【完結】失恋した消防士はそのうち陥落する

氷 豹人

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 あ、やばい。
 琥珀の澄んだ瞳の中に自分の姿が映っているのを見た俺に、脳はようやく警告音を発した。遅いよ、俺の脳味噌よ。
「あ、あの……待って」
 鼻先を橋本の息が掠める。
 イケメンは、遠くから鑑賞するだけで充分だから。顔アップなんて、女ならともかく、男の俺には必要ないから。
「何や、今更。怖気づいたんか」
 俺の首筋に顔を埋めている橋本が、喉の奥で笑う。いつもの声。いつもの笑い方。
 体中から強張りが解けていく。
 良かった。いつもの橋本だ。
「ちょっと、重いですって。もう、ふざけんのは終わりですよ」
 いつもの調子で俺も唇をわざと可愛らしく尖らせ、ぐぐっと硬い胸板を前に押す。ぐぐっと押す。ぐぐっと。
 ……おい、びくともしないぞ。どうなってんだ?これでも、握力は同期の中じゃ一番なのに。
「橋本さん。どいて」
「うっさい。小悪魔」
「ちょっと」
 良い加減にしろよ、オッサン。
 などと、あやうく禁句を口にしかけて、慌てて唇を引き結ぶ。
 その唇が柔らかいもので塞がれた。
 おい、嘘だろ。
 その柔らかいものの正体が橋本の唇だと気づいたときには、引き結びは割られ、舌先が俺の口内へ侵入していた。熱を持った塊は縦横無尽に粘膜を蹂躙し、歯の裏を舐め、舌先を絡ませて、好き勝手振る舞う。
 俺のうなじを指が這い、ぞぞっと身を竦ませたら、離さないと言わんばかりに引き寄せられる。繋がりが深くなる。
 こんな濃厚なキス、知らない。
「ん…んん……」
 息継ぎのタイミングがわからない。
 良い加減に苦しくなって、橋本の胸板を拳で叩いたら、ようやく相手は唇を離してくれた。
「下手くそやな」
 むかつく批評つきで。
 カーッと俺の頭に血が昇ったのは、言うまでもない。
「や、やかましいな。俺のやり方に、どうこう言われる筋合いは」
「今後は俺のやり方に従ってもらうから」
 言い終わらないうちに橋本は言葉を被せ、またしても唇が重なる。
「んー!んん!」
 またしても、熱い舌に翻弄される。
 たっぷり吸われて、このまま魂まで取られるんじゃなかろうかと本気で心配した直後、ようやく解放される。
 だから、キスがえげつないんだよ。
 もっとスマートに出来ないかな。
 って言うか、何でキスするわけ?
 言いたいことは色々あるのに、ゼイゼイと呼吸を整えるのが優先で、声は腹の中に溜まるのみ。
 口の周りがべたべたする。手の甲で拭うと、粘液が糸を引いた。げっ。もしかして橋本の唾かよ、汚な。
 ごしごしとホテルの極上のシーツで拭いていると、頭上からバカにしたようにふんと鼻が鳴る。
「お子様には、刺激が強かったみたいやな」
「うるさい、オッサン」
 橋本が俺の禁句を口にしたため、つい俺も禁断の台詞を吐いてしまった。
 言ってから、しまったと後悔しても、もう手遅れ。
 橋本の垂れ目がこれでもかと吊り上がっている。
「おい、誰がおっさんや」
 だから、消防の早着替えをこんなところで披露しなくていいから。カッターシャツを一瞬で脱ぐな。
「俺、まだ枯れてないで」
「わ、わかってますって」
「いいや、わかっとらんな、お前は」
 インナーのTシャツも、脱ぐんじゃない。早いな。
 現れたのは、綺麗に盛り上がった胸筋。
 まるで、外国の拳闘士みたいだ。
 その、あまりの見事さに、思わず生唾を飲み下してしまった。
 さすが、日浦さんと張り合って片手懸垂の記録出しただけのことはある。
「こうなったら、体に叩きこんだる」
 不気味なことを言って、俺が怯んだ隙に、橋本は俺のシャツのボタンを全て外してあった。
 だから、こんなところで器用さを見せびらかさなくていいから。
 なんて考えてるうちに、橋本の手でベルトを引き抜かれ、スラックスを絨毯に放られ、あっと言うまに下着剥き出し姿にされてしまっていた。そのパンツのゴムを弾かれる。
「ちょっと、そこは」
 さすがに駄目だろ。いつもはまん丸の目玉を、このときばかりは吊り上げる。
「何や」
「駄目ですって」
「嘘つけ」
 節の張る長い指が下着の中に潜り込んだ。
「ひいっ」
 どこから出た声だ、と自分自身に突っ込みを入れながら、橋本の卑猥な指を取り出すために自分も中に手を入れる。これ、完全にゴム伸びたな。あーあ。プロポーズ成功の願掛けに奮発したブランドものだったのに。
「こら。どこに意識飛ばしてるんや。集中しろ」
 おい。どさくさ紛れに首に吸い付いてくるなよ。頸動脈をちゅーちゅー吸うな。あんたは吸血鬼か。
 なんて平常心を保とうと余計なことを考えても、悲しいかな、硬質になっていく俺の下着の中。
 悔しい事この上ないのは、橋本のしてやったりのニヤニヤ笑い。
 くっそー。こうなったら、お経でも唱えて平静を保つしかない。ぎゅっと瞼を閉じる。
 不意に、橋本の動きが止まった。
 俺のものはぱんぱんに腫れ上がり、布地を強く押し上げている。もう間もなく、のところで、絡みついていた指がスッと解けた。
「……え?」
 薄目を開ければ、片膝を立て、鬱陶しそうに前髪を掻き上げる橋本の横顔がまず目に入った。
 正気を取り戻した?いや、違うな。目は潤んだまま、ほんのりと目元が赤い。これは、抱く寸前の顔だ。
「続けるか、止めるか。決めんのはお前や」
 ずるい。俺は歯噛みする。今更、やめられるわけない。アドレナリンは全開で、もう体中の器官があんたを受け入れる態勢に入っているのに。
「つ、続きを」
 どうにかこうにか、喉に詰まる声を絞り出す。
 さすがに即答過ぎるだろ、これは。どんなに欲求不満だよ、俺。
 橋本は垂れ目を大きく開いた。



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