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10.宣戦布告

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 漁を終え魔王城へと戻ったその足で、イシュメルは魔王の書斎へと向かった。リリィによれば、日中の魔王はそこにいることが多いのだという。
 
 イシュメルが書斎の扉を開けると、そこは時の流れから隔離されたかのような空間だ。壁一面の本棚にはこっくりとした色合いの書物が詰め込まれ、天井には黄金に輝くシャンデリア。小窓から射しこむ陽灯りが、ビロードのじゅうたんに日溜まりを作っている。
 書斎の中心には、とろりとした質感のアンティークデスクが置かれていた。デスクには同じ質感のアンティークチェアが据えられており、つややかな容姿の男が腰かけている。人形のように整った顔立ちと、世闇を落としたかのような黒髪。陶器のような指先で、熱心に剣の手入れを行っている。この光景を1枚の絵画として切り取れば、さぞや有名な名画となることだろう。
 
 絵画の登場人物のように美しい男は、低い鐘の音を思わせる声で言った。
 
「何の用だ」
 
 イシュメルは背筋を伸ばした。
 
「魔王よ。聖ミルギスタ王国騎士の名の下、貴様に決闘を申し込む」
「ほう……何のために?」
 
 イシュメルはビロードのじゅうたんを踏みしめて、よく通る声で答えた。
 
「私と貴様の戦いに決着をつけるためにだ。決闘の期日は5日後、時刻は正午、場所はおとといと同じ魔王城の園庭。勝利の条件はどちらかが死ぬこと。どうだ、受けて立つか」
 
 魔王はすぐには答えなかった。イシュメルに視線すら向けない。油を塗ったばかりの長剣に、うっとりとした眼差しを向けている。その剣は昨晩寝室で手にしていた物とは違う。柄頭ポンメルにいくつもの翡翠玉が埋め込まれた、神々しささえ感じる剣だ。
 その剣を柄頭ポンメルから切っ先まで何度も眺め渡した後、魔王はようやくイシュメルを見た。
 
「その決闘に際し、この魔力封じの呪印は」
「もちろん解除する。人の姿で私を切ろうが、黒龍の姿で私を食おうが、好きにすればいい」
「どうした心境の変化だ? 小汚い手を使ってでも俺を殺したかったんじゃなかったのか」
「小汚い手を使っても貴様は殺せない。小刀では人の首を落とせないし、何よりもここは貴様の城だ。あの手この手を尽くしたところで、貴様を殺せる可能性は限りなく低い。それならばいっそ――」
 
 イシュメルの言葉を遮って、魔王はふんと鼻を鳴らした。
 
「正々堂々戦った方がまだ勝率はあると? お前、俺に一撃でのされたことを忘れたのか」
「あのときは龍と戦う心の準備ができていなかった。初めから龍を相手にすると心得ていれば、もう少しまともに戦えるさ。どうする。受けて立つのか、立たないのか」
 
 2人きりの空間に沈黙が落ちた。時の流れから隔離されたような魔王の書斎、本当に時が止まってしまったかのようだ。
 瞬きのたびに瞼がぶつかる音、こめかみに汗が流れる音、どくどくと煩い胸の鼓動。聞こえるはずのない音が、魔王の耳に届いてしまうのではないか。不安さえ覚える静寂だ。
 
 止まった時を動かしたものは、低くかすれた魔王の声だった。
 
「殺すぞ、いいのか」
「構わない」
 
 イシュメルの答えに迷いはない。
 手入れを終えたばかりの長剣を、魔王は愛おしむように一撫でした。それから指先でちょいちょいとイシュメルを呼び寄せる。まるで飼い猫を呼び寄せるかのような、尊大な手招きである。イシュメルは数秒迷い、それからすぐに魔王のそばへと歩み寄った。
 
「武器はこれでいいか」
 
 言葉とともに、イシュメルの腹の前には長剣が差し出された。手入れを終えたばかりの美しい剣だ。
 
「……くれるのか?」
「誰がやるか。貸すだけだ。お前が死んだら返してもらう」
 
 決闘に際し、武器を貸して欲しいと願うつもりではあった。しかしまさか今しがた手入れを終えたばかりの剣を貸してもらえるとは。
 イシュメルは両手を持ち上げ、差し出された剣を受け取った。見た目よりもずっと重たい剣だ。刀身は貴重な玉鋼、刃こぼれ一つなく研ぎ澄まされている。ヒルトには繊細な模様が彫り込まれ、柄頭ポンメルに埋め込まれた翡翠玉の輝かしく美しいこと。
 
「……いい剣だ」
 
 イシュメルが思わず本音を零せば、魔王はどことなく誇らしげだ。特別な思い入れがある剣なのだろうか、とイシュメルは思った。
 
 その後は2言3言会話を交わし、イシュメルは魔王の書斎を後にした。
 人気のない廊下の一角で歩みを止め、受け取ったばかりの剣に視線を落とす。すらりと長い刀身に、よく手に馴染む細身のヒルト。芸術品のような美しさを醸しながらも、その剣は人の肉と骨を断ち切ることに適している。
 
「本当に……いい剣だ」
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