齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎

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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ

ジン

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 木製の扉から一歩外に出れば、そこには目が回るほどの人混みがある。ポトスの街の歓楽街も、日が暮れれば人通りが増す。しかしリーニャの大通りはその遥か上を行く。人混みの密度だけではなく、耳に届く喧騒もだ。怒号に近い客引きの声、客引きの声に負けんと声を張り上げる通行人、飲み屋の店内から漏れだす笑い声。人が増えれば当然諍い事も起こるようで、「人にぶつかったら大人しく謝れ屑野郎」などという罵倒が響いている。この人混みの中を歩くのは簡単なことではないと、ゼータは店主の背にぴたりと張り付く。
 恰幅の良い店主は人混みの中をすいすいと進んだ。道行く人にぶつかる頻度も高いが、「厳つい」風貌の店主が通行人に怒号を浴びせられることはない。無精髭に棍棒の腕、威嚇としては十分だ。店主の背に張り付くゼータも、難なく人混みの中を進むことができる。

 やがて2人は大通りを抜け、狭い路地へと行く道を変えた。同じ路地であっても、ポトスの街中のそれとは大分雰囲気が違う。道幅は人一人がようやく通れる程に狭く、店主は両肩を壁に擦りながら歩いている。壁の至る所には落書きがあり、幼児には見せられぬ淫猥な言語も書き散らかされている。土の地面を埋め尽くすのはゴミだ。それも飲食店から出た生ごみや食べ残しの類が多いようで、顔を顰めるほどの悪臭が漂っている。観光客が増えたことにより、リーニャの顔である大通りこそ手入れが進んでいる。しかし人の目に移らぬ場所には、まだ混沌時代の面影が色濃く残されていた。

 数十mに及ぶ路地を抜け、住宅街と思われる通りに足を踏み入れたときのことである。それまで無言を貫いていた店主が、やや遠慮がちに口を開いた。

「アンタ、名前は何と言うんだ」

 そう言えばまだ名を名乗っていない。ゼータは足を速め、店主の横に並ぶ。

「ゼータと言います」
「ゼータ…ゼータね。やっぱり…」

 ゼータの名に思い当たる節があったのか、店主は頭髪をがしがしと掻いた。以前会った時に、店主は湖畔の街リーニャの首長である2人の男と懇意にしていると話していた。現在の国王たるベアトラと、南部首長であるシシカ。彼らとの付き合いが続いていれば、建国式に参列したドラキス王国王妃の話を耳にすることは当然あったはずだ。名も、風貌も。

「緋髪の男を探していると言ったな。彼の国王の御身に、何か良からぬことが起こったのか」
「さぁ、どうでしょう。王宮からの正式な通達は出ていませんが」
「通達はないって…だってアンタは」
「私は一介の研究員ですよ。ドラゴンの研究をしているんです。ドラゴンが単騎で飛行している姿は時々見かけますけれど、喧嘩風景は初めて見ました。喧嘩の行く末が気になるじゃないですか。私はただ、自分の趣味で2頭のドラゴンを追っているだけですよ」

 ドラゴンを追う理由について、人に尋ねられればそう答えようと考えていた。研究職の身として、趣味でドラゴンを追っている。嘘ではない。レイバック探しについて王宮からの正式な要請は受けていないのだから、このドラゴン探しはあくまでゼータの自己判断だ。王妃なのだろうと問われても、違うと答えることに嘘はない。今ドラキス王国の頂に立つ者は、代理王であるメリオンだ。淫猥物の妃など、全力で辞退を願い出たい。

「…アンタがそう言うならばそれで良いさ。人は秘密を抱えるもんだ。無理やり暴くような真似はしない。ああ、申し遅れたが俺の名はジンダイという。仲間内ではジンで通っているから、好きに呼んでくれ」
「ジンダイさん。では遠慮なくジンさんと呼ばせてもらいます」
「口調が粗雑なのは多めに見てくれよ。俺はベアトラ国王と話す時もこうなんだ。畏まった話し方ができないわけじゃあないが、どうにも性に合わん。わたくし、なんて言った日にゃあ脇腹に湿疹が出るんだ」

 そう言ってジンダイが盛大に顔を顰めるものだから、ゼータはくつくつと笑い声を零した。確かに荒くれ者の風貌に「わたくし」は似合わない。
 雑談を交わしながら、10分程は歩いただろうか。2人の足は大通りに等しく賑やかな通りへと辿り着いた。賑やかと一口に言っても、この通りの賑やかさは、多種多様な人々が混在する大通りの賑やかさとは一味違う。まず通りにいる大半は女性だ。それも露出の多い衣服を纏った客引きの女性。通りを歩く男性客に枝垂れかかるようにして、店内へと誘い込もうとしている。鼻腔に流れ込むは香水と白粉の香りだ。通りの左右に立ち並ぶ店が、戸口に掲げた桃色提灯が目に眩しい。

「…ジンさん。あの、ここは?」
「リーニャの裏繁華街だ。繁華街とは言っても、観光客の立ち入る場所ではない。危険だからな」
「危険、なんですか?」
「危険だとも。金を持っている観光客は、裏繫華街の者にすれば良い鴨だ。言葉巧みに有り金全部巻き上げられるぞ。ごねて女性店員に手を上げようものなら、店の奥から巨人族の男が出てくるんだ。身の丈3mの大男に金を払えと脅されちゃあ、どんな奴でも縮み上がっちまうってもんよ」
「大丈夫なんですか?そんなところに来て」
「地元の人間が作法を守って利用する分には、問題はない。良い女が酌に付けば、人は口が軽くなる。裏繁華街の店は情報の宝庫だ。新鮮な情報を手に入れるために、俺はよくここへ来る」

 ジンダイが突然裏繁華街へ行くと言ったのは、やはりゼータへの情報提供のためであったのだ。外出の目的がわかり一先ず安堵を覚えるものの、行き先の酷評を聞いた後では安穏ともしていられない。無事有り金を守り抜くことができるのかと、ゼータは懐の革袋をそっと抱きしめる。

 ジンダイが足を止めた場所は、裏繫華街の一角にある2階建ての建物の前だ。一階部分のど真ん中には大きな格子戸の出入り口。格子戸の上部では、5つの桃色提灯が艶やかな光を放っている。壁の一部はガラス張りになっているのだが、曇ったガラスの内側に並ぶのは数多の酒瓶だ。店内窓際に設けられた3段の木棚に、大小様々色彩豊かな酒瓶が所狭しと並んでいる。酒瓶の向こうに人の姿は見えるが、店内の様子がどうであるかは外部からはわからない。
 ゼータを不安にさせるものは、格子戸前で客引きを行う女性の風貌だ。濃い化粧に隠され本来の顔の美醜はわからないが、着ている衣服は淫猥の一言だ。ふわりと広がるスカートの裾は、風が吹けば下着が見せそうなほどに短い。桃色提灯に晒される白い足が目の毒だ。上半身は袖の長いシャツを纏っているのだが、襟元は大きく開き豊かな谷間が丸見えである。「お兄さん、一緒に飲んでいかない?サービルするよ」紅の唇から零れ落ちる声音は蜂蜜のように甘く、蜜に誘われた一人の男性が店内へと吸い込まれて行く。そして男性の背中が格子戸の向こうへと消えた時に、紅の唇は薄く弧を描くのだ。お客様の、ごあんなぁい。

「あの、ジンさん。ここはいかがわしい店ではない?」
「いかがわしい接触は禁物だ。魅力的な女がいても、遠目から干渉するに留めてくれ。触って良い、と言われても触るんじゃないぞ。乳にでも触ろうもんなら、最低でも金貨一枚は持っていかれる」
「私、極力お金は節約したいんですけれど…。もちろん情報量は払いますけれど、この先どんな旅になるかもわからないし…」
「なら精々最初の一杯で粘るこった。店員は酒を勧めてくるから、適当に理由を付けて断るんだ。つまみは俺が頼むから、アンタはメニュー表に触るんじゃない」
「店員と話す分には問題はない?」
「自席に付いた女性店員と話す分には、問題はない。ただ別席の店員や給仕係に声を掛けると、指名したと見なされて指名料を取られることがある」

 ジンダイの警告に、ゼータはぶるりと身震いをする。

「怖いです」
「怖ければ両手は膝の上。給仕係に話しかけられても、適当に笑顔でやり過ごせ。作法を守れば楽しい場所だ」

 未知の場所に恐れ慄くゼータに対し、ジンダイの足取りは軽い。客引きの女性に会釈をして、格子戸を開ける。置いて行かれてはたまらぬと、ゼータはジンダイの背に縋りつく。
 2名様、ごあんなぁい。蜂蜜の声音が響く。
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