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贋作

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「兄はね、贋作に関わっていたんですよ」
 思い切ったように振り向いたその表情は、ぞっとするほど狂気を孕んでいた。
 腹の中に含んだ何やらどす黒いものが、呼吸と共に撒き散らさんばかりに露骨に出ている。
「パトロンは出資する代償として、兄に美術品の贋作を強要していたんです」
 詳細に語る青蜥蜴の言い方はどこか芝居じみていて、雪森に、いつかの劇場での一幕を思い起こさせた。
「しかも、自分の作った品が、展覧会に本物として続々と出品されていく。告発すれば、残された兄弟にまで迷惑が及ぶ。でも、良心の呵責に苛まれる。手紙の内容は陰鬱そのものでした」
 橙に染まる光を浴びる彼の姿は、まさに舞台でスポットライトを当てられた役者そのものだ。ギリシア神話で宵の明星を司るヘスペロスを連想させた。
「日増しに憔悴していく兄を、放っておけなかったのでしょう。亜季彦が兄と駆け落ち騒ぎを起こしたのです」
 唐突に兄の名が出て、喉唾を下す雪森。
「そして、車ごと一緒に谷底に落ちたんですよ。今となっては、単なる事故か心中か、わかりませんけどね」
 不意打ちで兄の死んだ理由を教えられ、雪森はどう返していいのかわからない。
「二十歳そこそこの私は、同い年の亜季彦に心を砕いていた。そんな私に、『波玖斗と逃げる手助けをしてくれ。一生の頼みだ』、ですよ」
 青蜥蜴は皮肉るように鼻に皺を寄せた。
「最期の言葉が『雪森を頼む』でしたからね。聞かないわけにはいかないでしょう」
 雪森の血はすっかり冷え、指先が小刻みに震える。
 青蜥蜴が心の深いところで誰を想っているのか、嫌でも悟らされた。
 青蜥蜴は内面を何ら隠してはいない。
 むしろ、知れと言わんばかりだ。
「兄さんの遺体をどこへ隠した。答えろ」
 指先が小さく震えを刻むのを手を組んで必死に押さえ、動揺が表に出ないよう一語一語に気をつけながら、出来得る限り声を低めて雪森は尋ねた。
「ある場所に埋葬してあります。場所は教えませんよ。ここではないアジトの敷地内ですからね」
「兄さんに手を合わせることも出来ないっていうのか」
「わかって下さい。アジトへ招き入れるということは、あなたが面倒事に巻き込まれることを意味する」
「とっくにそうじゃないか」
「姉はあなたのことを快く思ってはいない。私のことも反逆者と見なし始めている。危険だ。何故、それがわからない?」
 だんだん、青蜥蜴の口調が乱暴になっていく。苛立ちが、目元を眇める動きに表れていた。
 怒りが大きいのは自分の方だ。  
 雪森の血が沸騰した。感情を無理繰り押さえ込んでいたせいで、反動は大きかった。
「わかったふうな口をきくな!所詮、お前は兄さんに義理立てして僕に関わっていただけだろ!」
 言葉を選ぶなど考えてもいない。内面に溢れたそのままを口に出す雪森。泡ほどだったささやかな火種は、今やマグマのような勢いで全身を囲っている。吐き出す息さえ、火炎を噴射しているかと錯覚さえ起こすほどに。
「本気で言っていますか」
「当たり前だ」
「根拠は」
「そんなもの、わかりきったことだ。お前は桂木亜季彦に今でも惚れてるんだ。だからこの僕を代役に見立てて、あんな、あんな破廉恥なことを!」
「彼とは志を同じくする仲間です。それ以外に何もない」
 断言を前にして、雪森の顔はますます赤く膨れ上がった。堪え切れない怒りが皮膚下の血管を浮き上がらせ、ぶるぶると震える。
 やれやれ、と青蜥蜴はわざとらしく肩を竦めて首を横に振った。
「そうではないことを、証明するしかないようですね」
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