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予告状

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 桂木子爵邸の大広間に集まったのは、雪森、美登理、大河原警部を含める五人の警官隊、そして今朝方帰港したばかりの桂木英輔子爵だった。
「長男の亜季彦さんの姿がありませんな」
 大河原はむっつりと機嫌悪そうにちょび髭を引っ張った。
「亜季彦さんなら、どうせいつものことですよ。どうぞ、お構いなく」
 女のところにしけ込んでいることを匂わせて、美登理は澄まして答えた。
 ますます大河原の顔が曇る。ここのところのいらいらで、心労は膨れ上がる一方のようだ。
 劇場での青蜥蜴との格闘は、新聞記事を大いに賑わせた。とりわけ、人々の関心を惹いたのは、警官隊が盗賊にまんまと一杯喰わされた経緯だ。脱獄の上、挑発し、逃走を許す、そんな失態が露見し、愚鈍な役人と、世間は悪し様にこきおろした。
 しかし、話はそれで一区切りではなかった。
 再び、警視庁に青蜥蜴からの挑戦状が届いたのは、それから三日を経てのことだった。
『十月十日、十時、お宝を頂戴に上がります。青蜥蜴』
 文面の最後に、青いインクで蜥蜴のシルエットが押印されている。
 警視庁は外国にいる桂木子爵に直ちに電報を打ち、子爵は己の所用を半ば放り出して、一目散に帰国の途についたのだった。
 即ち、本物の観音像の左手の持ち主は、桂木子爵ということになる。
 子爵は骨董に造詣が深く、長期の外国旅行も、買い付けに回ったり、あるいは転売したりといった目的だった。
「今度こそ、精巧な模造品を遣わせるつもりでしたが。奴を騙し通せるとは、どうも思えんのでして」
 報復として劇場での一幕があり、今度こそ捜査一課に失敗は許されない。
 桂木子爵は、額の広がりの際立つ白い髪と同じ色の、口元に蓄えた髭をもごもご動かした。鼈甲縁の眼鏡の下にある、神経質な二つの目玉が、ぎょろっと部屋中を行き来する。子爵は桜を材質にした煙草パイプを吹かしながら、うろうろと部屋中を歩き回した。
 骸骨を彷彿させるガリガリに痩せた体がやたらに右往左往する様を、これまたいらいらした目つきで大河原は見守った。
 部屋の隅に飾られた西洋の甲冑の前まで来たとき、子爵は足を止め、思いついたように声を出した。
「賊が来たら、撃ち殺してやろう」
 目が本気だ。
「いやいや。世間がそれを許しませんよ」
 弱り切って、大河原は首を左右に振る。
「野次馬などに構っていられるか。うちの家宝が狙われているのだよ。それとも大河原君、今回は失敗しないという確証でもあるのか」
「そうは言ってもですな。血生臭いことは出来ませんよ」
 ずけずけとした物言いにこめかみをひくつかせながら、大河原は精一杯落ち着いた口調を試みる。
 またもや子爵は無闇に歩幅を大きくさせた。
 そして、北側の壁を背に置かれた柱時計の針を確かめた。
「十時まで、後、半刻足らずなんだよ」
「なあに、心配には及びません。うちの署の連中の大半を屋敷の周り、屋根から塀の外まで配備しております。戸締りもちゃんと確認しております。鼠一匹、入れんですよ」
「しかし、青蜥蜴は変装の名人とかいうじゃないか。万が一、この中の誰かに扮しているとなると」
「マスクかどうか、わしも含め、警官全ての頬を引っ張って確かめました」
 大河原は顎のたるんだ肉を指先で摘まむ。
「ええ、ええ。私達の頬まで抓って確かめたんですもの。変装して紛れるなんて、有り得ませんわね」
 布張りのソファに座った美登理は、澄ました口調で嫌味を言うと、カップの中身を口に含んだ。ダージリン茶というハイカラな飲み物だ。
「警部さんも一杯いかが? 先程、部下の方も小休憩にと召し上がられてよ」
「いや、わしは結構」
 大河原は部下を睨むことを忘れず、苦々しく断りを入れた。
 落ち着きない男共とは真逆の、女のその優雅な仕草に、子爵は舌打ちすると、パイプ片手に息子の嫁をジロリと睨んだ。
「まったく。亜季彦はこの非常事態に、呑気な。十年前にやっと酔狂が治まったと思ったら、今度はこれだ」
 何やらぶつぶつと口中で呟き、バイプの先を噛む。 
「お父様、そう苛立ったところで、青蜥蜴はどうあっても来るんですのよ。あれが予告をすっぽかしたこと、ありまして?少しは落ち着きなさったらどうですか?」
「美登理、お前は亜季彦がいなくて不安にならないのか?」
「何故?いてもいなくても、同じことでしょう? 」
「亜季彦の放蕩を承知で結婚したんだろうが。少しは気を揉んだりしないのか」
「全く女を知らない甲斐性なしよりは、大分とマシと思っております」
 芳しい香りを嗅ぎ、美登理は意味深に雪森の方へと視線を移した。未だに貞操を守る弟を小馬鹿にした目つきだ。
「雪森さん、さっきからずっと黙っておりますけど。あなた、何か良い考えでも浮かんだのかしら?」
 扉付近の壁に凭れ、腕組みし、人々から一歩退いて全体を眺めていた雪森は、姉の蔑みを敢えて無視し、顎を撫でた。
「雪森さん、黙っていたらわからなくてよ?」
 美登理に歯向かうのは厄介だ。雪森は溜め息をつく。
「何故、肝心の左手がここにないんですか?」
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