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3-3 残穢足枷編:禍根会遇の処
162 トラウマ
しおりを挟むここに連れてきた意味、そんなの考えなくても分かる。
(肌が痛いほどの殺意だ……)
敵の戦力は、膨大な魔素を隠さずにこちらへ無防備にも近づいてくる男だけか……?
能ある鷹は爪を隠すとは言うけど……それをしないと言うことは能がないのか、隠す必要が無いほど余裕があり、こちらを低く思っているのか。
まぁ……十中八九後者だろう。
「お前が……そいつを買ったんだな」
「……?」
先程までの表情から苦虫を噛み潰したような顔になり、こちらを睨み付けてきた。
「お前のせいで……ッ!! お前があそこで買わなければ、今頃そいつは死んでただろうにさァ!!」
首元を掻きむしり、ガリガリガリと爪と皮膚が擦れ、血が滲んでいる。
「代わりに俺がストレスのはけ口にされてたんだ、前はお前だったのに!! 大人しく死んでくれたらそれで全て丸く納まってたってのに、余計なことをしてくれてよォ……!!」
「……何を言ってるのか知らないけど、アンはお前達の都合で死ぬために生まれたわけじゃない」
「それは誰が決めた? お前か? 人の生き方なんてお前みたいな下の存在が決めれると思ってんのか? 全部は権力者によって握られてんだよ。それに逆らうのは身の丈を知らないってもんだ」
喜怒哀楽、感情の起伏が激しい男の首や腕、顔には無数の火傷痕や傷跡が見られた。その『あの方』に『ストレスのはけ口』にされた傷なのだろうと想像がつく。
それが、前までアンがされていた……? 背中や腹部にある傷跡は『あの方』って奴がやったってことか。
「──……」
無意識に拳の握る力が強まっていく。
「自分の生き方なんてもんは決めれねぇんだよ。お前もそこのクソ女も……俺だってそうさ。上に立つ者が「右を向け」と言えば右をむく、「左を向け」と言ったら左を向く、「死ね」と言ったら死ぬんだよ。生まれた時から決められてたゴミみてぇな運命だ。そいつもそんな人生に飽き飽きしてた、それでやっとあの日に死ねれたっていうのに……残酷な野郎だよ、お前は」
その言葉を聞き、僕の思考は一瞬止まった。
「…………は……っ? 待て。お前、その言い方、もしかして、アンが買われないと死ぬっていうのは」
「主人の手回しに決まっているだろォ? 掛け金を下げても下げても誰にも買われないように事前に貴族達に手回しをして、闘技場側には30回勝つと廃棄するように伝えていた。自分の価値がどれだけ下がっても誰にも買われないっていうのを噛みしめて死なせたかったんだと。……それも、まぁ、お前のせいでこういう形になったがな」
他の奴隷は、働きを見せたら誰かに買ってもらえると思って戦っていた。だけど、アンはどれだけ頑張って戦っても…………。
他の奴隷の目にはあった『希望』が、アンの目から感じられなかったのは『自分が買われない』と感じていたから。そうだと分かっていたから。
「…………」
アンに直接聞けなかったこと、それが今、分かった。
僕の中で、珍しく殺意という感情が湧き上がってくるのを感じた。
「お前ら……人の命を何だと思って──」
「そんな反抗的な目をしても無駄だ。お前みたいなイキってるだけのガキを俺は何人も殺してきた。どれだけ抵抗しても、今日、この日にお前等はここで死ぬんだよ」
「そんなクソみたいな人生なんかイヤだね……! アンも僕も生きたいように生きるんだ! 僕らの人生にお前が口を出すな――ッ!!!」
感情が昂ぶりながらも、冷静に多重土壁をシルクを囲うように作り上げた。
相手の視界と動きを奪っている間に、あの男と対峙してから肩を微かに震わしていたアンの肩を持つ。
「アン、走れる?」
「あるじ、わたし……」
「走れるかってだけ教えて」
「……走れ、ます」
「だったらこの森を全力で抜けて、ギルドの人に助けを要請してくれないかな」
「っ!? しかし、あるじは……」
「僕はあいつ相手に時間を稼ぐから、ここに残って戦うよ」
「だめです! 危険です! わたしも残って――」
「お願いだ、行ってくれ。」
服の袖を掴み、首を振るアンを何とか説得しようとする。
「僕は死なない。頼りないかもしれないけど、信じてほしい。だけど少しでも勝てる確率を上げたいんだ」
「い、や……なんで……っ、また……わたしは」
おそらく相手は、用意周到に準備を重ねてきた相手だ。
建物内で僕達が帰るまで待機し、特定の場所に立ったタイミングで予め置いた場所へと転移。転移が成功してなかった場合も、アンが言った気配の数で次の手を打っていたのだと思える。
そんな相手を二人でするよりかは、一人が遅滞戦闘を行って、もう一人が全力で助けを呼んでくる方がいいと判断した。二人でやっても全滅してしまうかもしれない。全滅だけは避けなければならない。
(それに……)
隣で涙ぐみながら、僕の袖を引っ張るアンの方に目を向けた。
アンは過去のことを思い出しているのか、いつもの様な覇気が感じられない。
涙ぐむアンの背中を押すと同時に多重土壁が壊され、男は出てきた。
「こんなんで俺を閉じ込めたつもりか?」
「行くんだ!!」
「――ッ!!!」
アンが駆け出した方向に沿う形で土壁を作りだした。
「追わせないよ」
「……ハンッ。いいのかぁ? お前が死ぬのが早まるだけだぞ」
「いーや、僕だけでもなんとかなると思ってね。それに、お前はアンを殺すのが目的なんだろ? だったら……」
僕が言葉を言いかけると男の目が見開いたのが分かった。
「ははははははははははっ……あ~……そうかそうか、くくくっ」
「……何を、笑ってるんだ」
「自分が目的じゃない、だから大丈夫? なに平和ボケしてんのか知らねぇが、お前にいいこと教えてやるよ……今回の標的はアイツじゃなくて、飼い主のお前の方。アイツはただのオマケ」
嘲るように笑い、目を薄め、筋の張った首を抑えながら言葉を続けた。
「奴隷っていうのは適当な理由を付けたら、合法的に、いつでも殺すことができる。だけど一般人は違う、殺そうと思ったら人目を憚らないといけない。だからこんな遠いところまで移動させて、場を整えたんだ。それに、アイツは以前館にいた時より強くなってるらしいから念には念を――ってこんなに話す必要もねぇな」
腰に差していた一本の剣を抜き、僕の目の高さまで上げた。
「……知ってるか? 人って幸福な時間が続けば続くほど、絶望した時の傷口が深くなるんだ。あのクソ女と飼い主のお前なんかいつでも殺せた。だが、ずっと待ってたんだ。今日という日を、ずっと、待っていた」
再びこちらへと歩き出したシルク。
こちらを見据える目の奥に見えるのは、今にも激しく燃え盛りそうな憎悪の炎だった。
「頼むから直ぐには壊れないでくれよ……?」
◇◇◇
「はぁっ……ぅ……!!」
アンは走った。
あの男と会ってから脳裏に蘇ったトラウマが思考能力を奪う高熱へと変わった。
走る足を止めてしまえば、体は休まるだろう。しかし、自身の体の苦しみよりも自分が忠誠を誓った主との約束を果たすために、休むことなく全力で森を抜けていく。
河川を飛び越え、出会う魔物など目もくれず、時折躓きながら走る。
呼吸は荒くなり、その顔は恐怖で歪んでいた。
「あるじ……ッ、あるじ……! わ、わたしのせいだ……!!」
あの男――シルクは以前買われた先に居た戦闘奴隷だった。
その戦闘能力はその貴族を護衛する者達の中でずば抜けて高く、残忍な性格でおんな子ども関係なく殺すような男。
アンが貴族に買われた時、男と話したことはあまりなかった。だが、当時は実力差があったとはいえ、同じ目的で買われた者同士ということもあって同じ場所に置かれ、同じ仕事を任されていた……。
あることが起きるまでは。
――その時の事を思い出し、体の傷が疼く……。
少女が貴族にどのような扱いを受けていたのかは定かではないが、体中にある古傷を見れば容易に想像がつくだろう。
二大貴族が手放した後、30連勝を叩きだした闘技場最強の少女がただ走るために全力を出す。
クラディスの数倍はある魔素量がバケツをひっくり返したように体から抜けていくのを感じる。
自分でも感じたことがない速度。自分が制御できない身体能力の限界をフルで使い、少女は森を抜け、デュアラル王国の門までたどり着いた。
門前では入国審査をしている行列、門兵が門の向こう側にも溢れているのが霞む目で確認ができた。
しかし、アンは速度をさらに上げた。
「!? おい! お前!」
「そこの者、止まれっ!!!」
凄まじい速度で走る少女を止めようと武器を片手に制そうとするが、卓越された体で国に仕える兵士であろうと本気のアンを止められるハズもなかった。
「邪魔だ――ッ!!」
歯を食いしばりながら門兵を睨みつけ、掴もうとしてくる手と武器を掻い潜り、王国内に入った。
数十人の門兵に後を追われるが、アンとの間は徐々に離れていくばかりだ。
疲弊していたとしても、アンの最高速は衰えることは無かった。
「早く……しないとっ、あるじが死んでしまう。わたしの……生き方を教えてくれた人が!!」
必死に走るその目には涙が浮かんでいる。
少女はただ、まっすぐ、冒険者ギルドへと足を走らせた。
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