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伯爵家編
深まる夜の闇
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裏庭から屋敷へ戻ると、舞踏室には疎らにしか人がいなかった。みな軽食をとりに出ているらしい。
──レオナルドさまはどこに行ったのかしら?
軽食の並ぶ部屋に顔を出してみても彼の姿は見当たらない。
廊下に出たメイベルは『落ち合う場所を決めておくべきだったわ』と、今更ながらの後悔。お陰で睦言を囁き合う恋人たちの脇を、気まずさを覚えながら通り抜ける羽目になった。
しかも広い屋敷の中、レオナルドのいそうな場所なんて検討もつかない。思えば彼のことなんて何も知らないのだ。好きなもの、嫌いなもの、そんなことさえ知らないのに、彼はメイベルに協力してくれた。
広間から遠ざかるほどに楽団の音色すら微かにしか聞こえなくなる。等間隔に並ぶ照明の灯り、それだけでは廊下の先までは照らすことができない。薄暗がりのなか、足音さえ絨毯に吸い込まれて──メイベルは咄嗟に近くの部屋に飛び込んだ。
「ここは……」
そこは図書室だった。公爵家らしく豊富な蔵書。古い紙の匂いがひしめく部屋のなか、メイベルは辺りを見回した。……人の気配はない。けれど、少しだけ息つくことができた。本の匂いは、嫌いじゃない。
──さて、これからどうしよう。
「……よかった、ここにいたんだね」
「……っ、レオナルドさま!?」
何とはなしに背表紙を目で追っていると、背後から声がかかった。
なんだかさっきから驚かされてばかりだ。メイベルは胸を押さえる。一生の心拍数は限られているというのに、これでは早死にしてしまいそう。
でも「よかった、探したんだよ」とホッとした様子で緩む目を見ると、文句は喉奥で溶けてしまった。
「よくここにいると分かったわね」
「ふふ、これが愛の力だよ」
「はいはい」
「って言いたいけど、従僕の一人が教えてくれたんだ。キミがこっちに行くのが見えたって。……どう?何か興味深い情報は掴めたかい?」
「いえ、私の方は代わり映えのしない噂話ばかりだったわ。あなたは?」
「こちらも意外性のあるネタはなかったかな。あぁでも、キャンディ嬢の母君についてはいくらか話が聞けたよ」
ここには二人以外の誰もいない。そんなことはお互いにわかっているはずなのに、レオナルドはメイベルの耳元に顔を寄せる。
ひそめられた声が、むず痒い。そんな考えは、続く彼の言葉によって吹き飛ばされた。
「どうやら彼女、王都に来る前は恋人がいたらしい。婚約寸前までの仲だったようだけど、伯爵に心変わりしちゃったんだとか」
「恋人……キャンディさまのお母さまに?」
そんな話、今まで聞いたことがない。メイベルは顎に手をやり、思考を巡らす。
恋人の裏切り、それは確かに恨みを持つ原因になりえる。けれど当の本人は既に亡くなっているし、となれば憎しみの矛先は伯爵や裏切りの結晶であるキャンディへと向かうのだろうか。
……わからない。どう考えるのが正しいのだろう?
「あの、」
レオナルドの考えを聞いてみたい。そう思って、顔を上げる。
そして、メイベルは目を瞬かせた。
「……あなた、少しお疲れなのではない?」
「え?そう見える?」
「わからないわ。ただ私はそう感じたというだけ」
気を抜いた瞬間に見せる表情に、疲労の気配があった。でも勘違いだったかもしれない。彼の好きなものも嫌いなものも、メイベルは知らないのだから。
けれど彼は「よくわかったね」と言って、笑った。
「まぁモテる男の悲しいさがというものさ。宿命だと思って、受け入れるしかない」
「……あなたこそ恨みを買ってるんじゃないかって、心配になってくるわ」
メイベルは目の前の書棚にポケットサイズの本があるのに気づき、それを抜き取った。
「どうやらあなたにはこれが必要らしいわね」
思い出したのはとある映画のワンシーン。実在したギャングの半生を描いた名作で、中でもこの場面は今でも強く印象に残っている。
迫る追っ手と近づく死に、しかし『後悔はない』と言って、自分を助けてくれた老夫婦に礼をいう場面。カントリー調の音楽が流れる中、撃たれながらも『あんたに殺られてよかったよ』と言って、死んでいく。涙なしでは語れない名シーンだ。
だからちょっと真似をしてみたくなった。もちろん、映画とはまるで状況が違うけれど。
「聖書?」
「ええ、護身用にも使えるでしょう?刺された時も撃たれた時もこれで安心よ」
そんな冗談に、何故かレオナルドは破顔する。「ありがとう、嬉しいよ」そう言って、いそいそと聖書を懐へ仕舞った。元々、彼の所有物なのだから喜ぶことではないだろうに、変な人だ。
「これからどうする?」
「ええっと、そうね……。キャンディさまのご様子でも見に行こうかしら」
「わかった、休憩室だね?」
レオナルドと共に休憩室のある通りへ向かう。
と、幸運なことに見知った顔を見つけることができた。
「あなたはキャンディさまの……、」
落ち着いた色合いながらも清潔感の漂う装い。一回り以上は歳上であろうその人は、キャンディつきのメイドだったと記憶している。
ということは、キャンディも近くにいるということだろうか?
「エミリさん、でしたわよね?」確認すると、彼女は驚いた様子で僅かに目を見開いた。
「はい。……まさかメイベル様に覚えていていただけるとは思いませんでした」
「キャンディさまが随分と頼りにされているようでしたから、印象に残っておりましたの。それに、とても素敵な方なのだろうと」
「あ、ありがとうございます、もったいないお言葉です」
なんだかひどく恐縮されてしまった。
やはりこの人はいいひとだ、とメイベルは確信を強める。こういう人が側にいてくれるということはキャンディにとっても心強いことだろう。
「キャンディさまは大丈夫ですか?その、お加減の方は……」
「人酔いされたようですが、ご心配いただくほどのことではございません」
「そうですか……」
「……お会いになっていかれますか?」
「ご迷惑ではありませんか?」
「とんでもございません」
信を置かれている彼女が言うのだから間違いはないだろう。
メイベルはレオナルドを振り仰ぎ、彼が頷くのを見てから「では、お願いできますか?」と答えた。
──レオナルドさまはどこに行ったのかしら?
軽食の並ぶ部屋に顔を出してみても彼の姿は見当たらない。
廊下に出たメイベルは『落ち合う場所を決めておくべきだったわ』と、今更ながらの後悔。お陰で睦言を囁き合う恋人たちの脇を、気まずさを覚えながら通り抜ける羽目になった。
しかも広い屋敷の中、レオナルドのいそうな場所なんて検討もつかない。思えば彼のことなんて何も知らないのだ。好きなもの、嫌いなもの、そんなことさえ知らないのに、彼はメイベルに協力してくれた。
広間から遠ざかるほどに楽団の音色すら微かにしか聞こえなくなる。等間隔に並ぶ照明の灯り、それだけでは廊下の先までは照らすことができない。薄暗がりのなか、足音さえ絨毯に吸い込まれて──メイベルは咄嗟に近くの部屋に飛び込んだ。
「ここは……」
そこは図書室だった。公爵家らしく豊富な蔵書。古い紙の匂いがひしめく部屋のなか、メイベルは辺りを見回した。……人の気配はない。けれど、少しだけ息つくことができた。本の匂いは、嫌いじゃない。
──さて、これからどうしよう。
「……よかった、ここにいたんだね」
「……っ、レオナルドさま!?」
何とはなしに背表紙を目で追っていると、背後から声がかかった。
なんだかさっきから驚かされてばかりだ。メイベルは胸を押さえる。一生の心拍数は限られているというのに、これでは早死にしてしまいそう。
でも「よかった、探したんだよ」とホッとした様子で緩む目を見ると、文句は喉奥で溶けてしまった。
「よくここにいると分かったわね」
「ふふ、これが愛の力だよ」
「はいはい」
「って言いたいけど、従僕の一人が教えてくれたんだ。キミがこっちに行くのが見えたって。……どう?何か興味深い情報は掴めたかい?」
「いえ、私の方は代わり映えのしない噂話ばかりだったわ。あなたは?」
「こちらも意外性のあるネタはなかったかな。あぁでも、キャンディ嬢の母君についてはいくらか話が聞けたよ」
ここには二人以外の誰もいない。そんなことはお互いにわかっているはずなのに、レオナルドはメイベルの耳元に顔を寄せる。
ひそめられた声が、むず痒い。そんな考えは、続く彼の言葉によって吹き飛ばされた。
「どうやら彼女、王都に来る前は恋人がいたらしい。婚約寸前までの仲だったようだけど、伯爵に心変わりしちゃったんだとか」
「恋人……キャンディさまのお母さまに?」
そんな話、今まで聞いたことがない。メイベルは顎に手をやり、思考を巡らす。
恋人の裏切り、それは確かに恨みを持つ原因になりえる。けれど当の本人は既に亡くなっているし、となれば憎しみの矛先は伯爵や裏切りの結晶であるキャンディへと向かうのだろうか。
……わからない。どう考えるのが正しいのだろう?
「あの、」
レオナルドの考えを聞いてみたい。そう思って、顔を上げる。
そして、メイベルは目を瞬かせた。
「……あなた、少しお疲れなのではない?」
「え?そう見える?」
「わからないわ。ただ私はそう感じたというだけ」
気を抜いた瞬間に見せる表情に、疲労の気配があった。でも勘違いだったかもしれない。彼の好きなものも嫌いなものも、メイベルは知らないのだから。
けれど彼は「よくわかったね」と言って、笑った。
「まぁモテる男の悲しいさがというものさ。宿命だと思って、受け入れるしかない」
「……あなたこそ恨みを買ってるんじゃないかって、心配になってくるわ」
メイベルは目の前の書棚にポケットサイズの本があるのに気づき、それを抜き取った。
「どうやらあなたにはこれが必要らしいわね」
思い出したのはとある映画のワンシーン。実在したギャングの半生を描いた名作で、中でもこの場面は今でも強く印象に残っている。
迫る追っ手と近づく死に、しかし『後悔はない』と言って、自分を助けてくれた老夫婦に礼をいう場面。カントリー調の音楽が流れる中、撃たれながらも『あんたに殺られてよかったよ』と言って、死んでいく。涙なしでは語れない名シーンだ。
だからちょっと真似をしてみたくなった。もちろん、映画とはまるで状況が違うけれど。
「聖書?」
「ええ、護身用にも使えるでしょう?刺された時も撃たれた時もこれで安心よ」
そんな冗談に、何故かレオナルドは破顔する。「ありがとう、嬉しいよ」そう言って、いそいそと聖書を懐へ仕舞った。元々、彼の所有物なのだから喜ぶことではないだろうに、変な人だ。
「これからどうする?」
「ええっと、そうね……。キャンディさまのご様子でも見に行こうかしら」
「わかった、休憩室だね?」
レオナルドと共に休憩室のある通りへ向かう。
と、幸運なことに見知った顔を見つけることができた。
「あなたはキャンディさまの……、」
落ち着いた色合いながらも清潔感の漂う装い。一回り以上は歳上であろうその人は、キャンディつきのメイドだったと記憶している。
ということは、キャンディも近くにいるということだろうか?
「エミリさん、でしたわよね?」確認すると、彼女は驚いた様子で僅かに目を見開いた。
「はい。……まさかメイベル様に覚えていていただけるとは思いませんでした」
「キャンディさまが随分と頼りにされているようでしたから、印象に残っておりましたの。それに、とても素敵な方なのだろうと」
「あ、ありがとうございます、もったいないお言葉です」
なんだかひどく恐縮されてしまった。
やはりこの人はいいひとだ、とメイベルは確信を強める。こういう人が側にいてくれるということはキャンディにとっても心強いことだろう。
「キャンディさまは大丈夫ですか?その、お加減の方は……」
「人酔いされたようですが、ご心配いただくほどのことではございません」
「そうですか……」
「……お会いになっていかれますか?」
「ご迷惑ではありませんか?」
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