上 下
9 / 72
第1章:星降る夜

第8話:教皇:ヨン=ジューロ

しおりを挟む
 カナリア=ソナタが凱旋王ことディート=コンチェルトに自己紹介を終えた後、アリス=ロンドの状態を含めての聖地の現状報告をする。ベル=ラプソティはこめかみにズキンズキンという鈍い痛みが走るのを必死に右手の指で抑える。

「アリスは一命を取りとめたけど、まともに戦闘が出来る状態じゃないのね……。これからグリーンフォレスト国へ聖地の生き残りを護送しなくちゃならないのに」

「仕方がありません~~~。何でも星皇様が乗る天鳥船あめのとりふねから飛び出して、怪物たちを排除しつつ成層圏を突き抜けて、ここまで15分足らずで到来してくれたみたいですしィ」

 カナリア=ソナタの報告を聞けば聞くほど、頭痛が強まってしまうベル=ラプソティである。ベル=ラプソティは頭を左右に振り、これ以上、頭痛が脳を傷めないようにと強制的に振り払う。そうした後、改めてディート=コンチェルト国主に頭を下げて、聖地に残る皆の護衛を頼むことになる。

「ハーハハッ! アリス殿とやらが聖地に蔓延る怪物たちのほとんどを倒してくれたようなので、わしらの出番など、ほとんど無いはずじゃ。ここから西に3キュロミャートル行った先にある転移門ワープ・ゲートまでの護衛なぞ、朝飯前じゃて」

 ディート=コンチェルト国主たちは本国であるグリーンフォレスト国から転移門ワープ・ゲートを使って、この聖地近くまでやってきていた。それゆえに、そこまでの道中までの護衛のみで終わる任務であり、何の心配があろうものかと高笑いしてみせる。

 しかし、対照的に顔を曇らせるのがベル=ラプソティである。聖地にある福音の塔が半分以上、崩れ去った今、聖地自体が発していた神気は眼に見えるように衰えてきている。ハイヨル混沌軍団の残党が再び聖地を襲うまで、時間的猶予は一切無いと考えていた。

 それゆえにベル=ラプソティはカナリア=ソナタに聖地からの離脱を最優先とするように皆に伝えてほしいと指示を出す。聖地が今置かれている現状をベル=ラプソティよりも詳しく知っているカナリア=ソナタはコクリと頷き、胸についているスイカをぶるんぶるんと振るわせながら、東奔西走とうほんせいそうすることになる。

「いやあ、あれはまさに凶器ですな……。カナリア殿が一声かければ、男なら皆、奮起してしまうだろう」

「カナリアはああ見えて策士ですわ。利用出来るモノならなんでも利用してくれます」

 カナリア=ソナタは間延びした口調のために、アホの子のように思われがちであるが、それすらも利用して、ヒト、特に男たちの心を揺さぶることに長けている。だからこそ、伝達事に関しては、ベル=ラプソティ自身がおこなうよりも、カナリア=ソナタに任せているベル=ラプソティである。

 カナリア=ソナタの主人であるベル=ラプソティのその一言を聞き、どうやら、自分も雰囲気に乗せられていることに気づく凱旋王であった。凱旋王もまた自分のすべきことをすべきだと考え、伝令の者を介して、馬鹿息子に兵と荷物をまとめておくようにと指示を出す。馬鹿息子ことクォール=コンチェルト第1王子はやれやれと身体の左右に腕を広げた後、帰り支度に入る。

「これはこれは教皇様。この度の災難。わしも心が痛みますぞ」

「うむ。ベル=ラプソティ殿が皆を奮起してくれたおかげで、なんとか難を逃れることができましたぞ。ベル殿から聞いているが、そちの国で面倒を見てもらうことになるそうだが?」

 ディート=コンチェルトは手を引かれてやってきた教皇に対して、片膝をつき、うやうやしく頭を下げる。教皇は満足気にコクコクと首級くびを縦に数度、上下させる。その後、ディート=コンチェルトが神官プリーストたちの代わりに教皇の手を引き、幌付き荷馬車の荷台へと案内する。

「教皇様専用の御馬車では、ここに教皇様がいらっしゃるということを敵に宣伝するようなものですじゃ。汚い荷馬車の荷台の上で申し訳ございませぬが、しばしの我慢を……」

「あい、わかっておる。そこに不満を言うほど、マロは傲慢不遜ではない」

 ディート=コンチェルト国主は教皇様が聡明な方で助かると思ってしまう。今代の教皇であるヨン=ジューロは齢30半ばを過ぎたばかりで教皇の座に就くには若すぎる男であった。しかし、聖地の高位を老人たちで固めるのはどうかという先代教皇の鶴の一声で選ばれたのがヨン=ジューロである。彼は若き時から神童ともてはやされている人物であり、他の教皇候補たちを寄せ付けないほどの敬虔さを持ち合わせていた。

 そして、ヨン=ジューロが教皇になるためのお墨付きを与えたのは星皇:アンタレス=アンジェロ本人である。先代教皇と星皇の意志がタッグを組めば、他の教皇候補が口を挟むことなど出来なくなってしまうのは自明の理であった。そして、このヨン=ジューロ教皇はベル=ラプソティが聖地を護る兵士たちの軍権を掌握するのを黙って看過したのである。

 ベル=ラプソティはこの処遇を嬉しく思うと同時に、うさん臭さも持ち合わせることになる。自分はあくまでもヨン=ジューロ教皇にとって、都合の良い人物であったに過ぎないのだという危惧を抱いていた。そして、その危惧は現実のモノとなる。

「ベル殿。聖地でのご活躍、誠に感服いたした。臨時の聖地総督になってもらっていたが、これからはその任をディート=コンチェルト殿に託そうと思う」

「そ、それは!?」

「そなたに軍権を預けたのはあくまでも非常事態がゆえ。凱旋王殿がこの地にやってきてくれたとなれば、経験豊富で実績もある凱旋王殿に任せるべきではないか?」

 ベル=ラプソティはグッ! と唸り、さらには両手で握りこぶしを作る他無かった。ギリギリと歯ぎしりするが、聖地における教皇は絶対的な存在である。そんな2人のやり取りを見て、凱旋王であるディート=コンチェルト国主は心の中でやれやれ……と肩をすくめてみせる。

「ベル殿。ここから先はわしに任せてくだされ。教皇様は其方の活躍を無碍にしようとしているのでは無いのじゃ。悪いのはわしだぞ」

「わかっており……ます。わたくしは他に用があるため、そちらに向かいますっ」

 ベル=ラプソティはその場で回れ右をし、怒りを隠せない足音を立てて、その場を去る。その背中を細い目で見つめる教皇は、ふぅぅぅと長い嘆息をつく。

「親心に近い気持ちで、前線から退けさせたが、恨まれてしまったか?」

「星皇の正妻をいつまもで矢面には立たせられないでしょうぞ。しかし、進んで憎まれ役にならなくても良かったのでないでしょうかな?」

「ほーほっほ。責を被るのは下々ではなく、組織のトップの役目だ。マロはマロが出来ることをするまで」

 30半ばと言うのに海千山千の匂いを醸し出すヨン=ジューロ教皇に、またしてもディート=コンチェルト国主は心の中でのみ、やれやれ……と両腕を広げてみせる。誰しも、星皇の正妻の扱いには困っている。彼女自身は彼女が星皇の正妻という立場にあぐらをかく気は無いという気概を見せてみせるが、それに付き合わされる周りは彼女を腫物のように扱うのは間違いない。

 そういう空気が周りに立ち込める前に、教皇がひと芝居を打った形となったが、当の本人は気づけずじまいとなってしまう……。
しおりを挟む

処理中です...