宝刀と共に消えた落武者──真田大助の秘史

鼻血の親分

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第四章 芸州編 敵が味方か

第32話 水門を守れるのか

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「ギシ……ギシ……」
 水門が水圧に押し潰されそうな音を立てている。それを命綱で身体をくくられた人々が必死に支えていた。溜池ためいけの水面はすでに限界を超え、畦道あぜみちに積み上げられたかます(土嚢)の高さまで水が達している。
 目の前の光景に俺は愕然がくぜんとするどころか、恐怖さえ覚えた。もはや、一刻の猶予も許されない状況だった。

 水門の脇では辰太郎が指揮を執っている。
「大助、平谷村がやられたらしい。まずいぞ」
「平谷……どこだ?」
「押村の北側にある村ですよ、大助さま」
「土砂崩れで水門が崩壊したらしい。そこは矢野郷に通じる川が主流だが、二郷川にも支流が流れ込んでいる」
「ということは、ここもさらに増水するのか?」
「ああ。だからといって、この水門の放流を止めるわけにはいかない。これ以上降れば、街道の半分が水没するだろう!」
「くそっ!」
 空を仰いで叫んだが、無情にも雨は勢いを増し、俺の顔に冷たく降り注ぐだけだった。

「……忠吾郎、関所へ伝令を頼む。直ちに避難指示を出せ」
「あ、はい!」
「伝令が終わったら神社へ戻れ」
「ですが、大助さまはどうされるのですか?」
「俺と六郎はここに残る。この水門が、この村を守る鍵だ」
「承知しました。それではお気をつけて!」

 忠吾郎が駆け出すのを見送り、俺は濁流を見つめた。辰太郎の指揮のもと、水門を守る者たちは疲れ切った顔でそれぞれの持ち場に立っている。それでも彼らの目には、諦めの色はない。
「六郎、俺たちも水門を支えるぞ。最後までな」
「ははっ!」

 明け方になると、雨脚はさらに強さを増していた。富盛の郎党たちは疲労困憊の様子を見せている。そんな中、追い討ちをかけるように押村からの伝令が駆け込んできた。
「押村の水門が決壊だあーっ!」
「濁流が押し寄せてくるぞー!」

「ゴオーーッ、バシャーン、ゴオーーッ……!!」

 泥水が波しぶきを上げながら流れ込み、その勢いは二郷川を越え、ついに街道へ氾濫した。
 山村の富盛家や国宗家は高台に拠点を構えているが、面前家や神田家の屋敷は平地に多い。一瞬で流される危険があった。俺は心の中で「避難しているはずだ」と願うしかなかった。

「大助、もう我らも限界じゃ。水門が持たん。開口を広げるぞ」
「辰太郎、この状況で本当に大丈夫か?」
「ああ、街道は既に氾濫してるが、さっきの濁流は少し治まり、水位が落ち着いてきた。今が好機だ」
「わかった、俺も手伝う!」

 この水門が崩壊するよりは、開口を広げて被害を最小限に抑える方が賢明だ。しかし、それは非常に危険な作業だった。水圧に耐えきれず扉が破壊される可能性がある。その際、人命が危険にさらされることも十分に考えられる。

「ここは本家が行う。辰二郎、辰三郎……頼むぞ」
「了解だ、任せてくれ!」

 辰二郎と辰三郎はそれぞれ縄で身体をしっかり括り、水門の左右に分かれて作業を開始した。俺を含む郎党たちは少し高台の位置に陣取り、彼らの命綱を握り締めて支えた。もちろん、俺たちも自分たちの身を守るため、縄を大木に繋いでいる。

「慎重にな、辰三郎!」
「分かっとる……が、扉が歪んでて開かんぞ!」
「仕方ない。中央に回り込んでこじ開けるしかないな」
「兄貴、それは危ないぞ! 流水に巻き込まれたら──」
「落ちても命綱がある。それで引き上げてくれれば大丈夫だ」
「……分かった、ワイも行く!」

 少しだけ開いた水門の隙間から、滝のように泥水が流れ出している。二人はそこへ手を突っ込み、全力で扉をこじ開けようと奮闘した。
「うおおおおおおおっ!」
「兄貴、少し開いたぞ!」
「もう一押しだ……っ!」

 ──その時だった。

「バギッ……バギバギバギッ……!」
「なっ……!? と、扉が……」
「ドオオオオオオオオオオオオオオーーッ!!」

 突然、水門の開口から溢れ出た猛烈な流水が、扉を破壊してしまった。濁流が一気に押し寄せ、その勢いで辰三郎が流されてしまう。
「辰三郎ーーーっ!」
 ググッと命綱が引っ張られる。しかし、その激しい力に命綱が耐えきれず、ついに千切れてしまった。
「ああっ!」
 辰三郎は濁流に呑まれ、茶色い川の中へと姿を消していく。
「……!」
 その場にいた全員が唖然あぜんとした。そんな中、俺は咄嗟に縄を解いて斜面を駆け下りた。
「若っ!  無茶ですぞ!」
「辰三郎ーーっ! 待ってろおおおお!」

 濁流に流される辰三郎を目で追いながら、俺は迷いなく泥流の中へと飛び込んだ。

「若ああああああーーっ!」



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