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第四章
アメリアの嫉妬
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嫌な場面を見てしまった。
馬車の乗り換えのために、田舎町で一旦馬車を降りる。
夜に馬を走らせるのはなかなか至難の業だったが、エデュアルトは御者に幾らか金貨を上乗せしたので交渉は上手くいけた。
馬の準備をする間、休める宿を探す。
僅かな時間なら嫌な顔をされるが、これもエデュアルトの交渉術は巧みだった。
「ありがとう。親切な奥さん」
「あら。お安い御用よ」
エデュアルトは宿屋の女将には、金よりも遥かに得意なことで話をつけた。
三十半ばくらいの女将は、蕩けたようにエデュアルトを見上げる。
田舎町では珍しいくらいのハンサムに、すっかり骨抜きだ。
「でも、たかだか三十分なんて。もっとゆっくりしていけば良いのに」
「いや、急ぐんでね」
「そう。残念だわ」
「時間さえあれば、たっぷり君を知ることが出来るんだがな」
「あら。未亡人を揶揄っちゃ駄目よ」
「俺は本気だよ」
「奥様が怖い目で睨んでいるわよ」
アメリアは二人のやりとりを憮然と見るしかない。
貸し馬車を雇うのも、宿代も、アメリアが用意した金で何とか賄えたが、エデュアルトはスマートに自分の財布を使った。
彼が全て話をつけてくれる。
結局、自立出来ていない。
アメリアだけなら、女性だけの夜道は危険だと貸し馬車も断られるだろうし、宿を借りるのも嫌がられる。
「ありがとう、奥さん。君を口説けないのが残念だ」
「あら。奥様の前でそんなこと言っちゃ駄目よ」
「いや。浮気は公認だからな」
「まあ」
女将は大袈裟なくらい驚いてみせた。
だからアメリアは、目の前でイチャイチャする姿を見せつられても黙っているしかない。
「特別に三十分だけ部屋を借りれた」
エデュアルトは言うなり、ズンズンと二階へと続く階段を昇る。
傷を負ったアメリアに配慮なんてない。
幸いにも、傷口は開いてはいない。
だが、定時の消毒はある。
三十分なら、無理だ。自分で背中に手を伸ばしたり、包帯を巻き直したりなんて、素早く済ませられるほど器用ではない。
「今のうちに手洗いを済ませておけ。それから、温かいスープを用意してくれる段取りだからな。腹に入れておくようにな。食事にありつけるのは、今しかない」
二階の一番奥の部屋の錠を回しながら、事務的に命じる。
部屋は実に簡素で、安物のベッドとサイドテーブルしかない。小さな明かり取りの窓があるだけで、薄くて黄ばんだカーテンが申し訳程度についているだけ。
「宿屋の奥様の部屋へ行きたければ、どうぞ」
「何だ? 拗ねているのか? 」
「そんなわけないじゃない」
「あんなもの、挨拶程度のものだ」
「あなたはこれからも、挨拶として妻の前で堂々と女性を口説くのね」
言わないつもりだったが、つい、胸の内を吐き出してしまっていた。
「そんな調子だから、女性の恨みを買うんだわ」
「何だと? 」
ベッドにどかりと腰を下ろしたエデュアルトは、上着を脱ぐとクラヴァットの結び目を緩める。
「いつまでもフラフラと見境なく女性に手を出すから、あのように逆恨みを買うのよって言ったの」
「誰が狙ったかなんて、まだわかっていない」
「調査しなくとも、わかります。わざわざ顔を狙うなんて」
「犯人は女しかいないって? 」
「ええ。余程、あなたのそのおキレイな顔が憎くて堪らないのでしょうね」
エデュアルトには思い当たる人物が何人もいるのか、黙り込んだ。
ますます、アメリアの心がどす黒くなる。
「先に洗面所を借りるわ」
身を翻すと、木製の古びたドアを開き、急いで滑り込んだ。
そうしないと、涙が彼に知られてしまう。
泣けてくるのは、背中の痛みのせいだ。
きっとそう。
だからエデュアルトに傷ついたりしない。
さっさとトイレを済ませて手を洗っている間中、アメリアはそう自分に言い聞かせた。
「泣いちゃ駄目よ、アメリア。あんな人だってわかっていて、結婚を望んだのだから」
アメリアは嗚咽を堪えて、思い切り鼻を啜った。
今から傷ついて泣いたりしたら、これからずっと涙が止まらなくなる。これ以上、彼からの軽蔑の眼差しは受けたくない。
「お先に」
洗面所を出たときには、何とか平静を繕えた。
「スープが届いているから。さっさと飲め」
サイドテーブルには、湯気の立つスープ皿が二つ。エデュアルトが頼んでくれていたのだ。
早口で言い置いてから、エデュアルトは洗面所へと入って行った。
「思ったより味が薄くないわ」
恐る恐る口にしたスープには、しっかりとコンソメの味がついている。以前、下町で飲んだスープとは大違いだ。
「全部飲んだか? いつ食いっぱぐれになるかわからないからな。しっかり腹に入れておけよ」
「スープが薄くないわ」
「ああ。少しばかり金を握らせて、味を濃いめにしてもらった」
エデュアルトが女将に頼んでくれていたのだ。
「この間、口に合わないと文句を垂れていただろう」
「こんな状況で文句なんて言わないわ」
エデュアルトはアメリアの言葉を無視して、スープを含んだ。
「行くぞ」
クラヴァットの結び目を締め、上着を羽織る。そのまま、ドアへと速足で向かった。
「あ、あの。ブランシェット卿」
慌てて、ドアノブに手を掛けた彼を呼び止める。
「気を使ってくれて、ありがとう」
アメリアは心から礼を述べた。
態度は相変わらず素っ気ないものの、彼は何かと配慮してくれている。
「ふ、ふん。旅の途中で倒れられたら困るからな」
エデュアルトは心なしか頬を赤らめたような気がしたが、たぶん、それは気のせいだ。
馬車の乗り換えのために、田舎町で一旦馬車を降りる。
夜に馬を走らせるのはなかなか至難の業だったが、エデュアルトは御者に幾らか金貨を上乗せしたので交渉は上手くいけた。
馬の準備をする間、休める宿を探す。
僅かな時間なら嫌な顔をされるが、これもエデュアルトの交渉術は巧みだった。
「ありがとう。親切な奥さん」
「あら。お安い御用よ」
エデュアルトは宿屋の女将には、金よりも遥かに得意なことで話をつけた。
三十半ばくらいの女将は、蕩けたようにエデュアルトを見上げる。
田舎町では珍しいくらいのハンサムに、すっかり骨抜きだ。
「でも、たかだか三十分なんて。もっとゆっくりしていけば良いのに」
「いや、急ぐんでね」
「そう。残念だわ」
「時間さえあれば、たっぷり君を知ることが出来るんだがな」
「あら。未亡人を揶揄っちゃ駄目よ」
「俺は本気だよ」
「奥様が怖い目で睨んでいるわよ」
アメリアは二人のやりとりを憮然と見るしかない。
貸し馬車を雇うのも、宿代も、アメリアが用意した金で何とか賄えたが、エデュアルトはスマートに自分の財布を使った。
彼が全て話をつけてくれる。
結局、自立出来ていない。
アメリアだけなら、女性だけの夜道は危険だと貸し馬車も断られるだろうし、宿を借りるのも嫌がられる。
「ありがとう、奥さん。君を口説けないのが残念だ」
「あら。奥様の前でそんなこと言っちゃ駄目よ」
「いや。浮気は公認だからな」
「まあ」
女将は大袈裟なくらい驚いてみせた。
だからアメリアは、目の前でイチャイチャする姿を見せつられても黙っているしかない。
「特別に三十分だけ部屋を借りれた」
エデュアルトは言うなり、ズンズンと二階へと続く階段を昇る。
傷を負ったアメリアに配慮なんてない。
幸いにも、傷口は開いてはいない。
だが、定時の消毒はある。
三十分なら、無理だ。自分で背中に手を伸ばしたり、包帯を巻き直したりなんて、素早く済ませられるほど器用ではない。
「今のうちに手洗いを済ませておけ。それから、温かいスープを用意してくれる段取りだからな。腹に入れておくようにな。食事にありつけるのは、今しかない」
二階の一番奥の部屋の錠を回しながら、事務的に命じる。
部屋は実に簡素で、安物のベッドとサイドテーブルしかない。小さな明かり取りの窓があるだけで、薄くて黄ばんだカーテンが申し訳程度についているだけ。
「宿屋の奥様の部屋へ行きたければ、どうぞ」
「何だ? 拗ねているのか? 」
「そんなわけないじゃない」
「あんなもの、挨拶程度のものだ」
「あなたはこれからも、挨拶として妻の前で堂々と女性を口説くのね」
言わないつもりだったが、つい、胸の内を吐き出してしまっていた。
「そんな調子だから、女性の恨みを買うんだわ」
「何だと? 」
ベッドにどかりと腰を下ろしたエデュアルトは、上着を脱ぐとクラヴァットの結び目を緩める。
「いつまでもフラフラと見境なく女性に手を出すから、あのように逆恨みを買うのよって言ったの」
「誰が狙ったかなんて、まだわかっていない」
「調査しなくとも、わかります。わざわざ顔を狙うなんて」
「犯人は女しかいないって? 」
「ええ。余程、あなたのそのおキレイな顔が憎くて堪らないのでしょうね」
エデュアルトには思い当たる人物が何人もいるのか、黙り込んだ。
ますます、アメリアの心がどす黒くなる。
「先に洗面所を借りるわ」
身を翻すと、木製の古びたドアを開き、急いで滑り込んだ。
そうしないと、涙が彼に知られてしまう。
泣けてくるのは、背中の痛みのせいだ。
きっとそう。
だからエデュアルトに傷ついたりしない。
さっさとトイレを済ませて手を洗っている間中、アメリアはそう自分に言い聞かせた。
「泣いちゃ駄目よ、アメリア。あんな人だってわかっていて、結婚を望んだのだから」
アメリアは嗚咽を堪えて、思い切り鼻を啜った。
今から傷ついて泣いたりしたら、これからずっと涙が止まらなくなる。これ以上、彼からの軽蔑の眼差しは受けたくない。
「お先に」
洗面所を出たときには、何とか平静を繕えた。
「スープが届いているから。さっさと飲め」
サイドテーブルには、湯気の立つスープ皿が二つ。エデュアルトが頼んでくれていたのだ。
早口で言い置いてから、エデュアルトは洗面所へと入って行った。
「思ったより味が薄くないわ」
恐る恐る口にしたスープには、しっかりとコンソメの味がついている。以前、下町で飲んだスープとは大違いだ。
「全部飲んだか? いつ食いっぱぐれになるかわからないからな。しっかり腹に入れておけよ」
「スープが薄くないわ」
「ああ。少しばかり金を握らせて、味を濃いめにしてもらった」
エデュアルトが女将に頼んでくれていたのだ。
「この間、口に合わないと文句を垂れていただろう」
「こんな状況で文句なんて言わないわ」
エデュアルトはアメリアの言葉を無視して、スープを含んだ。
「行くぞ」
クラヴァットの結び目を締め、上着を羽織る。そのまま、ドアへと速足で向かった。
「あ、あの。ブランシェット卿」
慌てて、ドアノブに手を掛けた彼を呼び止める。
「気を使ってくれて、ありがとう」
アメリアは心から礼を述べた。
態度は相変わらず素っ気ないものの、彼は何かと配慮してくれている。
「ふ、ふん。旅の途中で倒れられたら困るからな」
エデュアルトは心なしか頬を赤らめたような気がしたが、たぶん、それは気のせいだ。
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