、大丈夫でしょうか……!?」

***

 皮肉なことに溜池が決壊した直後から雨は止み、昼過ぎに野分台風は通り過ぎていった。だが、山村は悲惨な爪痕を残してしまった。村の低地は冠水したままで、民家など跡形もなく流され、田畠はほぼ全滅している。

 その頃、辰二郎が全身ずぶ濡れになりながら、忠次郎らの居る神社へやって来た。悲痛な面持ちである。辰二郎は辰太郎、辰三郎とは違い、山村で悪業を積み重ねていた「悪童」ではなかった。そのため、村の有力者である面前、神田、国宗らの彼に対する印象はさほど悪くはない。

「忠次郎殿……その……お詫びをしに参った」
「あ、貴殿は富盛の……決壊のことですか? いや、あそこまでよく我慢なされた。あの豪雨では致し方ないと存じます」
「それを詫びるつもりはない」
「……では何を?」
「決壊した時、辰三郎が濁流に流され……そ、それを助けようと……真田殿が川へ飛び込んだ……」
「ななんですとっ!! で、どうなりました!?」
「2人とも行方が分からない。……もはや」
 辰二郎は首を横に振った。その意味の重大さに皆が静まり返る。

 やがて、忠吾郎が大声で叫んだ。
「嘘だあああっ! 大助さまが、大助さまが!!」
「忠吾郎、落ち着けえ! 辰二郎殿、六郎さまは!?」
「六郎殿はまだ捜索している。いや、我らもだ。だが、見つからないのだ。申し訳ない……」
「そ、そんなあ……」
「わーーっ!! 僕の師匠があああっ!! こんなことってあるのかあ!! ちきしょうーー!!」

 そこへ給士していた女衆が割って入った。
「うるさい忠吾!! 大助さまは大丈夫よ!!」
「お、お久さま!?」
「大丈夫に決まってる!」
 お久は涙をこらえ気丈に振る舞う。その決意に押され、皆が暗い雰囲気から前向きな姿勢へと変わっていった。
「よ、よし、我らも捜索に出よう!」
「おお、そうじゃ、そうじゃ!」
 だが領民たちの空元気をよそに、村の有力者である面前、神田、そして忠次郎の父忠兵衛がこれを制した。
「あー待て、忠次郎、大事な話がある」
「父上?」
「今は緊急事態じゃ。村方三役で今後のことを話し合うのだ。……富盛殿にも加わってもらいたい」
「……儂も?」

 山村の被害は計り知れなかった。宮迫神社以外で避難している領民の安否確認も取れていない。また民家や田畠がどれだけ被災されたか分からない状況である。だが間違いなく平地に構える面前、神田家の被害は相当のものだと推測された。

「庄屋の役を国宗家にお渡ししたい」
「えっ!?」
「そう代官殿に願おうと思う」
「ど、どういうことでしょう?」
「忠次郎、田畠は壊滅だ。我が国宗は材木で成り立ってる故、まだ財政に余裕がある」
「神田としましても、三役から外させて頂きたく」
「な、何で?」
「皆様のお力添えを頂きながら、復興する為でございます。村の運営に携わる余裕はありません」
「そこで新たに富盛殿、是非にでも組頭になって頂きたい」
「……我らが? いやそれは兄上に相談しないと」
「辰二郎殿、今は財政、土木建築に優れた家が中心となり、この村を立て直す時です。そう辰太郎殿にお伝え願えますか?」
「は、はあ」
「厳島から職人を何人か戻そう。それから忠次郎、お前が庄屋を代行しなさい」
「私が……そんな大役、父上がなさってください」
「無論、私が庄屋だ。だが復興に専念したい。お前は村の運営や代官殿との交渉、そして年貢徴収を任せる」
「ち、ちょっと……ああ……はたして私にできるでしょうか。……大助さまが居ないと不安だよお」 

 庄屋(名主)の選出は、藩より家格で任命される場合が多かったが年番交替や農民の入札制によるなど様々であった。
 また庄屋は、村の代表であるとともに年貢の徴収、農民の統制にもあたる。そう言う意味では藩支配の末端職でもあり、その地位は2面性をもっていた。

 ここ山村は野分の災害を機に庄屋(国宗)、組頭(富盛)、百姓代(面前)という新体制で復興に向け動き出したのである。
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