Crescendo ──春(ハル)ノクルオト

さくら乃

文字の大きさ
56 / 123

 ─ 12

しおりを挟む


**


 やっと、あの人の音が聴ける。

 俺はその日までの毎日を何をしていたのか思い出せない程、心待ちにしていた。
 しかし、やっと聴くことのできたその音に、俺は酷く戸惑った。それは次第に激しい苛立ちに変わる。

( こんなの、あの人の音じゃない )

 眼の前にいたら、怒りをぶつけてしまいそうだ。


 その日のカンナ交響楽団のクリスマス・コンサートは、土曜日の昼間ということもあって、子どもでも楽しめる演目になっていた。
 第一部では、誰でも知っているような、クリスマスソングや子どもが好きそうなの曲のアレンジが続く。ピアノも他の楽器に混ざって演奏している。
 そして、一部の最後は、第二部からの演目を期待させるような曲が演奏された。
 ピアノの伴奏による、ヴァイオリン独奏曲『G線上のアリア』

( やっぱり…… )

 ピアノが目立つ曲であろうとなかろうと、そんなことは関係なかった。勿論、技術は素晴らしい。周りの観客は、皆、絶賛している。

 この音には、何も感じられないというのに ── 溢れるばかりのピアノを愛おしいと思う気持ちも、苦しいくらいの激情も、何も感じられないのに。
 まるで、仮面をつけてしまっているようだ。

 ちらっと隣の夏生を見る。夏生は拍手をしながらも、何処か微妙な顔をしている。彼もまた、あの人の本来の“音”を知っているのだろうか。
 心底、あの人が眼の前にいなくて良かったと思った。

 ── しかし、不幸にも、その機会はすぐに巡ってきたのだ。

 一部が終わり、三十分の休憩に入る。俺も夏生と一緒にロビーへ出た。お互いトイレで用を済ます。
 先に出ていった夏生は、クロークに預けてあった花束を受け取っていた。

 俺はまだ先程の演奏に対する苛立ちで頭が一杯になっていて、夏生が何処へ行くか考えずに彼の後ろを歩いていた。
 気がつくと、何処かの部屋の前。ドアは開いていて、内の賑わいが聞こえてくる。
 楽団員の控え室らしい。夏生がドアの前に立つと、その中の一人がこちらに向かって歩いて来る。

 それは、勿論、『カンナシウ』だ。

「夏生、来てくれたんだ」
 彼は演奏など気にしてる風もなく、にこにこと笑っている。
「はい、カンナちゃん」
 夏生もあの時見せた微妙な顔は露程もなく、彼に花束を渡した。

「わぁ、綺麗。ありがとう ── ん?誰?」

 夏生の後ろにいた俺に気づく。
「あ、従兄弟なんだ」
 その時夏生は俺を紹介しようと思ったのかも知れない。でも俺は、ふたりの何事もなかったという態度に更に腹を立てた。
 彼と夏生との間に無遠慮に割り込み、カンナシウの顔を睨みながら、言い放つ。

「今日のあんたの音はいったい何なんだ、全く何も感じられない ── そんなに嫌なら、そんなに辛いならやめてしまえばいい」
    
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

【完結】恋人になりたかった

ivy
BL
初めてのキスは、 すべてが始まった合図だと思っていた。 優しい大地と過ごす時間は、 律にとって特別で、 手放したくないものになっていく。 けれど……

双葉の恋 -crossroads of fate-

真田晃
BL
バイト先である、小さな喫茶店。 いつもの席でいつもの珈琲を注文する営業マンの彼に、僕は淡い想いを寄せていた。 しかし、恋人に酷い捨てられ方をされた過去があり、その傷が未だ癒えずにいる。 営業マンの彼、誠のと距離が縮まる中、僕を捨てた元彼、悠と突然の再会。 僕を捨てた筈なのに。変わらぬ態度と初めて見る殆さに、無下に突き放す事が出来ずにいた。 誠との関係が進展していく中、悠と過ごす内に次第に明らかになっていくあの日の『真実』。 それは余りに残酷な運命で、僕の想像を遥かに越えるものだった── ※これは、フィクションです。 想像で描かれたものであり、現実とは異なります。 ** 旧概要 バイト先の喫茶店にいつも来る スーツ姿の気になる彼。 僕をこの道に引き込んでおきながら 結婚してしまった元彼。 その間で悪戯に揺れ動く、僕の運命のお話。 僕たちの行く末は、なんと、お題次第!? (お題次第で話が進みますので、詳細に書けなかったり、飛んだり、やきもきする所があるかと思います…ご了承を) *ブログにて、キャライメージ画を載せております。(メーカーで作成) もしご興味がありましたら、見てやって下さい。 あるアプリでお題小説チャレンジをしています 毎日チームリーダーが3つのお題を出し、それを全て使ってSSを作ります その中で生まれたお話 何だか勿体ないので上げる事にしました 見切り発車で始まった為、どうなるか作者もわかりません… 毎日更新出来るように頑張ります! 注:タイトルにあるのがお題です

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

有能課長のあり得ない秘密

みなみ ゆうき
BL
地方の支社から本社の有能課長のプロジェクトチームに配属された男は、ある日ミーティングルームで課長のとんでもない姿を目撃してしまう。 しかもそれを見てしまったことが課長にバレて、何故か男のほうが弱味を握られたかのようにいいなりになるはめに……。

虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」 不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。 待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。 しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。 「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」 記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。

処理中です...