8 / 56
8
しおりを挟む
管内は一から七までの方面に分けられ、およそ一万の職員が従事している。特別救助隊の発足は一九七一年、現在では全十八部隊三百人に及ぶ。
その一端を担う、大黒谷特別救助隊は五人で構成、二部体制がとられている。
二部の隊長の藤田行長さん。副隊長で一番員の日浦和樹さん。二番員の堂島篤司さん。そして三番員の俺。機関員が橋本である。
機関員とは、消防車の運転を任された者を言う。大型運転免許の他、消防庁内のポンプ機関技術の認定をされなければ認められない。
橋本に無理矢理引き摺られた先は、安定の車庫だった。救急車が出動中のため、行儀よい整列にぽっかりと穴が空いてしまっている。その内の、一際磨かれた救助工作車の前で立ち止まった橋本は、唐突に車体に頬ずりを始めた。
「……」
うわー、めっちゃ引く。何をとち狂ってんだ、この人。
「お前さ、俺の車に傷でもつけてみろや。ただじゃおかへんからな」
「俺の車って。公共のものでしょ」
「うっさい」
悪態をついても、『七福市消防局第ニ特別救助』と車両に書かれた文字に、うっとりするんだ。
陶酔する目つきが、無駄に色っぽい。睫毛、長っが。
いかん、いかん。危うく只ならぬ道に第一歩を踏み落とすところだった。
「七福市広しといえども、大黒谷ほど磨かれた赤車の消防署は、まずあらへんな」
「自慢することですか、それ」
「アホ。消防車は大事な相棒やろうが」
「相棒は俺じゃないんですか」
相棒というより、ペアか。
俺は車両以下かよ。むかつくから、はしご車の車体に指紋つけてやれ。
「その相棒をホテルに置き去りにしたやつは、どこのどいつや」
こめかみをぴくぴくとさせ、橋本はすかさず俺の上腕に手刀を入れてきた。
「痛っ!」
馬鹿力め。手加減しろよ。
自分以外に指紋をつけられることが、この上なく不愉快って。露骨すぎ。
「お前、俺が何で怒ってるんか、わかってへんやろ」
「そりゃあ、大事な消防車に傷つけられそうになって」
「違う!」
言い終わらないうちに遮られる。
「俺の朝からの態度や」
え!今までのあれ、怒ってたの!てっきり、改めての新米いびりかと思った。
「お前なあ!」
不機嫌極まりない理由を全く理解していなかった。表情丸出しの俺に向けて、橋本は牙を剥き唸る。獣かよ。って言うか、この人、こんなふうに怒るんだ。
「俺、あれからずっと連絡しとったよな。ずーっと。ずーっと。ずーっと」
いちいち繰り返さなくとも、わかってるよ。俺のスマホは、あれから振動しっぱなしだ。着信履歴が三桁で、ぞくっとした。
「やっと今朝会えた思ったら……無視かい」
「いや。ちゃんと業務連絡は」
「やかましい!」
汚いな。唾飛ばすなよ。
俺にも俺の事情ってもんがあるんだよ。
あんな、爛れた関係を持ってしまって、平然と出来るか。生々し過ぎるだろ。しかも俺、失恋したてだし。仕事休まなかっただけ、自分で自分を褒めたいくらいだ。
「せっかく俺が、早速らぶらぶいちゃいちゃしよ。日浦に見せつけたろて、張り切ってたのに。当番明けは、夕飯すっ飛ばして、そのままホテル直行して、まずは二人でシャワー浴びて、それから」
「ストーップ!」
思わず叫んでしまった。あまりの声のでかさに、庇にいた雀が飛び立つ。
「待って待って待って待って。何だか話が変な方向に行ってる。あと、内容が具体的過ぎて、えげつない」
「何が」
「俺達、いつ、らぶらぶいちゃいちゃする関係になったわけ?」
青天の霹靂だよ。
って、橋本さん。垂れ目が垂れてない。こめかみにつくくらい、吊り上がってるよ。
「あんなにベッドで俺にしがみついて、あんあん言うてたのに!付き合うてないってか!」
あんあんて。安っぽいAVじゃあるまいし。
「だから、あれは酔ったはずみで」
「俺は素面や」
確かに。
でも、でも。俺達は仕事仲間で。あんたは先輩で。毎日顔合わすし。男だし。十も年離れてるし。そんな簡単に、越えていいもんじゃないだろ。
ぐちゃぐちゃと言いたいことが脳味噌の中でこんがらがって、言葉が出てこない。
あれは、一夜の悪夢だ。
あんなのは、俺じゃない。
「あー。くそっ」
いきなり橋本が帽子を脱いだかと思えば、頭皮に両手の指全部突っ込んで、髪を掻き乱し始めた。何なんだ。引く俺にはお構いなしに、ぐしゃぐしゃと、サラサラの髪を台無しにしている。だから、何なんだ。
「そんな困った顔すんな。反則や」
今度は非難かよ。橋本の目元が赤い。
「わかったわ!」
ぽん、と小気味よく膝を打つ。
「お前は、恥ずかしがりっちゅうことやな」
「は?」
「あくまで、いちゃいちゃしたいのは、プライベートだけってことやな!」
「あの?仰ってる意味が?」
「照れんなよ。そうやな。仕事はきっちりケジメつけやんな」
何?何?何?何?何を言ってるんですか?
「何?違うんか?」
いきなり、シュンとするな。情緒不安定か。
ああ、もう!わかったよ!やけくそだ!
「あんたさあ」
俺は仁王立ちになり、盛大に溜め息をつく。
「押しが強いんだか弱いんだか、どっちかにしろよ」
俺は、橋本には劣るものの、艶々に気を配る髪を掻き上げると、わざと流し目を呉れてやる。子猫のようだと形容されるまん丸の目を細くすると、どうやら酷く色っぽくなるらしい。これで、女を口説いてきた。
これは、どうやら男相手でも通じるようだ。
計算通り、橋本は耳まで真っ赤になった。
「大体、まだ肝心の言葉、聞いてないけど」
「肝心の言葉?」
きょとん、と橋本は首を傾げる。
「そうだよ」
「何やねん、それ」
「教えない」
「おい!」
怒鳴っても、無駄だ。
まだ、好きだと聞いてない。俺も、一言も言ってない。言うつもりもない。
つまり、お付き合い不成立。
「その言葉が聞けたら、付き合ってあげます」
音もなく橋本に近寄ると、俺は爪先いっぱい使って背伸びする。二十センチ以上開きのある背丈は、なかなか視線が合わない。いつもなら、高身長を自慢しやがって、ムキーっとなるが、今日はむしろ都合がいい。
指先で、顎の下から喉仏にかけてをくすぐってやる。
予想通り、橋本の喉がひくつく。
単純なやつ。十歳も下の男に手玉に取られて。
「こ、この!小悪魔!」
俺にいいように悪戯された橋本は、耳まで赤くなり叫んだ。
その一端を担う、大黒谷特別救助隊は五人で構成、二部体制がとられている。
二部の隊長の藤田行長さん。副隊長で一番員の日浦和樹さん。二番員の堂島篤司さん。そして三番員の俺。機関員が橋本である。
機関員とは、消防車の運転を任された者を言う。大型運転免許の他、消防庁内のポンプ機関技術の認定をされなければ認められない。
橋本に無理矢理引き摺られた先は、安定の車庫だった。救急車が出動中のため、行儀よい整列にぽっかりと穴が空いてしまっている。その内の、一際磨かれた救助工作車の前で立ち止まった橋本は、唐突に車体に頬ずりを始めた。
「……」
うわー、めっちゃ引く。何をとち狂ってんだ、この人。
「お前さ、俺の車に傷でもつけてみろや。ただじゃおかへんからな」
「俺の車って。公共のものでしょ」
「うっさい」
悪態をついても、『七福市消防局第ニ特別救助』と車両に書かれた文字に、うっとりするんだ。
陶酔する目つきが、無駄に色っぽい。睫毛、長っが。
いかん、いかん。危うく只ならぬ道に第一歩を踏み落とすところだった。
「七福市広しといえども、大黒谷ほど磨かれた赤車の消防署は、まずあらへんな」
「自慢することですか、それ」
「アホ。消防車は大事な相棒やろうが」
「相棒は俺じゃないんですか」
相棒というより、ペアか。
俺は車両以下かよ。むかつくから、はしご車の車体に指紋つけてやれ。
「その相棒をホテルに置き去りにしたやつは、どこのどいつや」
こめかみをぴくぴくとさせ、橋本はすかさず俺の上腕に手刀を入れてきた。
「痛っ!」
馬鹿力め。手加減しろよ。
自分以外に指紋をつけられることが、この上なく不愉快って。露骨すぎ。
「お前、俺が何で怒ってるんか、わかってへんやろ」
「そりゃあ、大事な消防車に傷つけられそうになって」
「違う!」
言い終わらないうちに遮られる。
「俺の朝からの態度や」
え!今までのあれ、怒ってたの!てっきり、改めての新米いびりかと思った。
「お前なあ!」
不機嫌極まりない理由を全く理解していなかった。表情丸出しの俺に向けて、橋本は牙を剥き唸る。獣かよ。って言うか、この人、こんなふうに怒るんだ。
「俺、あれからずっと連絡しとったよな。ずーっと。ずーっと。ずーっと」
いちいち繰り返さなくとも、わかってるよ。俺のスマホは、あれから振動しっぱなしだ。着信履歴が三桁で、ぞくっとした。
「やっと今朝会えた思ったら……無視かい」
「いや。ちゃんと業務連絡は」
「やかましい!」
汚いな。唾飛ばすなよ。
俺にも俺の事情ってもんがあるんだよ。
あんな、爛れた関係を持ってしまって、平然と出来るか。生々し過ぎるだろ。しかも俺、失恋したてだし。仕事休まなかっただけ、自分で自分を褒めたいくらいだ。
「せっかく俺が、早速らぶらぶいちゃいちゃしよ。日浦に見せつけたろて、張り切ってたのに。当番明けは、夕飯すっ飛ばして、そのままホテル直行して、まずは二人でシャワー浴びて、それから」
「ストーップ!」
思わず叫んでしまった。あまりの声のでかさに、庇にいた雀が飛び立つ。
「待って待って待って待って。何だか話が変な方向に行ってる。あと、内容が具体的過ぎて、えげつない」
「何が」
「俺達、いつ、らぶらぶいちゃいちゃする関係になったわけ?」
青天の霹靂だよ。
って、橋本さん。垂れ目が垂れてない。こめかみにつくくらい、吊り上がってるよ。
「あんなにベッドで俺にしがみついて、あんあん言うてたのに!付き合うてないってか!」
あんあんて。安っぽいAVじゃあるまいし。
「だから、あれは酔ったはずみで」
「俺は素面や」
確かに。
でも、でも。俺達は仕事仲間で。あんたは先輩で。毎日顔合わすし。男だし。十も年離れてるし。そんな簡単に、越えていいもんじゃないだろ。
ぐちゃぐちゃと言いたいことが脳味噌の中でこんがらがって、言葉が出てこない。
あれは、一夜の悪夢だ。
あんなのは、俺じゃない。
「あー。くそっ」
いきなり橋本が帽子を脱いだかと思えば、頭皮に両手の指全部突っ込んで、髪を掻き乱し始めた。何なんだ。引く俺にはお構いなしに、ぐしゃぐしゃと、サラサラの髪を台無しにしている。だから、何なんだ。
「そんな困った顔すんな。反則や」
今度は非難かよ。橋本の目元が赤い。
「わかったわ!」
ぽん、と小気味よく膝を打つ。
「お前は、恥ずかしがりっちゅうことやな」
「は?」
「あくまで、いちゃいちゃしたいのは、プライベートだけってことやな!」
「あの?仰ってる意味が?」
「照れんなよ。そうやな。仕事はきっちりケジメつけやんな」
何?何?何?何?何を言ってるんですか?
「何?違うんか?」
いきなり、シュンとするな。情緒不安定か。
ああ、もう!わかったよ!やけくそだ!
「あんたさあ」
俺は仁王立ちになり、盛大に溜め息をつく。
「押しが強いんだか弱いんだか、どっちかにしろよ」
俺は、橋本には劣るものの、艶々に気を配る髪を掻き上げると、わざと流し目を呉れてやる。子猫のようだと形容されるまん丸の目を細くすると、どうやら酷く色っぽくなるらしい。これで、女を口説いてきた。
これは、どうやら男相手でも通じるようだ。
計算通り、橋本は耳まで真っ赤になった。
「大体、まだ肝心の言葉、聞いてないけど」
「肝心の言葉?」
きょとん、と橋本は首を傾げる。
「そうだよ」
「何やねん、それ」
「教えない」
「おい!」
怒鳴っても、無駄だ。
まだ、好きだと聞いてない。俺も、一言も言ってない。言うつもりもない。
つまり、お付き合い不成立。
「その言葉が聞けたら、付き合ってあげます」
音もなく橋本に近寄ると、俺は爪先いっぱい使って背伸びする。二十センチ以上開きのある背丈は、なかなか視線が合わない。いつもなら、高身長を自慢しやがって、ムキーっとなるが、今日はむしろ都合がいい。
指先で、顎の下から喉仏にかけてをくすぐってやる。
予想通り、橋本の喉がひくつく。
単純なやつ。十歳も下の男に手玉に取られて。
「こ、この!小悪魔!」
俺にいいように悪戯された橋本は、耳まで赤くなり叫んだ。
1
あなたにおすすめの小説
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
もう一度言って欲しいオレと思わず言ってしまったあいつの話する?
藍音
BL
ある日、親友の壮介はおれたちの友情をぶち壊すようなことを言い出したんだ。
なんで?どうして?
そんな二人の出会いから、二人の想いを綴るラブストーリーです。
片想い進行中の方、失恋経験のある方に是非読んでもらいたい、切ないお話です。
勇太と壮介の視点が交互に入れ替わりながら進みます。
お話の重複は可能な限り避けながら、ストーリーは進行していきます。
少しでもお楽しみいただけたら、嬉しいです。
(R4.11.3 全体に手を入れました)
【ちょこっとネタバレ】
番外編にて二人の想いが通じた後日譚を進行中。
BL大賞期間内に番外編も完結予定です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
追放されたおまけの聖女♂は冷徹王太子の腕の中から離してもらえない〜今さら戻れと言われても、もうこの人の魔力しか受け付けません!〜
たら昆布
BL
聖女のおまけで召喚されたと思われて追放された不憫受けが拾われて愛される話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる