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31.神の御許には

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 イシュメルが独房へ入れられてから14日が経った。
 
 食事や衣服の差し入れをする下女以外、立ち入る者のいなかったその独房に、今日久しぶりに来訪者があった。聖女アリシア、リュイとザカリ、それと武装した3人の兵士だ。
 イシュメルは丁度日課の腕立て伏せを終えたところで、手の甲で汗を拭いながら聖女の言葉を聞いた。
 
「イシュメル・フォード、気分はいかがですか」
「良いわけがないだろう。2週間も独房に閉じ込められて」
 
 イシュメルが怒りを隠さずにそう返せば、アリシアはくすくすと肩を揺らして笑った。腰まで伸びた銀色の髪が、笑声に合わせて波のようにうねる。
 
「失礼、質問を変えましょう。この2週間のうちに、貴方の中では何かしらの心情の変化がありましたか」
「ないな。日々うっぷんが溜まる以外には」
「では貴方はいまだに、魔王との和解が可能だとお考えですか?」
「可能だ。そしてそのためには、まず暴漢の手から魔王を救い出す必要がある。いくら時間が経っても私の意見は変わらない。端から悪しき術になどかけられていないのだから」
 
 凛と語られるイシュメルの主張に。アリシアは悩ましげな表情となった。

「……やはり魔王のかけた術は、時間経過で解ける代物ではありませんか」
「だから魔王は私に術など」
「よろしい。人の力で解けないとなれば、神の力を借りる他に方法はありません。イシュメル・フォード、貴方をエイムダルの丘へとお連れいたします」
「エイムダルの丘? そこは確か、聖女が神器に神の力を宿す場所……」
 
 イシュメルの言葉をさえぎって、アリシアは高らかと告げた。
 
「我が国で一番神に近い場所、聖エイムダル教会へと貴方をお連れいたしましょう」
 
 ***
 
 聖ミルギスタ王国にただ一人の聖女は、神の力を借りて神器を創る。正確に言えば人間の手が創り出した様々な道具に、聖女の名の下で神の力を下ろすのだ。そのためには極限まで穢れを落とした道具と、そして穢れに触れることのない清らかな空間が必要となる。
 
 エイムダルの丘。そこはかつて神々が地上に生物を下ろした場所と言われている。人間を、魔族を、動物を、魔獣を、昆虫を、神獣を。この世に存在するすべての生物は、エイムダルの丘から地上へと下り立ったのだ。生命の起源とも言える神聖な大地である。
 その神聖な丘の上に建てられた建物が、聖エイムダル教会だ。建物自体は古風な石造りで、天高くそびえる円柱屋根には銀製の十字架が高々と掲げられている。大聖堂のある教会本棟の裏手には、司祭館や菜園、家畜小屋や修道館などが併設されており、まるで丘の上に築かれた小さな村のような場所だ。
 
 宮殿から馬車に乗り込み、林道を駆けることおよそ1時間。アリシア率いる一行は聖エイムダル教会へとたどり着いた。着いた、と言っても教会の門扉はもう少し先。花々の揺れる園庭を通り抜けなければならない。
 
「ここが聖エイムダル教会……僕、初めて来ました」
 
 のどかな園庭を歩く最中、そう呟く者はリュイ。すかさずザカリが言葉を返す。
 
「聖エイムダル教会の大聖堂には、通常一般の民の立ち入りは認められない。神聖な場所だからな。立ち入りが許されるのは生涯神に仕えることを約束した司祭と助祭、聖女、それから修道館で暮らす数名の修道士だけだ」
「僕たちは今日、大聖堂に立ち入ることができるんでしょうか」
「いや……恐らく教会の外で待ちぼうけだろうな。聖女が赦しを与えた者以外、大聖堂の扉をくぐることは許されないから」
「そうですか。折角の機会なのに残念です」
 
 イシュメルは園庭を黙々と歩きながら、ザカリとリュイの会話に耳を澄ませていた。
 神聖なるエイムダルの丘。名前こそ知っていたが、イシュメルがエイムダルの丘を訪れるのは初めてのことだ。本当にこのような場所があったのかと感動すら覚えてしまう。状況さえ違っていれば、さぞ厳粛な気持ちで園庭の花々を眺めることができただろうに。
 
 間もなくして一行は聖エイムダル教会の門扉前へとたどり着いた。
 ぴったりと閉じられた門扉を背にして、アリシアは言った。
 
「オイヒストン司祭と少し話をしてきます。皆はここでお待ちなさい。良いですか、私が戻るまで決して大聖堂の内部へは立ち入らないように。――リュイ・ヒルデ」
「はい」
「ヴィザルの剣の扱いには十分注意なさい。イシュメル・フォードはまだ魔王の術の中にいるのですから」
 
 は、と短く返事をして、リュイは懐の布包みを強く抱き込んだ。
 イシュメルがギオラから借り受けたヴィザルの剣――別名を『宿命を背負いし剣』は、穢れを払うためにエイムダルの丘へと運ばれた。アリシア曰く「100年に渡り魔王の元にあったヴィザルの剣は、邪悪な力により穢されている」と。だから神々の力で満たされた聖エイムダル教会の大聖堂に安置し、ゆくは神具として作り変えるのだという。
 
 馬車の中でその話を耳にしたとき、イシュメルは思わず声を荒げるところであった「その剣はギオラの剣だ、勝手なことをするな」と。こっくりとした色合いの書物に囲まれて、丁寧に剣の手入れを行っていたギオラの姿がまぶたの裏にありありと浮かんだ。手に入れた経緯はどうであれ、ギオラはヴィザルの剣を宝物のように扱っていた。誰が持っていたから穢れるだとか、どこに置けば清められるだとか、そんな事があるはずはないのに。
 
 アリシアの姿が見えなくなってから少し経った頃、大聖堂の扉が重たい音を立てて開いた。アリシアが戻ったのかと思えば違う。修道士服に作業エプロンを身に着けた若い男性が、扉の内側からひょいと顔を出したのだ。手にはブリキ製のバケツを下げている。
 
「ああ、聖女のお連れ様方ですか。ようこそ聖エイムダル教会へ」
 
 エプロン姿の男性の朗らかな挨拶には、やや緊張気味のザカリが返事をした。
 
「何か問題でも起こりましたか?」
「いえ、何もありませんよ。私は仕事をしにきただけです。少々うるさくしますが、どうぞお気になさらずに」
「仕事?」
「はい。大聖堂の扉に傷がついてしまったんです。小さな傷ではありますが、聖エイムダル教会は神の御許でございますから。早いうちに直してしまわなければと思って」
 
 そう話しながら、男性が左右開きの扉を開け放てば、皆が招かれるようにして扉のそばへと寄った。扉の傷が見たかったのではない。扉の向こう側の大聖堂を覗き見たかったのだ。選ばれた者しか立ち入ることの許されない聖エイムダル教会の大聖堂を。
 
 イシュメル、リュイ、3人の兵士が神々しい大聖堂を垣間見るかたわら、ザカリだけが生真面目に男性の話し相手を務めていた。
 
「ああ、これがその傷ですか。大聖堂内に獣でも入りこんだのですか?」
「そう聞いています。司祭館の窓が開いていたようで、夜中に野生の猿が入りこんだのだとか。猿相手に激闘を繰り広げてしまったと、司祭は大層笑っておられましたよ。大聖堂内部の装飾に傷をつけられなくて本当に良かった」
 
 イシュメルは大聖堂を覗き込むことをやめ、ザカリの頭の後ろから扉を見た。日の光に照らされる大聖堂の扉には、確かにいくつもの爪痕が残されていた。
 ぞくりと背筋が寒くなった。とても嫌な傷だ。まるで大聖堂内部に閉じ込められた何者かが、扉を開けようと必死で爪を立てたよう。魔王城の地下牢の壁にもこれと同じ傷が無数に残されていた。劣悪な環境から逃げ出したいと願う者の、必死の抵抗の痕。
 
 イシュメルは男性に尋ねた。
 
「失礼だが、猿が入りこんだというのはいつ頃の出来事だろう」
「もう3、4日前のことですよ」
「聖エイムダル教会の司祭殿が、その猿を追い払った?」
「ええ、そう聞いています」
「現司祭殿に、私はお会いした経験がない。名は何とおっしゃったか」
「オイヒストン司祭です。シュバルツ・オイヒストン」
「お若い方でいらっしゃるか」
「司祭職に就かれる方の中では抜きんでて若いですね。貴方と同じ年頃かと存じますよ」
「……オイヒストン司祭にお会いできるだろうか。少々話をしてみたい」
「お望みでしたら司祭にお声掛けは致します。でも、あまり期待はしないでください。司祭はここ2週間ほど体調を崩されているんです。猿を追い払ったとき頭に傷を負われたこともあり、この数日は司祭館で療養を」
「髪の色は」
 
 説明をさえぎるイシュメルの低い声。エプロン姿の男性は怪訝と眉をひそめた。
 
「……はい?」
「オイヒストン司祭の髪の色は」
「赤茶色……ですけど」
 
 その答えを聞いた刹那、イシュメルはザカリの背中を突き飛ばした。虚を突かれたザカリは男性を巻き込み地面へと倒れ、吹き飛んだバケツがガラガラと賑やかな音を立てる。
 
 勢いよく地を蹴ったイシュメルは、ありったけの力でリュイに体当たりをした。
 悲鳴をあげるリュイの懐から布包みを奪い取り、開け放たれた大聖堂の扉をくぐる。聖女の許可なくして立ち入ることの許されない聖域に。
 駆ける背中に男性の金切り声があたった。
 
「いけません、すぐに大聖堂から出てください! 貴方がたも勝手に聖堂内に入らないで!」
 
 走る最中にちらと振り返って見れば、ザカリに押し潰された男性が、聖堂内に立ち入ろうとする兵士たちを懸命に制止していた。
 追っ手はこない。イシュメルは大聖堂の中心で布包みを剥いだ。柔らかな絹地の中から現れる物は、みがき上げられたヴィザルの剣。
 
 悪を滅ぼし、正しき者たちを救い上げよとの願いが込められた剣。
 世を正す『宿命を背負いし剣』
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