宝刀と共に消えた落武者──真田大助の秘史

鼻血の親分

文字の大きさ
33 / 57
第四章 芸州編 敵が味方か

第33話 濁流とともに

しおりを挟む
「辰三郎、辰三郎っ! 気をしっかり持て!」

 辰三郎はぐったりと意識を失っていた。俺は彼を背負い、何とか河岸へ向かおうとしたが、水の勢いが強すぎて思うように進めない。足元は滑り、全身に押し寄せる濁流が体力を奪っていく。辛うじて大岩に引っかかった流木にしがみつくのが精一杯だ。焦りと苛立ちで胸が締めつけられる中、どうにも身動きが取れず立ち往生していた。

「ゴオーーッ、バシャーン、ゴオーーッ……!」

 その時だった。溜池の水門が完全に決壊し、大量の泥水が新たな濁流となって押し寄せてきた。
「ああっ……!」
 咄嗟に声を上げるも、すさまじい水圧が俺たちを一瞬でのみ込んだ。

「わ、若ああああああーーーっ!!」
 遠くから六郎たちの叫び声が聞こえた気がしたが、それも濁流の轟音にかき消されていく。

 ──そして、意識が途切れた……


 濁流の轟音は高台にある神社まで響き渡り、避難している領民たちが不安げに山村を見下ろしていた。
「忠次郎さん、すごい濁流です! こんな光景、見たことないよ!」
「これ……まさか溜池が決壊したのか?」
「いや、まずいでしょ! このまま氾濫が続けば被害はさらに拡大します! 民家が流されるだけでなく、田畑も壊滅してしまいますよ!」
「忠吾郎、こんなに長くて激しい豪雨は初めてだ……。悔しいが、こればかりはどうにもできん」
「大助さまは、ご無事なのでしょうか?」
「……」
 言葉を失いながらも、誰もが心の中で安否を案じていた。

 皮肉なことに、溜池が決壊した直後から雨は止み、昼過ぎには野分台風も通り過ぎていった。しかし、その残した爪痕は山村に深い悲しみを刻んでいた。低地の村は広範囲にわたって冠水し、民家は跡形もなく流され、田畑もほぼ壊滅状態となっている。

 その頃、辰二郎が全身ずぶ濡れになりながら、忠次郎らのいる神社へ駆け込んできた。彼の表情は悲痛そのものである。辰二郎は、兄の辰太郎や弟の辰三郎とは異なり、村で悪事を働く「悪童」ではなかった。そのため、面前家、神田家、国宗家といった村の有力者たちも、彼に対しては特に悪い印象を抱いていない。

「忠次郎殿……その……お詫びをしに参りました」
「あ、貴殿は富盛の方ではありませんか。決壊の件でしょうか? いや、あそこまで持ちこたえられたのは立派でした。この大雨では仕方ありませんよ」
「……それを詫びに来たのではありません」
「では、一体……?」
「決壊の際、辰三郎が濁流に流され……そ、それを助けようと……真田殿が川へ飛び込まれました……」
「なっ、なんですとっ! それで、二人はどうなったのですか!?」
「……濁流とともに二人は行方不明のままです。もはや……」

 辰二郎は首を横に振り、沈痛な面持ちで言葉を飲み込む。その意味の重さに、その場は一瞬で静まり返った。

 やがて、忠吾郎が大声で叫び出す。
「嘘だあああっ! 大助さまが、大助さまがあっ!」
「忠吾郎、落ち着けえ! 辰二郎殿、六郎さまのご様子はどうなのですか!?」
「六郎殿もまだ捜索を続けています。いや、我々全員で探していますが……見つからないのです。本当に申し訳ありません……」
「そ、そんな……」
「わーーっ! 僕の師匠があああっ! こんなことがあっていいのかあ! ちきしょうーー!」

 その場の混乱を見かねた給仕の女衆が割って入った。
「うるさい忠吾っ! 大助さまはきっとご無事よ!」
「お、お久さま!?」
「絶対に大丈夫! そんなこと信じられるものですか!」
 お久は必死に涙をこらえ、毅然とした態度でそう言い放った。その気丈な姿に触発され、その場にいた人々の表情も次第に変わり始めた。

「よ、よし、我々も捜索に出よう!」
「そうだ! 大助さまを探すぞ!」

 しかし、そんな領民たちの空気とは裏腹に、面前家、神田家、そして忠次郎の父・忠兵衛が静かに制止の声を上げた。
「待て、忠次郎。大事な話がある」
「父上?」
「今は緊急事態だ。村方三役で、今後の対応を話し合わねばならぬ。……富盛殿にも加わっていただきたい」
「……私も、ですか?」

 山村の被害は計り知れなかった。宮迫神社に避難している領民以外の安否確認も取れておらず、民家や田畠の被災状況についても全容は分かっていない。ただし、平地に屋敷を構える面前家や神田家の被害は甚大であることが容易に推測された。

「忠兵衛殿、庄屋の役を国宗家にお渡ししたい。そう代官殿に願い出るつもりだ」
「うむ、致し方なしじゃな」
「えっ! ど、どういうことでしょう?」
「忠次郎、田畠は壊滅だ。我が国宗家は材木業で成り立ってるゆえ、まだ財政に余裕がある。復興を優先するには適任だろう」
「神田家としましても、三役から外れさせていただきたいと思います」
「な、なぜですか?」
「皆様のお力をお借りしながら、復興に集中するためです。村の運営に携わる余裕がありません」
「そこでじゃ。新たに富盛殿に組頭をお引き受けいただきたい」
「……我々が? いや、それは兄上に相談しなければ」
「辰二郎殿、今は財政や土木建築に長けた家が中心となり、この村を立て直さねばなりません。どうか、辰太郎殿にお伝えください」
「は、はあ……」
「厳島から職人を数名呼び戻そう。それから忠次郎、お前には庄屋の代行を任せる」
「私が……? そんな大役、父上がなさるべきです」
「無論、庄屋は私だ。しかし復興に専念したい。お前には村の運営、代官殿との交渉、そして年貢の徴収を任せる」
「ちょ、ちょっと……そんな……私にできるでしょうか。……大助さまがいないと不安で仕方ないよお……」

 庄屋名主の選出方法は藩による家格の任命が一般的であったが、年番交替制や農民による入札制が採用される場合もあった。また、庄屋は村の代表として年貢の徴収や農民の統制にあたる役目を担うと同時に、藩支配の末端職としての側面も持つ。そのため、この地位は二面性を帯びていた。

 ここ山村では、野分による大災害を機に、庄屋国宗組頭富盛百姓代面前という新たな体制が築かれ、復興に向けた動きが始まった。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

処理中です...