魔王(♂)に転生したので魔王(♀)に性転換したら何故か部下に押し倒された

クリーム

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魔王(♂)から魔王(♀)へ

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 かつてこの世界には、魔王と呼ばれる男がいた。
 彼は国のひとつを滅ぼすと、配下の者たちを引き連れて、大陸北部にある山の中へと姿を消したらしい。
 とはいってもそれはもう数百年も昔の話。やがて人々の記憶は薄れ、現在は半ば伝承のようにして語り継がれているだけである。
 しかし今この時も確かに魔王は存在しているのだ。虎視眈々と世界征服の時を狙って──

「やった!成功した……!」

 ……いるのではなく。
 周囲を深い森と霧に覆われた城のなか。魔王と呼ばれた《男》は、しかし少女らしい軽やかな声で歓喜の言葉を洩らす。
 矯めつ眇めつ眺めるのは鏡に映る自分の姿。それもまた《魔王》の名に相応しくないもの。少女らしく丸みを帯びた輪郭に、骨ばったところのない手、柔らかな肢体。膨らんだ胸を揉み、股間に手を伸ばし──《魔王》は深い感慨に視界が滲むのを感じた。

「ようやく、ようやく女に戻れた……!」

 長い戦いだった。長く永い、孤独な戦い。そうしみじみ呟く《魔王》はこの数百年を男として過ごしてきた。
 が、それより以前──いわゆる前世ではごく普通の女学生だった。にもかかわらず、気づくと一国を滅ぼした男の肉体に意識が乗り移っていたのだ。
 最初は悪い夢だとしか思えなかった。これは夢だ、目覚めたらいつもの日常に戻れるのだ──そう言い聞かせ、流されるようにして生き続けて幾星霜。気づけば数百年が経ち、現在へと至る。近頃では──といっても魔王換算なのでここ三十年くらいの話になるか──『もうこのままでもいいかな』と受け入れかけていたくらいだ。
 それがどうして今さら性転換など考えるようになったのか。……原因は《魔王》という職業にある。
 伝説上の魔王が姿を消して数百年。おとぎ話に恐れを抱くのは小さな子どもばかりになってしまった。未だに魔物と呼ばれる種族は生き長らえているが、力関係は完全に人類へと軍配が上がっている昨今。魔族の中にはそれをよしとしない者たちもいる。そんな彼らが魔王へ期待を寄せるのは無理からぬ話だろう。
 ……そう理解はしていても、応えられるかといったら話は別。平和主義者の元現代人はそこで一計を案じた。

 『そうだ、《女》になってしまえばいいんだ!』と。

 彼らが求めているのは、強くてカッコいい、魔族の象徴足りうる《魔王》だ。それが弱くて頼りない《少女》になったなら──彼らだって無謀な夢を見ることもなくなるだろう。そう思ったから、性転換を可能にする魔法なんてものの研究を続けてきた。誰にも悟られないよう密かに、実験には自分の身体を使って。
 それが今やっと実を結んだのだ。嬉しいやら何やらで涙ぐんでしまうのも致し方ないこと。

「……あんた誰?ここは魔王サマの部屋なんだけど」

 ……興奮のあまり、部屋に入ってきた人に気づかなかったのだって、仕方ない。

「セシリア……」

「そうだけど、気安く呼ばないで。質問に答えてよ。ここは魔王サマの研究室で、人間のオンナが入ってきていい場所じゃないから」

 顰めっ面で両腕を組むのは昔馴染みの女悪魔──セシリアである。
 元来気の強いたちである彼女だが、今日はいつにもまして刺々しい。不信感も露に、仁王立ち。疚しいことなどないはずなのに、(元)魔王の方が狼狽えてしまう。

「違うんだ、セシリア。俺……ううん、私が魔王なんだ。いや、魔王だった……って言った方が正しいかな」

「……は?」

「だから……」

 手元に残っていた小瓶のひとつを掲げ持ち、魔王は説明を続ける。

「この薬で女になったの。……信じてくれる?」

 窺い見ると、セシリアの眉間に刻まれたシワが一層深くなる。これじゃ美人が台無しだ。常々思っていたことだけど、セシリアはもっと笑ったらいいのに。
 ……なんて、言ったところで『誰のせいで』となじられて終わりだろうけど。

「……なんでそんなことを?」

「それは……いや、ちょっとした実験をしていたら偶然にも、ね」

「そのわりには落ち着いてるね。戻れるあてはあるわけ?」

「うーん、今のところはないかな」 

「……はぁ」

 心配しないでほしいという意味で言ったのに、大きな溜め息をつかれてしまった。
 それにしてもどうしてセシリアはこんなにも疲れた顔をしているのだろう?「人の気持ちも知らないで」と呟かれた言葉の意味を、魔王は知らない。

「あ、そうだ。せっかく女の子になれたんだから、名前も変えなくちゃ。セシリアは何がいいと思う?」

「そんな呑気なこと言って……、名前なんてなんだっていいでしょ」

「よくないよ、名前ってすごく重要なんだから」

 そういえば昔は色んな名前に憧れを持っていた気がする。映画の中の主人公やヒロインみたいな、意味のある名前。
 でも今思い出そうとしても、当時の記憶など霧の彼方。憧れの俳優すらおぼろげで、名前などとても思い出せやしない。まったく、せっかくの機会だというのに!残念無念極まりない。

「……なら《ティナ》はどう?」

「ティナ?かわいいけど、どうして?」

「……あきれた。自分の名前すら忘れちゃったの?あんたは魔王である前に《マーティン》でしょ。だからそこからとって、ティナ」

「なるほど……」

「どう?満足?」

「うん、ありがとう」

 ティナ、ティナか……。
 ちょっと可愛すぎるような気もしないでもないけど、旧知の仲であるセシリアが考えてくれたのだ。他に思いつくわけでもなし、『これでいいか』と《魔王》改めティナは微笑む。

「それじゃあ他のみんなにも教えに行こうかな」

「え、」

「ほら、いつ戻れるかわからないわけだし、報告はしておかないと」

 城には他にも幾人かの仲間たちが暮らしている。中には執事のような仕事を担っている者もいるし、教えておかなければ先程のセシリアのように不審者扱いされかねない。
 だからティナとしてはしごく当たり前の行動であったのだけれど、セシリアにとっては違ったらしい。
 「他の連中にも……」そう呟く顔がなんだかこわい。それこそ《魔王》なんかより、よっぽど。

「あの、セシリア……?」

「……これがその性転換薬なんだよね?」

「えっ、う、うん。そうだけど……」

 それはティナが答え終えるか終えないかのうちだった。セシリアはテーブルの上の小瓶を手に取ると、勢いよくその中身を呷った。ティナには止める余地などなかった。
 ごくり。一分の躊躇いもなく、毒々しい色の液体を嚥下する。その喉が上下するのを認めて、ティナは恐る恐るセシリアの名を呼ぶ。

「あの、大丈夫……?」

「だいじょうぶ、なわけないでしょ……!何これ、すっごくまずい!」

 その言葉遣いは先程までと変わりない。セシリアと同じものであったけれど、それ以外はまったくの別物であった。いや、瞬きのうちに別物へと変貌を遂げていた。

「うわ、声ひくっ!あぁでも、目線が高いのは結構いいかな……」

 セシリアといえば氷のように冷たい目が印象的な美少女だった。女性にしては高い身長の持ち主ではあったけれど、でも、今のティナでは首を傾けなくちゃその顔をまじまじ見ることすら叶わない。
 切れ長の目に、青みがかった黒髪。冷たげな印象は変わらないが、しかし今の彼女はどこからどう見ても眉目秀麗な青年でしかなかった。

「ほんとのほんとにセシリア?すごい、男の子みたい……」

「みたいじゃなくてホントの男になったんでしょ。あんたの作った薬のせいで」

「そっか。……ねぇ、ちょっと触ってみていい?」

「いいけど……」

 許可を得て、その胸へと手を添えてみる。
 当然だが、そこにはもう以前の柔らかさなど存在しない。あるのは固くて逞しい、男の肉体である。
 ついでに言えば男体化の過程で耐えきれなかったセシリアの服は見るも無惨な姿になって腰の辺りに引っ掛かっていた。容貌は元がセシリアなだけあってカッコいいから、もったいない。

「……あのさ、許可はしたけど、いつまでそうしてるつもり?」

「あぁ、ごめん。セシリアがあんまりにもカッコよくなっちゃったから、つい」

「か……っ」

 背中に腕を回して心音を確かめていると、息を呑む音がして、引き剥がされた。

「セシリア?顔が赤い……」

「それは……、って、誰のせいだと……っ」

「私?……もしかして副作用が出たの?」

「ちがっ」

「それはたいへん。とりあえず横になろう」

 セシリアが何か言っているみたいだけど、聞いている暇はない。早く休ませなきゃ。その一心で彼女──彼の手を引き、隣の部屋へと足を向ける。
 そこは簡易的な休憩室となっていて、ベッドも用意されていた。不幸中の幸いである。ティナは「さぁ、」とセシリアを振り仰いだ。

「ここで休んでて。解熱剤を持ってくるから」

「いや平気だって」

「あなたはそう感じてるかもしれないけど、他にも症状が出てる可能性がある。ほら、」

「やめ……っ」

 ティナとしては軽く腕を引っ張っただけのつもりだった。
 けれどどうしたことか。男になったばかりで力の加減ができなかったのか、踏みとどまろうとしたはずのセシリアが足を滑らせる。
 そしてその体はティナをも巻き込み──

「……私まで寝る必要はないと思うんだけど」

 なんだかおかしなことになってしまった。
 セシリアに押し倒された格好のまま、ティナは眉尻を下げる。抜け出そうにも思ったような力が出ない。まさか女に戻った弊害が早速現れるとは。
 だからセシリアにどいてもらう他ないのだけど、彼は彼で百面相。ティナの上で目を見開いていたかと思えば、今度はいやに真剣なかお。

「……こんなにちいさかったんだ、魔王サマって。こんなにちいさくて……か弱い生き物になっちゃったんだね」

 今更なことを噛み締めるように言って。
 それから彼はティナの頬に手を添えた。頬に、首筋に、腹に。しなやかでありながら固い指先が、なぜるように膚の上を伝っていく。
 まるで筆を走らされるキャンバスにでもなった気分だ。「くすぐったい……」と思わず洩れた声も、吐息混じり。呼吸が揺れて、身体がシーツの波に沈んでいく。そんな錯覚すら覚えてしまう。

「……やっぱり、男になってよかったよ」

「え……?」

「私が……俺が男にならなきゃ、あんた絶対、他のやつに奪われてただろうから」

 「無防備すぎる」と言われて、反論する前にその唇を塞がれる。

「今までは俺が《女》であんたが《男》で……。拒絶されたら絶対敵わないからって諦めてたけど。……でもあんたが《女》になったなら、我慢しなくていいよね」

 そう言って、彼はもう一度ティナに口づけた。柔らかいけれど、少し冷たい唇だった。
 ティナにわかるのはそれくらいのことだけ。驚きばかりが胸を占めていて、彼の言ったことの半分すら聞き取れなかった。
 ──それでも、ひとつ、確かなことは、

「……熱、なかったみたいだね」

 触れて、離れて。追いかけるようにしてその唇に指を添え、ティナは安堵の笑みをこぼす。
 自分の作った薬のせいで体調を崩してしまったのではないかと思っていたから、ホッとした。

「セシリアも他の名前考えないとね。セシリア……シシー、セシリー、セシル……セシルはどう?」

「いや、どうって……。ティナが好きなように決めてくれればいいよ。……ていうか俺いま、けっこースゴいことしたつもりなんだけど」

 「慣れてるの」と聞かれ、「まさか」と首を振る。ただ驚きすぎて、まだ受け入れきれていないだけだ。

「でも嫌じゃなかったよ」

「そ、そう……」

「……あなたこそどうなの?《魔王》じゃない私でも許してくれるの?」

 今までずっと、《魔王》のふりをしてきた。それなのに急に女になって、それでも構わないと本気で思っているのだろうか。
 そう訊ねると、「何を今さら」と反対に首を傾げられる。

「あんたは昔っから《魔王》らしくなかったよ」

 それはそれでどうなんだろう?
 疑問符の残る答えであったけれど、でも──まぁいっか。
 女になった魔王は深く考えることをやめた。──だって、心臓のドキドキが心地よかったから。





 いつから好きか──なんて、今ではもう思い出せない。気づいたら目で追っていて、いつの間にか心に巣食っていた。
 でもセシリアにはその想いを伝えるつもりはなかった。

「──魔王には、愛する人がいたんです」

 そう、聞かされていたから。

「愛する人……?」

「ええ、既にお亡くなりになっておりますが」

 魔王と呼ばれる人の過去を教えてくれたのは、彼の右腕である執事服の男だった。

「その方が不幸にも亡くなられたからこそ、彼は《魔王》となり、一国を滅ぼすに至ったのですよ」

「そう……なんだ」

 詳しくは聞かなかった。聞かなくたって、魔王の目に自分が映っていないことなどわかりきっていたから。傷つきたくなかったから、彼への想いも呑み込んだ。ぜんぶぜんぶ、自分のため。自己保身に走るような悪魔を、彼が好きになってくれるはずもない。
 なのに《彼》が《彼女》になってしまった。驚くほど無防備で、恐ろしいほどに頼りない、女の子に。
 その時はじめて気づいた。過去の想い人以外にも、この人が誰かに奪われる可能性があることに。その未来を想像して──自分でも信じられないほどドロドロした感情が込み上げて、溢れて、呑み込まれて──魔法の薬へと手を伸ばしてしまった。
 そこからはもう勢いだった。彼女──ティナの一挙手一投足に振り回されて、ドキドキして、ベッドの上にふたり倒れ込んだ時には自分が男になったことを痛感させられた。好きで、守りたくて、大切にしたくて、──なのに相反する感情もあって。
 なのに無理やり唇を奪っても、彼女は許してくれた。その上、『嫌じゃなかった』なんて────

「ティナ、すき、すきだよ」

 囁いて、腕のなかの小さな身体を一層つよく抱き締める。離したくない、離れたくない。夢みたいで、夢から覚めたくなどなかったから、少しの隙間も残したくなかった。
 なのにティナは「わかったから」と困り顔。嫌がっている……わけではないのだろうが、それにしてもつれない。
 ……セシリア──セシルとしては、今のうちに既成事実のひとつでも作ってしまいたいところなのだけど。

「言うだけなんだから許してよ。俺のことを好きになってほしいとまでは言わないから。……おねがい」

 こうしてティナの優しさに漬け込むしかないのが情けない。情けないけど、でも、どうしたって手に入れたいと思ってしまった。その欲に、悪魔の身では抗えなかった。
 予想通り、ティナは「うっ」と言葉につまった。でも『仕方ないなぁ』とはなかなか言ってくれない。「でも」と口ごもり、目を伏せる。髪と同じ、色素の薄い睫毛が震えた。

「そんなに言われると、……」

「ん?なに?」

「……あんまり心臓に負担、かけないで」

 ──心臓に悪い、と。
 そう言われ、今度はセシルの方が胸を押さえる羽目になる。
 『それはこっちのセリフだ』と叫びたいのを堪えて、代わりに吐いたのは深いため息。

「あんたの方がよっぽど心臓に悪いよ」

 額を小突くと、『わけがわからない』といった顔で首を傾げられる。そんな仕草すら今は可愛く見えてならなかった。

「あーもう、調子狂うなぁ……」

「何が……、」

 訊ねかけて、ティナは大きなあくびを洩らす。時計を見れば夜の九時。大人が寝るにはいささか早い時間帯。
 にもかかわらずティナのこの様子、「……もしかして徹夜した?」聞けば、彼女はあっさり頷く。

「実験がちょうどいいところだったから……」

「あんたって昔から熱中するとそうだよね……。ホント、目が離せない」

「昔からって……ずっとそんな風に思ってたの?そんな、手のかかる子どもみたいな……」

「子どもだなんて思ってないよ。……気持ちだけはずっと昔から変わらないけど」

 いつ好きになったかなんて思い出せない。でもいつもどこか遠くを見つめる、寂しげな目が気にかかった。いつも涼しい顔をしているのに、よくよく観察してみれば意外と分かりやすいことに気づいた。色々なことに気づいて、気づいたら離れられなくなっていて、こんな寂れた山奥での隠居生活にまで付き合うようになってしまった。
 セシルはちいさく笑って、組み敷いた少女の、その目元を親指の腹で撫でた。あくびのせいで滲んだ涙すら愛おしい。だから最初は彼女の押しに弱いところを利用して……、と思っていたはずなのに、今はそれ以上に大切にしたい気持ちの方が上回ってしまった。

「いいよ、このまま眠っても。さすがに寝込みを襲ったりはしないから」

「ありがとう……」

「その代わり、明日は一日俺に付き合ってよね。性転換したんだから、色々必要なものってあるでしょ。一緒に買い出し行こうよ」

「ん、約束、ね……」

 話しているうちにティナの瞼が重くなる。
 どんなに我慢してるかなんてこれっぽっちも理解していないって顔で、健やかな寝息を立てている憎らしい魔王さま。人の気持ちも知らないで、とセシルは口を尖らす。
 大切にしたいと思ったそばから、また狂暴な感情が首をもたげてしまう。こんな調子ではいつか酷くしてしまいそうだ。それもきっと、そう遠くはない未来に。

「まぁでも、約束は守らなくちゃね」

 悪魔らしからぬセリフを吐いて、セシルはティナの首筋に顔を埋める。
 ──とりあえず、今夜はこれまでで一番いい夢が見れそうだ。
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