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第五章
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( この視線 ── )
このホテルに入った時から、ずっと《視線》を感じていた。現れては、消える《瞳》。冷たくて、熱い《視線》。
( こいつだったのか。それにこの匂いも )
秋穂の部屋に微かに残る匂いと同じものが、今それよりも濃く鼻腔に広がる。
「あれ、こいつ……」
後ろで詩雨も反応していた。寮で何度か見かけたと言っていたのを思い出す。
「秋穂の兄の壱也 ── 大学部の二年です」
壱也は手を差し出した。冬馬もその手に応える。壱也の口許にいやらしい笑みが浮かぶ。
「兄 ── と言っても、義理のですけどね。彼は養子なので」
聞いてもいないのに、ずらずら話しだす。
「秋穂の母親は僕の伯母ですが、使用人と家を出て捨てられた挙げ句、男に刺された恥知らずな女ですよ」
殊更に大きな声で話すと、壱也のとりまきたちが忍び笑いを漏らす。
それに対して冬馬は、やや抑え気味の声で答えた。
「そんなに大声を出さなくても聞こえますよ、石蕗さん。── 橘冬馬といいます。秋穂くんの友人です」
握手を交わす手に力を籠める。壱也が一瞬顔をしかめた。
聞き慣れない口調と、見慣れない表情の中に冬馬の激しい怒りを感じ、秋穂は彼のスーツの裾を引いた。しかしそれすら気がつかずに、冬馬は攻撃を仕かける。
「貴方は秋穂の母を“恥”だと言いますが、このような人の多い場所で声高にそれを言うのは、家の恥をも曝すようなものではないんですか」
四つも年下の男に気圧され、壱也の薄笑いが消える。強く握られたままの手を振りほどいた。
「きみが橘くんか、秋穂から聞いているよ。とても世話になっているようだね。礼を言うよ」
その言葉とは裏腹の、鋭く冷たい眼で冬馬を見る。
冬馬はにこやかに笑った。
「貴方になんか礼を言われたくはないですね。 ── 僕も、秋穂くんから貴方のことを聞いています」
やや前屈みになり壱也に近づく。もう笑ってもおらず、低く凄みのある声を出す。
「この四年間、貴方が彼に何をしてきたか ── 」
「トーマ!」
詩雨の叫び声がその言葉を遮ると同時に、肩を強く引かれた。
「秋穂が……っ」
振り返ると、秋穂が白い顔で横たわっていた。近づいて様子を伺うと気を失っているようだった。
( しまった )
やり過ぎた、と思った。初めて顔を合わせたあの残り香の男に、我を忘れた。この男を責める言葉は、そのまま秋穂の傷にも触れる。
(アキ……ごめん)
秋穂を抱き上げる。ざわつく周囲には眼もくれず、腕にしたものを誰の眼にも触れさせたくないかのように、足早にその場を離れていった。
このホテルに入った時から、ずっと《視線》を感じていた。現れては、消える《瞳》。冷たくて、熱い《視線》。
( こいつだったのか。それにこの匂いも )
秋穂の部屋に微かに残る匂いと同じものが、今それよりも濃く鼻腔に広がる。
「あれ、こいつ……」
後ろで詩雨も反応していた。寮で何度か見かけたと言っていたのを思い出す。
「秋穂の兄の壱也 ── 大学部の二年です」
壱也は手を差し出した。冬馬もその手に応える。壱也の口許にいやらしい笑みが浮かぶ。
「兄 ── と言っても、義理のですけどね。彼は養子なので」
聞いてもいないのに、ずらずら話しだす。
「秋穂の母親は僕の伯母ですが、使用人と家を出て捨てられた挙げ句、男に刺された恥知らずな女ですよ」
殊更に大きな声で話すと、壱也のとりまきたちが忍び笑いを漏らす。
それに対して冬馬は、やや抑え気味の声で答えた。
「そんなに大声を出さなくても聞こえますよ、石蕗さん。── 橘冬馬といいます。秋穂くんの友人です」
握手を交わす手に力を籠める。壱也が一瞬顔をしかめた。
聞き慣れない口調と、見慣れない表情の中に冬馬の激しい怒りを感じ、秋穂は彼のスーツの裾を引いた。しかしそれすら気がつかずに、冬馬は攻撃を仕かける。
「貴方は秋穂の母を“恥”だと言いますが、このような人の多い場所で声高にそれを言うのは、家の恥をも曝すようなものではないんですか」
四つも年下の男に気圧され、壱也の薄笑いが消える。強く握られたままの手を振りほどいた。
「きみが橘くんか、秋穂から聞いているよ。とても世話になっているようだね。礼を言うよ」
その言葉とは裏腹の、鋭く冷たい眼で冬馬を見る。
冬馬はにこやかに笑った。
「貴方になんか礼を言われたくはないですね。 ── 僕も、秋穂くんから貴方のことを聞いています」
やや前屈みになり壱也に近づく。もう笑ってもおらず、低く凄みのある声を出す。
「この四年間、貴方が彼に何をしてきたか ── 」
「トーマ!」
詩雨の叫び声がその言葉を遮ると同時に、肩を強く引かれた。
「秋穂が……っ」
振り返ると、秋穂が白い顔で横たわっていた。近づいて様子を伺うと気を失っているようだった。
( しまった )
やり過ぎた、と思った。初めて顔を合わせたあの残り香の男に、我を忘れた。この男を責める言葉は、そのまま秋穂の傷にも触れる。
(アキ……ごめん)
秋穂を抱き上げる。ざわつく周囲には眼もくれず、腕にしたものを誰の眼にも触れさせたくないかのように、足早にその場を離れていった。
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