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十字架、銀弾、濡羽のはおり
悪魔の宴-2
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週末、ゼータはうきうきと王宮内を歩いていた。目指すは王宮5階にあるクリスの私室。この度はザトの企画により、高級酒の試飲会が盛大と執り行われる次第である。参加者はゼータとザトに加え、前回の参加者であるメリオン、そして今回初参加となるクリスだ。初参加であるクリスの私室が宴の開催場所となるのは、クリスたっての希望によるものである。本人曰く「僕が一番下っ端なんだから、僕が準備と片付けを請け負うべきじゃない?」とのことだ。十二種族長は皆平等な立場であり上下関係を気に掛ける必要はないと説明はしたが、クリスも頑なであった。魔導大学では上下関係が厳しかったのだろうかと、ゼータはひっそり首を傾げたのである。
「クリス、お邪魔します…ん?」
クリスの私室に数歩進み入り、ゼータははたと歩みを止めた。眉を顰め凝視する場所は、私室の最奥に位置する空間だ。
王宮5階に位置する十二種族長の私室は、隣り合う2つの部屋からなる。廊下に佇むけやきの扉を開け、まず立ち入る場所は居室と呼ばれる部屋だ。広々とした空間の中には応接用のソファや簡易的な執務机、書棚や飾り棚などが立ち並び、公務を終えた十二種族長がまったり寛ぐことを想定とした部屋だ。人によって置き物の異なる部屋でもあり、例えば小人族長ウェールの居室は一種の工房のような有様であるし、竜族長ツキノワの居室には壁一面に武器や防具の類が掛けられている。部屋の主が客人を招き入れるのも、この居室と呼ばれる部屋だ。そして居室には合計で3枚の扉が取り付けられている。1枚は部屋の出入り口となる扉、1枚は浴室へと続く扉、そしてもう1枚は隣接する寝室へと続く扉だ。頻繁に客人を招き入れる居室とは異なり、寝室は各人の城。配置される家具も寝台と衣装タンスくらいのもので、人によっては侍女の立ち入りすら拒むこともある。
今ゼータが凝視するは、クリスの居室の一角だ。方角で言えば部屋の北西隅に位置するその場所は、四隅を無垢材の柱により囲われている。柱に囲われた空間は、さほど広くはない。大人4人が寝れば手狭となる程度の広さであるが、驚くべきはその空間部の床が他よりも30㎝程嵩上げされているという点だ。どのような工事が行われたのかはとんと見当がつかぬ。しかしその嵩上げされた空間に名前を付けるのならば、居酒屋で時折見掛ける「小上がり」という名が相応しい。広い居室に突如として現れた小さな「小上がり」まるで秘密基地のように心躍る場所だ。
「クリス。この空間は人間族長就任当時からあったものですか?」
「違うよ。僕が造って欲しいと依頼したの。床の嵩上げに結構時間が掛かっちゃってさ。完成したのはつい一週間前のことだよ」
「なぜわざわざ床の嵩上げを?床に座りたいのなら、分厚い絨毯を敷くだけで十分なのに」
ゼータは小上がりに歩み寄り、硬い敷物の片隅に腰を下ろす。清々しい若草が香る。ついと視線を落とせば、尻の下にある硬い敷物は乾燥したい草を丁寧に編み込んで造られたものだ。その物珍しい敷物にゼータは覚えがある。かつて魔導具の視察として魔導大学を訪れたとき、道中に立ち寄った地獄谷と呼ばれる集落の御宿で同様の敷物を目にしたのだ。毛や麻の絨毯より硬さがあり、しかし板張りの床に座り込むよりは余程温かみがある。分厚い絨毯を敷くだけで十分なのに。そう述べながらも、クリスが絨毯ではなくい草の敷物を選んだ理由は十分に想像がつく。手間暇かけて床を嵩上げした理由もだ。
「僕は根っからの庶民だからさ。広すぎる部屋というのは落ち着かないんだよ」
そう言うと、クリスはおもむろに立ち上がった。靴を脱ぎ小上がりによじ登らんとするゼータを尻目に見ながら、小上がりの四隅に位置する柱の一本に歩み寄る。そうして柱に結わえ付けられたタッセルを解き、若緑色のカーテンをさらさらと引く。さらにもう一本の柱からもカーテンを引けば、小上がりは周囲の空間からすっかり閉ざされてしまった。目に入る物と言えば床面を覆いつくすい草の敷物に、心和ませる若緑色のカーテン。それにい草の敷物にのせられたいくつかの家具。程良い広さの空間というのは、驚くほどに心落ち着けるものなのだと実感する。
「まるで秘密基地のような場所ですねぇ。とても落ち着きます」
「そうでしょ。僕、このくらいの広さの部屋が一番好きなんだよね。魔導大学の研究員寮も魔法研究所の生活寮も、これより少し広いくらいだったでしょ」
「気持ちはわかりますけれど、施工にはかなりのお金が掛かったでしょう。全て自腹ですか?」
地獄谷からい草の敷物を取り寄せ、敷物をのせるための床の嵩上げ工事を行う。さらに空間の四隅には無垢材の柱を立て、空間を区切るためのカーテンを取り付ける。巨額の資金を必要とする工事ではないが、それでもそれなりの支出はあったはずだ。クリスがドラキス王国にやって来てからまだ数か月、毎月の給料から一体どれだけの貯蓄をしていたのだろうと、ゼータは首を傾げるのだ。
「十二種族長就任時には、引っ越し代という名目で支給金が渡される。その金で工事をしたんだろう」
背後から聞こえる重低音の声に、ゼータは肩を震わせた。そこに誰がいただろうと振り返れば、小ぢんまりとしたちゃぶ台の向こうにはザトの姿がある。
「ザト…いたんですね」
「まさか今まで気付いていなかったのか?俺は初めからここに座っていたぞ」
「視界には入っていたはずなんですけれど。でもザトの姿が空間に溶け込んでいるというか、怖いくらい場に馴染んでいるというか…脳が存在を認知していませんでした」
ゼータがそう言えば、若緑色のカーテンを引き開けながらクリスが噴き出す。確かにザトの存在は、怖いほどクリスの小上がりに溶け込んでいる。うぐいす色の部屋着を纏うザトがい草の敷物に正座する様は、枯草に埋もれるバッタとでも形容しようか、それとも花畑に紛れる蝶々か。いずれにせよ白髪に強面という爺風貌のザトは、ちゃぶ台を前に正座する姿が極めて様になっている。熱々の茶でも啜っていれば完璧だ。雪景色の中の白兎のごとく風景に溶け込んだザトは、口元に自嘲的な笑みを浮かべる。
「俺も自身の馴染みように驚いているくらいだ。魂が和むとでもいうだろうか。俺の私室にも小上がりを設けるべきか?それともいっそ、私室の全面にい草の敷物を敷き詰めるべきか…」
「ザトさん、早まらないでください。小上がりが気に入ったのなら、いつでも来ていただいて構いませんから」
魂がい草の敷物を求める気持ちに同感はできるが、私室全体に敷物を敷き詰めるとなれば相当な資金を必要とする。王宮雇用歴千年を超えるザトの資金を以てすれば不可能ではないが、私室を丸ごと改装してしまえば後々不具合が生じる可能性もなる。王宮一長命と噂されるザトであるが、所詮は人。命は有限なのだ。ザト亡き後後任となった悪魔族長は、い草敷き詰められた私室を目にして一体何を感じるであろう。その人物の人となりによっては、私室を丸々回収し直さねばならぬ大事態だ。
ちゃぶ台の上に皿やらつまみを並べながらクリスが切々と訴えれば、ひとなずザトは納得したようである。しかし「い草の敷物一枚の値段は」「運搬には王宮の馬車を手配したのか」等々会話の合間に質問を重ねるところを見るに、魂の渇望に抗うことは相当に困難らしい。願わくは次にザトの私室に立ち入ったとき、一面がい草の敷物で埋め尽くされていませんよう。固い敷物に尻を擦り付けながら、ゼータはそう願うのである。
クリスがちゃぶ台の上にせっせとつまみを並べ始めた頃、私室にはメリオンが入室した。「邪魔するぞ」の一言もなく歩みを進めるメリオンの両腕には、ずしりと重たそうな紙袋が2つ。メリオンの身体が揺れるたびにがちゃがちゃと賑やかな音を立てる紙袋には、恐らくはコレクションの酒瓶が詰まっているのだ。無言のまま小上がりの隅に紙袋を置くメリオンを見て、ザトは意外そうに口を開く。
「何だ、メリオンは驚かないんだな」
「驚く?この部屋に俺の度肝を抜くほどの代物が存在するか?」
「この小上がりだ。一目見たときは何を血迷ったと思ったが、一度坐してみれば非常に居心地が良い」
「驚くもなにも、そのい草の敷物は俺が手配してやった物だ」
「ん、そうなのか」
淡々と会話を進めながら、メリオンは紙袋の中から酒瓶を取り出し小上がりの隅に並べてゆく。細い瓶、丸い瓶、ひしゃげた瓶。赤い瓶、黒い瓶、透明な瓶。合計で10本もの酒瓶が一列に並ぶ様は、酒好きには堪らない光景だ。空になった紙袋を丁寧に折り畳みながら、メリオンは無感情と語る。
「人間族長就任に際し一定額の支給金が出ると教えたら、執務室も私室も有り物で十分と言いやがる。未使用の支給金は国庫返却だと念を押せば、ならば私室に小上がりを造りたいとの世迷言だ。地獄谷の工房に敷物の納入を依頼したのも、工事のための業者を探したのも全て俺だ。面倒な仕事が増えたせいで、3日間も残業をする羽目になったんだぞ。この俺が」
口をへの字に折り曲げるメリオンの背後では、クリスが慎ましやかに謝礼を述べている。メリオンが公務と私事の時間を明確に区別していることは、官吏の間でも有名だ。終業時刻を告げる鐘が鳴り終われば、例え急ぎの書類であっても受け取ることはしない。厳しい処置だと悲痛の訴えが上がる一方、公私混同を良しとしないメリオンの態度は、一部官吏の間で崇拝の念を集めていることもまた事実である。
「面倒を掛けたことは認めますけれど、何だかんだメリオンさんも気に入っているじゃないですか。この小上がり。完成してから隔日で遊びに来ていますよね」
「誤解を生む物言いをするな。遊びに来ているのではなく、仕事を教えに赴いてやっているだけだ。終業時刻を過ぎてなお執務室に居座ることは、俺の美徳に反する」
「…まぁそういうことでも良いですよ」
靴を脱ぎ小上がりに上がり込んだメリオンは、ちゃぶ台の下に置かれた座布団を当然のように自身の尻に敷き込んだ。光沢のある黒革の座布団は、どうやらメリオンの私物のようである。「ザトさん、すみません。座布団を買いに出る時間がなくて」「気にするな。いざ尻が痛めば自室から枕でも持ってくる」クリスとザトが会話を交わす横で、ただ一人座布団に座り込んだメリオンは平然とした様子だ。ポトス城の紳士と名高いメリオンは、王宮一の長命者ザトに座布団を譲るつもりは更々ないらしい。
「クリス、お邪魔します…ん?」
クリスの私室に数歩進み入り、ゼータははたと歩みを止めた。眉を顰め凝視する場所は、私室の最奥に位置する空間だ。
王宮5階に位置する十二種族長の私室は、隣り合う2つの部屋からなる。廊下に佇むけやきの扉を開け、まず立ち入る場所は居室と呼ばれる部屋だ。広々とした空間の中には応接用のソファや簡易的な執務机、書棚や飾り棚などが立ち並び、公務を終えた十二種族長がまったり寛ぐことを想定とした部屋だ。人によって置き物の異なる部屋でもあり、例えば小人族長ウェールの居室は一種の工房のような有様であるし、竜族長ツキノワの居室には壁一面に武器や防具の類が掛けられている。部屋の主が客人を招き入れるのも、この居室と呼ばれる部屋だ。そして居室には合計で3枚の扉が取り付けられている。1枚は部屋の出入り口となる扉、1枚は浴室へと続く扉、そしてもう1枚は隣接する寝室へと続く扉だ。頻繁に客人を招き入れる居室とは異なり、寝室は各人の城。配置される家具も寝台と衣装タンスくらいのもので、人によっては侍女の立ち入りすら拒むこともある。
今ゼータが凝視するは、クリスの居室の一角だ。方角で言えば部屋の北西隅に位置するその場所は、四隅を無垢材の柱により囲われている。柱に囲われた空間は、さほど広くはない。大人4人が寝れば手狭となる程度の広さであるが、驚くべきはその空間部の床が他よりも30㎝程嵩上げされているという点だ。どのような工事が行われたのかはとんと見当がつかぬ。しかしその嵩上げされた空間に名前を付けるのならば、居酒屋で時折見掛ける「小上がり」という名が相応しい。広い居室に突如として現れた小さな「小上がり」まるで秘密基地のように心躍る場所だ。
「クリス。この空間は人間族長就任当時からあったものですか?」
「違うよ。僕が造って欲しいと依頼したの。床の嵩上げに結構時間が掛かっちゃってさ。完成したのはつい一週間前のことだよ」
「なぜわざわざ床の嵩上げを?床に座りたいのなら、分厚い絨毯を敷くだけで十分なのに」
ゼータは小上がりに歩み寄り、硬い敷物の片隅に腰を下ろす。清々しい若草が香る。ついと視線を落とせば、尻の下にある硬い敷物は乾燥したい草を丁寧に編み込んで造られたものだ。その物珍しい敷物にゼータは覚えがある。かつて魔導具の視察として魔導大学を訪れたとき、道中に立ち寄った地獄谷と呼ばれる集落の御宿で同様の敷物を目にしたのだ。毛や麻の絨毯より硬さがあり、しかし板張りの床に座り込むよりは余程温かみがある。分厚い絨毯を敷くだけで十分なのに。そう述べながらも、クリスが絨毯ではなくい草の敷物を選んだ理由は十分に想像がつく。手間暇かけて床を嵩上げした理由もだ。
「僕は根っからの庶民だからさ。広すぎる部屋というのは落ち着かないんだよ」
そう言うと、クリスはおもむろに立ち上がった。靴を脱ぎ小上がりによじ登らんとするゼータを尻目に見ながら、小上がりの四隅に位置する柱の一本に歩み寄る。そうして柱に結わえ付けられたタッセルを解き、若緑色のカーテンをさらさらと引く。さらにもう一本の柱からもカーテンを引けば、小上がりは周囲の空間からすっかり閉ざされてしまった。目に入る物と言えば床面を覆いつくすい草の敷物に、心和ませる若緑色のカーテン。それにい草の敷物にのせられたいくつかの家具。程良い広さの空間というのは、驚くほどに心落ち着けるものなのだと実感する。
「まるで秘密基地のような場所ですねぇ。とても落ち着きます」
「そうでしょ。僕、このくらいの広さの部屋が一番好きなんだよね。魔導大学の研究員寮も魔法研究所の生活寮も、これより少し広いくらいだったでしょ」
「気持ちはわかりますけれど、施工にはかなりのお金が掛かったでしょう。全て自腹ですか?」
地獄谷からい草の敷物を取り寄せ、敷物をのせるための床の嵩上げ工事を行う。さらに空間の四隅には無垢材の柱を立て、空間を区切るためのカーテンを取り付ける。巨額の資金を必要とする工事ではないが、それでもそれなりの支出はあったはずだ。クリスがドラキス王国にやって来てからまだ数か月、毎月の給料から一体どれだけの貯蓄をしていたのだろうと、ゼータは首を傾げるのだ。
「十二種族長就任時には、引っ越し代という名目で支給金が渡される。その金で工事をしたんだろう」
背後から聞こえる重低音の声に、ゼータは肩を震わせた。そこに誰がいただろうと振り返れば、小ぢんまりとしたちゃぶ台の向こうにはザトの姿がある。
「ザト…いたんですね」
「まさか今まで気付いていなかったのか?俺は初めからここに座っていたぞ」
「視界には入っていたはずなんですけれど。でもザトの姿が空間に溶け込んでいるというか、怖いくらい場に馴染んでいるというか…脳が存在を認知していませんでした」
ゼータがそう言えば、若緑色のカーテンを引き開けながらクリスが噴き出す。確かにザトの存在は、怖いほどクリスの小上がりに溶け込んでいる。うぐいす色の部屋着を纏うザトがい草の敷物に正座する様は、枯草に埋もれるバッタとでも形容しようか、それとも花畑に紛れる蝶々か。いずれにせよ白髪に強面という爺風貌のザトは、ちゃぶ台を前に正座する姿が極めて様になっている。熱々の茶でも啜っていれば完璧だ。雪景色の中の白兎のごとく風景に溶け込んだザトは、口元に自嘲的な笑みを浮かべる。
「俺も自身の馴染みように驚いているくらいだ。魂が和むとでもいうだろうか。俺の私室にも小上がりを設けるべきか?それともいっそ、私室の全面にい草の敷物を敷き詰めるべきか…」
「ザトさん、早まらないでください。小上がりが気に入ったのなら、いつでも来ていただいて構いませんから」
魂がい草の敷物を求める気持ちに同感はできるが、私室全体に敷物を敷き詰めるとなれば相当な資金を必要とする。王宮雇用歴千年を超えるザトの資金を以てすれば不可能ではないが、私室を丸ごと改装してしまえば後々不具合が生じる可能性もなる。王宮一長命と噂されるザトであるが、所詮は人。命は有限なのだ。ザト亡き後後任となった悪魔族長は、い草敷き詰められた私室を目にして一体何を感じるであろう。その人物の人となりによっては、私室を丸々回収し直さねばならぬ大事態だ。
ちゃぶ台の上に皿やらつまみを並べながらクリスが切々と訴えれば、ひとなずザトは納得したようである。しかし「い草の敷物一枚の値段は」「運搬には王宮の馬車を手配したのか」等々会話の合間に質問を重ねるところを見るに、魂の渇望に抗うことは相当に困難らしい。願わくは次にザトの私室に立ち入ったとき、一面がい草の敷物で埋め尽くされていませんよう。固い敷物に尻を擦り付けながら、ゼータはそう願うのである。
クリスがちゃぶ台の上にせっせとつまみを並べ始めた頃、私室にはメリオンが入室した。「邪魔するぞ」の一言もなく歩みを進めるメリオンの両腕には、ずしりと重たそうな紙袋が2つ。メリオンの身体が揺れるたびにがちゃがちゃと賑やかな音を立てる紙袋には、恐らくはコレクションの酒瓶が詰まっているのだ。無言のまま小上がりの隅に紙袋を置くメリオンを見て、ザトは意外そうに口を開く。
「何だ、メリオンは驚かないんだな」
「驚く?この部屋に俺の度肝を抜くほどの代物が存在するか?」
「この小上がりだ。一目見たときは何を血迷ったと思ったが、一度坐してみれば非常に居心地が良い」
「驚くもなにも、そのい草の敷物は俺が手配してやった物だ」
「ん、そうなのか」
淡々と会話を進めながら、メリオンは紙袋の中から酒瓶を取り出し小上がりの隅に並べてゆく。細い瓶、丸い瓶、ひしゃげた瓶。赤い瓶、黒い瓶、透明な瓶。合計で10本もの酒瓶が一列に並ぶ様は、酒好きには堪らない光景だ。空になった紙袋を丁寧に折り畳みながら、メリオンは無感情と語る。
「人間族長就任に際し一定額の支給金が出ると教えたら、執務室も私室も有り物で十分と言いやがる。未使用の支給金は国庫返却だと念を押せば、ならば私室に小上がりを造りたいとの世迷言だ。地獄谷の工房に敷物の納入を依頼したのも、工事のための業者を探したのも全て俺だ。面倒な仕事が増えたせいで、3日間も残業をする羽目になったんだぞ。この俺が」
口をへの字に折り曲げるメリオンの背後では、クリスが慎ましやかに謝礼を述べている。メリオンが公務と私事の時間を明確に区別していることは、官吏の間でも有名だ。終業時刻を告げる鐘が鳴り終われば、例え急ぎの書類であっても受け取ることはしない。厳しい処置だと悲痛の訴えが上がる一方、公私混同を良しとしないメリオンの態度は、一部官吏の間で崇拝の念を集めていることもまた事実である。
「面倒を掛けたことは認めますけれど、何だかんだメリオンさんも気に入っているじゃないですか。この小上がり。完成してから隔日で遊びに来ていますよね」
「誤解を生む物言いをするな。遊びに来ているのではなく、仕事を教えに赴いてやっているだけだ。終業時刻を過ぎてなお執務室に居座ることは、俺の美徳に反する」
「…まぁそういうことでも良いですよ」
靴を脱ぎ小上がりに上がり込んだメリオンは、ちゃぶ台の下に置かれた座布団を当然のように自身の尻に敷き込んだ。光沢のある黒革の座布団は、どうやらメリオンの私物のようである。「ザトさん、すみません。座布団を買いに出る時間がなくて」「気にするな。いざ尻が痛めば自室から枕でも持ってくる」クリスとザトが会話を交わす横で、ただ一人座布団に座り込んだメリオンは平然とした様子だ。ポトス城の紳士と名高いメリオンは、王宮一の長命者ザトに座布団を譲るつもりは更々ないらしい。
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