死にゲー世界のヒロインだけど死にたくないから黒幕を攻略する

クリーム

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西部戦線異状なし……?

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 西園寺葵から呼び出しを受けたのは、昼休みのチャイムが鳴ってすぐのことだった。

「九条さん、少しお時間よろしいかしら?」

 ツンも取り澄ました顔の美人にそう言われて、平民の泉に断れるはずもない。
 「何かあったの?」と心配してくれる友人に、大丈夫だと笑って──実際のところは全く大丈夫ではなかったのだけれど──泉は葵に了承の意を伝えた。
 トラトラトラ。流れるのは地獄の黙示録。気分は死地に向かう兵士だ。葵の後を追う泉の足はとても重たいものだった。

「……このあたりでいいかしら」

 葵が足を止めたのは日の光の届かない校舎の裏手、陰鬱とした空気が滞留する場所だった。
 いかにもといった雰囲気だ。泉が思い浮かべるのは古いイメージ映像。不良だとかヤンキーだとか、そういうヤバめな人種のたむろする様子である。
 が、実際にはひどく静かなもので、腕を組んで仁王立ちする葵とその前で縮こまる泉しかいなかった。……それはそれで、怖いのだけれど。

「あの、どういったご用件でしょうか……?」

 恐る恐る、泉が口を開くと、葵は僅かに眉根を寄せた。
 この至極まっとうな質問の何がいけなかったのだろう?まさか口を開くなとでも……?
 泉が被害妄想を膨らませていると、葵はコホンと咳払いをした。

「先に言っておきますけど、九条さん。これはあくまでわたくしの独断です。そのことをご承知おきの上で聞いていただきたいことがございますの」

「は、はぁ……」

「単刀直入に申しますわね」

 葵の黒目がちな目が泉を射抜く。真っ直ぐ、真剣に。怒りも憎しみも感じられない目で、葵は泉を見つめた。
 そして、赤い唇がゆっくりと動く。

「──貴女、呪われているでしょう?」

 泉はひゅうっと息を呑んだ。

「わかるもの、なんですか?」

「わかりますわ、当然でしょう?わたくしを誰だと思って?」

 ふんと鼻を鳴らして、──それから、たったいま思い至ったかのように──「あぁ、そういえば、貴女は覚えていらっしゃらないのよね」そう、呟いた。その声は苛立たしげでありながら、どこか物悲しい響きも持っていた。
 けれど葵はすぐに「まぁいいわ」と首を振り、「仕方ないからもう一度説明してあげる」と口角を持ち上げた。まったく、忙しないことである。

「西園寺葵、なんていうのはあくまで仮の姿。本当のわたくしは、千年以上を生きた偉大なる辰狐──だから、妖術が使えるだけのあの男なんかよりずっと崇高な存在なんですから、」

 ──だからもう二度と忘れないで。

 そう続けた彼女の本心を測りかね、泉は返す言葉に窮した。
 西園寺葵は──彼女は私を嫌っていたんじゃなかったのか。でもそうだとするならば、どうして……どうしてこんなにも切なげな声を出すのだろう?聞いているだけで苦しくなって、申し訳なさすら感じてしまって、泉は困惑した。葵の様子に──何より、そう感じてしまった自分自身に。
 泉は少しだけ迷った。今朝見たばかりの夢の話をするべきか、否か。
 夢の中に彼女の姿はなかったけれど、この様子から察するに、彼女とは前世でも関わりがあったのだろう。
 泉は自分ではない自分のことなど知りたくはない。が、もしもその選択が誰かを傷つけているのだとしたら──先輩は、思い出してほしいんだろうか──どうするべきなのだろう?
 何が正しいのかわからなくて、泉は曖昧に頷いた。

「ごめんなさい……。でも、前世のお話は聞きました。少しだけ、ですけど」

 先輩に、とは言わなかった。
 何故だかよくわからないが、葵は彼を毛嫌いしている節がある。だからその名は出さなかったのに、葵は「芳野薫ね」と呟いて、顔を顰めた。苦いものを飲み下した風だった。

「何を言われたかは存じ上げませんが、どうせあの男のことだから都合のいいことしか話してないんでしょうね」

「そんなことは……」

「あるから言ってるの。あの男は貴女が思うほどいい人じゃありませんのよ」

 咄嗟に庇う言葉を紡いだ。その瞬間に、葵はピシャリとはね除ける。泉の持つ、芳野薫への印象は偽物であると。騙されているのだと、彼女は繰り返す。

「よく考えてみなさいな。貴女が呪われて、いちばん得をするのは誰かしら?」

 思えばいつだって、西園寺葵は芳野薫を警戒していた。泉に苛立ちや怒りを滲ませることはあっても、憎悪の感情を向けることまではなかったのに。
 泉はごくりと唾を飲んだ。いつの間にか喉がからからに渇いている。何事か言いかけて──言うべき言葉を見失った。何を言ったらいいのかわからなくなった。

「西園寺さんは……彼が犯人だと?」

 辺りに人の気配はない。昼休みだというのに、生徒の声も遥か彼方。この場所だけが世界から大きく隔たっている。そんな気さえしたのに、泉は思わず声をひそめる。
 そして、葵も。彼女も真剣な顔で首肯した。「ええ、そうよ」それ以外に誰がいるの?あなただって、本当は疑っているんでしょう──?
 言外にこめられた言葉に、泉は何も答えられなかった。否定も、肯定も。彼を信じるか、それとも自分の直感を信じるか。どちらの道を選ぶにしても、それは大きな決断だった。
 ゲームで例えるなら、きっとここが分岐点なのだろう。画面の外ではプレイヤーが大いに頭を悩ませているはずだ。でも泉にとってこの世界はゲームなどではなく、プレイヤーは自分自身で。どちらの選択肢がハッピーエンドに繋がっているかなんて、皆目検討もつかなかった。何せ、自分がどちらを選びたいかすらも、わかっていないのだから。

「……忠告は致しましたわ」

 沈黙から何かを感じ取ったのか。まるで泉の本心を見透かしたかのようなタイミングで、葵は固い声を発した。

「……どうしてですか」

「え?」

「どうして教えてくれたんですか?私……私、あなたには嫌われているものだとばかり思ってたのに」

「それは……」

 思いきって、訊ねてみた。忠告をした、その理由を。
 だってこんなの、葵にとっては何の得にもならない。嫌いな相手にわざわざ時間を割いてまでしたところで、得られるものがあるとは到底思えなかった。
 だからわからない。彼女の意図が、本音が。怒りや苛立ちの裏に、悲しみを潜ませる──そんな彼女のことをもっと知りたいと、泉ははじめて思った。
 すると葵は珍しく口ごもった。伏せられた目、さ迷う視線。──白いはずの頬が、微かに赤らんでいる。

「……別に、深い意味なんてありませんわ」

「ですが、」

「ないと言っているでしょう!?」

 噛みつく勢いの叫び。怒りだけではない、隠しきれない羞恥が色濃く表れた表情。だから驚きはしても、怖くはなかった。以前のような苦手意識も、また。
 むしろ可愛らしくさえ思えて──知らず知らずのうちに微笑んでいたらしい。目ざとく気づいた葵に睨まれてしまった。残念ながら、泉には効果がなかったけれど。
 それと知るやいなや、葵は悔しげに顔を歪めた。「貴女って人は本当に昔っから……」そう呟く彼女は今にも地団駄を踏みかねない様子。
 大人びていると思っていたけれど、本当の彼女はもっと幼く、可愛らしい人なのかもしれない。長い間、誤解していただけで。

「私、あなたのことも好きになれそうです」

「……好きになってくれなんて頼んでおりませんけど」

「それでもいいんです。私がそう思ってるだけですから」

「……あぁ、そう。勝手になさったら?」

「はい、勝手にします」

「……それはそれで腹が立つのですけど」

 葵は不満げに頬を膨らませた。が、泉がまるで堪えていないのを悟ると、観念したらしい。「調子が狂うわ」とひとりごち、溜め息をつく。それは諦念に満ちたものだった。

「……そういうところは変わらないのね」

「……?いま何か仰いました?」

「いいえ、なんでもありませんわ。どうかお気になさらず」

「嘘です。絶対何か言いました、言いましたよね?そうやって誤魔化されると余計に気になります。ねぇ、いま何て言ったんですか?教えてくださいよ、ねぇ?」

「あぁ、もう、しつこい方ですわねぇ……」

 ねぇねぇと葵の袖を引いてねだると、鬱陶しげに手を振り払われた。
 ……しまった、調子に乗りすぎただろうか。
 そう思い、窺い見ると──

「まぁでも、そんな貴女がいたからあの頃は楽しかったのかもしれませんわね」

「え……」

「先程どうして忠告するのかと訊ねられましたわね。仕方がないから教えて差し上げますわ」

 葵は静かに笑っていた。無邪気な少女のように。或いは、淑やかな貴婦人のように。微笑みながら、泉の頬に手を添えた。
 鼻先が触れ合うほどの距離。吐息が、唇を掠める。

「わたくしが一番幸福だった時、家族となってくれていたのはお父様だけではありませんでした。そこには貴女も……お母様もいらっしゃったから、だからわたくしも幸せだった」

「それって……」

「すべては貴女があの男と心中するまでは、の話ですけど」

 最後の一言だけは嫌みをたっぷり含ませて。葵は口角を持ち上げた。反対に、泉は「うぅっ」と言葉につまる。
 痛いところを突かれてしまった。返す言葉もない。何しろそれは前世でのことで、今の泉にはどうすることもできない批判である。
 はじめて恋を知ったのも、子を残したいと思ったのも、当時の夫だけ。【彼】のことは愛していたけれど、その感情は決して恋へと変わるものではなかった。死を受け入れたのだって、それ以外に報いる術を知らなかったからだ。
 ……そう説明したところで、いったいどうなるというのだろう?
 姫神と呼ばれていた頃の泉が家族と過ごす安寧よりも、【彼】への償いの道を選んだのは事実。結末は変わらない。変えられない。

「……ごめんなさい」

 今さら謝ったところでどうにもならないけれど。こんなものは自己満足にすぎないけれど。
 でも、どうしても言っておきたかった。今じゃなきゃ、いま言わなければ、きっと永遠に伝えられなくなってしまうから。そう思って、謝罪の言葉を口にする。
 すると、どうしてか葵は気まずげに目を逸らした。

「……わたくしも、言いすぎました」

 溢れ出たのは弱々しい声。自嘲の笑みすら浮かべて、葵は続ける。苦しげに、痛々しさすら滲ませて。

「お父様にもお叱りを受けましたけど……でも本当はわかっておりました。あんなのはただの八つ当たりだと。わかっているにも関わらず、そんなんじゃないと自分に言い訳をして、すべてを貴女の責任にして……結局、自分が楽になりたかっただけ。だから……」

 だから、堪えきれなかった。見ていられなかった。最後まで聞いていることなど、できなかった。
 「もういいです」そう言いながら、泉は葵を抱き締めた。

「いいんです、これまでのことなんて。だからもう、自分を責めないで」

 思いのほか小さな身体。抱き締めると、それが実感できた。実感すると、途端にいとおしさが込み上げて──今までどうして苦手だと思っていたのか不思議なくらいだった。

「私は気にしてません。だから西園寺さんも気に病まないでください。あなたはちょっと偉そうなくらいがちょうどいいんですから」

「……偉そうじゃなく、実際わたくしは偉いんです」

「はい、そうですね」

 泉が笑ったままでいると、葵もつられたように口許を緩めた。「わかればよいのです」そう言って、今まで通りにツンとしてみせる。
 けれどこれまでのような棘はない。だから泉が傷つくこともなかった。

「どうかお気をつけて。油断だけはなさらないで。あの男を信用しすぎないで、……いつでも呼んでください。お父様でも、わたくしでも、すぐに駆けつけますわ」

 最後にそれだけを切々と訴えて。泉が頷くまで、──頷いてもなお不安げな様子で。葵は泉を教室まで送り届けると、その手を握って離そうとしなかった。
 よほど前世のことが堪えたのか、……それともそれだけ彼を警戒しているのか。もしかするとそのどちらもが理由だったのかもしれない。そう考える方が自然で、泉は何ともいえない気持ちになった。

 ──答えはまだ、出せそうにない。
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