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十字架、銀弾、濡羽のはおり

悪魔の宴-3

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 参加者が勢揃いしたところで、「レイバック王より賜りし高級酒を嗜む会」は厳かに開始された。数多の酒瓶が立ち並ぶ中、まず初めに開封されたのはクリスが持ち込んだ薄桃色の酒瓶だ。皆が楽しみとする最高級の葡萄酒は、少し場が温まってから開封せよとのザトの指示である。ちゃぶ台に置かれた4つのグラスに、クリスが次々と酒を注いでゆく。爽やかな果実の香りが漂う。薄桃色の酒瓶の中身は、どうやら苺酒のようだ。

「随分たくさんの酒を買い込んだもんだ。全てポトスの街中で買った物か?」

 乾杯を終えたザトが眺めるは、い草の敷物に並ぶクリスの貯蔵品。形も大きさも様々な酒瓶は全部で10本にも及び、中には物珍しい風貌をした酒瓶も多い。同じくちゃぶ台の上に並ぶつまみの大半も、クリスが貯め込んだ貯蔵品菓子だ。煎餅に饅頭、魚の干物に豆菓子、クッキーにチョコレート、果ては日持ちのしない水菓子まで。よくもこれだけの菓子を溜め込んだと拍手を送りたくなる光景だ。そこにザトが持ち込んだ唐墨と串肉、ゼータが持ち込んだ焼き菓子の詰め合わせが加わり、ちゃぶ台の上は人混みならぬ菓子混み状態。ガラスの菓子鉢から豆菓子を一つ摘み上げ、クリスは言う。

「菓子はポトスの街中で買った物ばかりですけれど、酒は地方の集落で購入した物です。人間族長に就任する前、魔法研究所のお仕事でドラキス王国の地方集落を訪れる機会が何度かあったんですよ。僕自身の研究ではなくて、他の研究員からお手伝いを依頼されただけなんですけれどね」
「ああ、道理で珍しい酒瓶が多いはずだ」
「集落内の商店で珍しいお酒を見掛けると、つい手に取っちゃうんです。でも一人分の胃袋では消費が追い付かなくて、気が付けば魔法研究所の生活寮がまるで酒屋の有様です。今日声を掛けていただいて助かりました。どうもありがとうございます」

 敷物の上で居住まいを直し、クリスは静々と頭を下げた。ザトとゼータが「こちらこそ準備を押し付けて悪かったな」「貯蔵品の消費には私をお呼びください」等々返事を返す中、メリオンは一人クリスの貯蔵品を眺め回している。

「酒を買い込む趣味は大いに結構。しかし次に地方集落の酒屋を訪れる折には、観光客向けの酒と土地の酒程度は区別して買うことだ」
「どういう意味ですか?」

 土地の酒、聞き慣れぬ言葉にクリスはこくりと首を傾げる。

「一口に魔族言っても、種族により味覚は異なる。普段の食事程度で味覚の違いを感じることはないが、繊細な味わいを愉しむ酒ともなれば違いは顕著だ。例えば妖精族や精霊族は蜂蜜のように甘い酒を好むし、鬼族は舌先が痺れるほどに辛口の酒を好む。ドラキス王国内地方集落の酒蔵では、基本的に2種類の酒を醸造している。一つは観光客向けの販売を目的とした大衆酒、もう一つ集落内の者が真に美味いと感じる酒。後者の酒を、俺は勝手に土地の酒と呼んでいる」
「土地の酒は、土地の者以外の口には合いませんか」
「一概に合わないとは言い切れん。例えばとある竜族の集落で細々と醸造されていた酒が、些細なきっかけから爆発的大流行を引き起こしたなどという例もある。しかし土地の酒という物は、あくまで土地の者が愉しむことを想定して醸造される酒。魔族の造る酒の中には、思いもよらぬ効果を引き起こす場合がある。眠り姫事件、と呼ばれる事件を耳にしたことはあるか」
「ありません」

 クリスはまるでわからぬといった様子であるが、ゼータとザトははっと表情を引き締めた。これから語られる「眠り姫事件」と呼ばれる事件に心当たりがあるからだ。手持ちの苺酒をちびちびと口に運びながら、3人はメリオンの語りに耳を澄ませる。

「事件が起こったのは今から100年近くも前のことだ。ドラキス王国北方に、数十名の精霊族が暮らす小集落がある。自然との調和を尊び、ポトスの街の民には想像も付かぬ超常的な魔法を使う種族だ。行使される魔法の威力が甚大であるだけに魔力の消費も激しく、彼らは一月のうち数日を身体の休息に充てる。滋養酒と名の付く土地の酒を身体に入れ、心身を強制的に休眠状態とするんだ。コップ一杯飲み干せば、数日目を覚まさぬ特異の滋養酒。とある獣人族の男がこの滋養酒に目を付けた。言葉巧みに集落の者から数本の滋養酒を買い取り、悪事のための道具としていたんだ」
「悪事って、まさか強姦行為でも働いたんですか?」
「強姦行為も然り。飲み屋で出会った相手に滋養酒を勧め、一通りの悪事を働いていた。窃盗、傷害、監禁、果ては人身売買まで目論んでいたと聞く。幸いにも加害者が単独犯であったため、被害はさほど広がらなかった。それでも滋養酒の存在が一般に認知されていなかっただけに、事件の解決には相当の時間を要したんだ。この事件は後に眠り姫事件と呼ばれ、ドラキス王国の犯罪史実史に刻まれることとなる」

 メリオンが語り終えたとき、ゼータとザトは同時に頷く。その事件は当時一世を風靡した。被害者が見目麗しい女性ばかりであったこと、彼女らは例外なく人気のない廃屋で眠りに就いた状態で発見されたこと。そして発見されたあとも国家指定の診療所の一室で、数日間滾々と眠り続けたこと。これらの被害者の特徴を踏まえ、とある週報誌の編集者がこの事件を「眠り姫事件」と呼称した。残忍とは言い難い事件であったが、この独特の呼び名のために人々の記憶に根強く残る犯罪史実である。各々懐かしい記憶を辿りながら、ザトとゼータは代わるがわる口を開く。

「記憶に新しい事件だな。目撃者の証言から容疑者の特定は容易であったが、そこから犯行の立証までが長かった。滋養酒を飲んだ者は、飲酒前後の記憶が混濁するらしくてな。被害者の意識を奪った物が薬であるのか酒であるのか、はたまた特殊な魔法であるのか。とんと見当が付かなかったんだ」
「その事件は私も記憶しています。確か事件の解決後、滋養酒には製造番号が付されることになったんですよね。事情があって滋養酒を集落の外部に持ち出す場合には、持出理由と持出人の名前、さらには滋養酒の製造番号を帳簿に記す手筈になったのだと聞き及びました。魔法研究所にも通達がありましたよ。滋養酒に限らず、研究活動の一環として小集落から酒や薬を持ち出す場合には、くれぐれも取り扱いに注意せよと」

 そうでしたよね、とゼータが視線を向ける先は会話の提供者であるメリオンだ。黒革座布団に胡坐を掻き、メリオンは悠々と頷く。

「滋養酒は酒と名の付く飲料に、睡眠薬の効果を織り交ぜた代物であった。当該事例の場合、睡眠薬の効果については集落の者も把握していたが、酒によっては集落外部の者が飲めば思いもよらぬ悪影響を及ぼす可能性もある。土地の酒を購入する場合には注意が必要、と言ったのはそういう意味だ。悪いことにお前は人間。脆弱な身体で魔族の酒を飲み漁れば、寿命を縮めかねんぞ」

 淡々と述べられる総括を聞き、クリスはふるりと身体を震わせる。折角新天地に来たのだからと、小旅行の度に買い求めていた地方集落特産の酒。物珍しい酒瓶を持ち帰るたびに宝物が増えるようで嬉しかったが、よもやその宝物が己の寿命を縮める恐れがあるとなれば話は変わる。突如として爆弾を抱え込んだ心地のクリスは、師であるメリオンに必死で縋る。縋り付くとまではいかずとも、メリオンの衣服のすそをつんつんと引っ張る様はまるで母に縋る幼子のようだ

「メリオンさん。僕の貯蔵品を検分していただくことは可能でしょうか」
「俺に魔法研究所まで遥々赴けと?冗談を抜かすな。俺は忙しいんだ。酒の検分ならそこの暇人に依頼しろ。惚けた野郎ではあるが、酒好きの端くれならある程度の見分けは付くだろう」

 幼子の望みは一刀両断。惚け野郎の称号とともに、酒の検分役を押し付けられたゼータは焦り顔だ。

「私、酒の検分はできませんよ。酒好きなのは確かですけれど、購入はもっぱらポトスの街の酒屋です。研究内容柄地方集落に脚を踏み入れる機会は稀ですし、メリオンの言う土地の酒には全くと言って良いほど知識がありません」

 ゼータが生業とする研究は、魔獣の個体数調査や分布調査だ。王宮より調査依頼が入ればドラキス王国の端々まで赴くが、研究対象が魔獣であるのだから活動領域はもっぱらが山林地帯。研究熱心なゼータは一度調査に赴けば昼夜問わず魔獣を追い掛け回すから、例え近くに人の住む集落があっても立ち入ることなど滅多にしない。腹が空けばかばんに詰めた携帯食に齧り付き、眠くなれば適当な草むらで身体を休め、目の下に隈を作りながら嬉々として魔獣を追いかけ回す。これがマッドサイエンティストと名高いゼータの野外調査である。しかし幸いなことにもここ2年足らずの間、ゼータは狂人的ともいうべき野外調査に赴いていない。理由は言うに及ばず、王妃の地位に就いたためである。王妃の地位がゼータに凡人的な日常生活を齎したという事実はさておき、酒の検分を押し付け損ねたメリオンは盛大と顔を顰める。

「使えん野郎だな。おいクリス、お前の貯蔵品の総量は」
「今日持ち込んだ物を除けば、残りは30本ほどです」
「では全ての酒瓶に購入年月日と購入集落名を付し、後日俺の私室に運び入れておけ。多忙な俺に面倒な仕事を依頼するんだ。相応の対価を支払う覚悟はできているんだろうな?」
「書庫の掃除でも法律書の複写でもなんでも引き受けますので、検分をお願いします。僕だって命は惜しいんです」

 メリオンとクリスは、着々と酒の検分委託契約を締結する。その姿がゼータにとっては意外である。メリオンがクリスの教育係を請け負ったのは、あくまで監視のためであったはず。人間族長任命の儀後における2人の対面は、お世辞にも穏便とは言い難かった。しかし今目の前でなされる会話はどうだ。クリスは師であるメリオンを頼り、メリオンは相応の対価でクリスの頼みを引き受けている。2人の関係は師弟のそれに相応しい。「ポトス城屈指の淫猥物」かつて自身が名付けた呼称を思い起こしながら、ゼータは横並びの師弟を眺め見る。呟きを向ける先は、一人飲酒に勤しむザトだ。

「メリオンって、結構面倒見がいいんですね。意外です」
「メリオンは口が悪いだけで、性根は良い奴なんだ。…おい、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするな」

 何度も貞操を狙われた身としては、「メリオンは良い人」というザトの発言に手放しでは同意できぬ。しかしメリオンがクリスの教育係として適任であることは、認めざるを得ない。クリスは人間国家ロシャ王国で生まれ、突発的な事件に見舞われドラキス王国への移住を余儀なくされた。そしてメリオンは魔の国バルトリア王国で長いときを過ごし、何らかの事情で150年前にドラキス王国へと移住した。生まれた場所は違う、しかし彼らの境遇はよく似ているのだ。
 場所が違えば常識は変わる。今でこそ王宮内の知識人として重宝されるメリオンであるが、移住当初は苦労も多かったはず。例えばドラキス王国内で使用される通貨の単位を覚えることに、飲食店での基本的な礼儀を学ぶことに、また他人との適切な距離感を推し量ることに、日々たゆまぬ努力が必要であったはずだ。だからこそメリオンは、クリスに教えるべきことがわかる。「地方集落の酒屋を訪れる折には、観光客向けの酒と土地の酒を区別して買うこと」それはドラキス王国の居住歴が長い者であれば当然のように知っている慣習だ。しかしクリスはその慣習を知らず、クリスの無知をメリオンは当然のように知っていた。なぜならかつてのメリオンが、その慣習を身を以て学んだからだ。

 メリオンが淫猥物であることは紛うことなき事実。しかしクリスがメリオンを師として認めている以上、この場での発言には多少気を遣わねばならない。間違っても「人様の貞操を狙う淫猥物は即刻断罪されて然るべき」などと口にしてはならないのだ。クリスが人間族長として一人前になるためには、メリオンの教えが必要なのだから。致し方なしと一人頷くゼータに、突如灰色の視線が向けられる。

「土地の酒と言えばお前、俺がくれてやった酒はどうした。まさか一人で飲み干したわけではあるまいな?」

 突然の弾劾に、ゼータは無意識に肩を竦めた。

「…飲み干すつもりはなかったんです。少しだけ味見をして、残りはこの飲み会に持参する予定だったんですよ。でも一口口を付けて、ふと気が付いたら酒瓶が空に…」
「やはりか。悪魔族の酒は、我を忘れるほどに美味かっただろう」
「悪魔的な美味しさでした」

 ゼータがメリオンより悪魔族の酒を貰い受けたのは、今日より4日前のこと。機を逃せば2度とはお目に掛かれぬその酒を、ゼータは当然のように今日の飲み会に持参するつもりであった。しかし酒好きにとって酒は麻薬に等しい。タンスの上において風貌を眺めるうちに、気が付けば瓶の蓋を開けていたのだ。そしてはっと意識を取り戻したときには、酒瓶は見事に空っぽ。ゼータはかつてない満足感に浸りながらも、貴重な酒を飲み干した罪悪感に苛まれる羽目になったのである。そして代わりの土産としてポトスの街で手頃な焼き菓子を買い求め、今日に至る。罪悪感に身を縮めるゼータと、どこか満足げなメリオンを交互に見やり、不思議そうに首を傾げる人物はザトだ。

「酒をやったのか?メリオンがゼータに?珍しいこともあるもんだ。そんなに仲が良かったのか?」
「仲が良い?鳥肌ものの戯言を抜かすな。餌付けだ、餌付け。警戒心丸出しの黒猫に、少し餌をやったまでのこと。毛を逆立てていた黒猫が、酒瓶を見せた途端見事に態度を翻しおった。尻尾を振って擦り寄って来る様は滑稽の一言であったぞ」

 最近気が付いたことであるが、メリオンの毒舌の滑らかさは発言時の機嫌に左右される。公務中であればまだ回避は可能だが、酒を嗜み上機嫌の飲み会中ともなれば被弾は避けられない。淀みない毒舌により撃ち抜かれた胸元を抑え、ゼータは苦しげに呻く。恨みがましい視線を向ける先は、やはりザト。

「…ザト」
「すまんな。口が悪いだけで性根は良い奴なんだ…多分」
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