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屋根の上の告白

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 ほどなくして、屋根の上に青蜥蜴の姿があった。
 真下にその姿を捕らえた雪森は、ぎょっと目を丸くした。
 青蜥蜴がどうして屋根にいるのか。理由を悟り、奥歯を噛んで小さく首を横に振る。
「あんな性根の腐った男と血が繋がっているなんて、僕は我慢ならない」
 雪森の脳にちらつくのは、欲深い父の顔だ。
「だから飛び降りると?」
馬鹿なことはやめなさい」
「もう放っておいてくれ」
 ヒステリックに叫ぶ。感情の高ぶりが達して見境のない行動を起こされては拙い。 
 青蜥蜴は努めて冷静にいつも通りの声を出す。
「さあ、早く屋敷に戻りましょう。温かいパンとスープを用意させます。あなたの好きな、エンドウ豆のスープを拵えさせますよ。さっき私が殴りつけてやったあの男は、見てくれに反して抜群に料理の腕がいいんですよ」
「うるさい!うるさい!子供扱いするな!」
 落ち着けようと選んだ言葉が逆効果だった。雪森は不安定な木の股で地団駄踏んだ。バランスを崩して足を踏み外しかねない。
「ええ。子供扱いなんてしていませんよ。あなたは立派な一人前の男です。でしたら、子供のように駄々を捏ねるのはよしましょう」
 諭され、雪森は渋々と足踏みを止めた。
 己の行いがあまりにも子供じみていると自覚したのだ。そして、登ったはいいがあまりにも高過ぎて梯子が届かず、降りる手段のない現況を把握した。自分のいる場所は、屋根を遥かに見下ろす。飛び降りるには足場が安定しない。
 緊迫の事態に、雪森がいつ発狂するかわからない。青蜥蜴はさっさと引き揚げにかかる。
「さあ、今から縄を投げます。絶対に、身を乗り出して掴もうとしないで。足元に落ちてくるまで、辛抱強く待って下さい。出来ますね? 」
 不機嫌ながらも首を縦に振ったことを確認した青蜥蜴は、縄を大きく回して輪の方を放り投げた。だが、もう少しのところで届かず、庇に滑る。
「駄目だ」
「大丈夫。焦らないで」
 雪森が絶望に目を向けないよう、青蜥蜴は息の震えを押さえ、わざとゆっくりと喋った。もう一度、屋根板の端ぎりぎりまで寄って縄を放り上げる。
「よし」
 掛け声と共に、今度こそ縄が雪森の爪先に届いた。
「次に、そっと縄に腕から体を通して。バランスを崩さないように、そっとですよ」
「命令するな」
「頼み事です」
 雪森はいらいらし始めていた。おぼつかない手つきにハラハラしているだろうが、青蜥蜴はそれを億尾にも出さず、辛抱強く待った。
「そうそう、上手。そのままゆっくり引っ張ります。下を見てはいけませんよ」
 うっかり足元を見て眩暈を起こされては堪らない。先回りして忠告しておいた。
 腰回りで縄が縛り、青蜥蜴は強めに引っ張ってみる。ぴんと張る感触に手応えを感じ、眉尻から垂れ落ちる汗を拭って息をついた。後はゆっくりと手繰り寄せればいい。
 だが、雪森は石像のように固まってしまった。
「どうして、僕にそこまで執心するんだ?」
「え?」
「お前ほどの男が僕に、何故?」
 答えを聞くまで動かないぞと、態度で示している。
 青蜥蜴は無視した。
「何故だ?」
 雪森は食い下がった。
 不思議だった。
 何故、世間の注目を集める、目を瞠る美貌と驚異的な身体能力も持ち合わせているカリスマが、子爵令息とはいえ嫡男でもない一学生に執着するのかを。
 青蜥蜴は全く答えるつもりはないようで、糸巻きのように手繰る縄に全神経を傾けている。
「何をやっているの。さっさと答えてあげなさいな」
 真下から美登理が口を挟んだ。
「やはり、弄んだだけか?」
「そんなこと言っている場合じゃないでしょう」
「答えろ」
「後で蒲団の中で、たっぷり教えてあげますよ。自棄を起こさないで」
「だったら、答えろ!今、ここでだ!」
 ヒステリックに雪森は叫ぶ。
 切迫した状況に、精神は完全に崩壊気味だった。
 いや、初めて体を重ね合わせた直後から、危うかった。
 それまでの雪森なら、色恋の話題など決して口に出したりはしない。
「全く。どうしてそう頑固なんだ。そんなことより、足元に神経を集中させて下さい」
 いつもならニタニタと揚げ足を取る真似をする青蜥蜴も、状況が状況なだけに、こめかみに筋を浮かせ、言葉は素っ気ない。出来得る限り縄に神経を集中させようと必死だ。
「何て強情な馬鹿者なの。刺激してどうするつもり?答えておあげなさいな」
 屋根下の美登理が、腹立たしげに口を挟む。
 余計に青蜥蜴を逆撫でさせた。
「取り込み中です。ちょっと、静かにしてもらえませんか」
「まあ。何て生意気な」
 憤慨した美登理は、絹のハンカチをぐしゃぐしゃに握り締めた。
「何も照れることなくてよ。今更、純情っぷりを発揮して、どうする気?」
 画一的な愛の言葉一つだけで、雪森が危なっかしい真似を止めるというなら、それに越したことはない。美登理は面倒な展開から早々に幕引きたがっている。
「あなたがたに聞かせるのが、惜しいだけですよ」
 美登理とその取り巻きの前で、しかも最悪の状況の中で語るものではない。真実だろうと、その場凌ぎの嘘として上書きされる可能性だってある。現に以前、雪森はそのことで疑りをもった。
 しかし、瞬きさえせずじっと待つ雪森の真っ直ぐに澄んだ瞳を目にして、青蜥蜴はとうとう根負けした。
「十年、あなたの近くにいて、凛とした揺るぎない精神力にだんだん惹かれていきました。きっかけなんて、今更、何だったのか思い出せない。気付けば虜になっていた」
 ありのままを声に晒す姿に、雪森は瞳をめいいっぱい開いて、ぶるぶると顔を赤らめ打ち震えた。ぎりぎりの危うい状況下で、まともな思考は吹っ飛んでしまっている。聞いたままを受け入れ、雪森は感動の極みに達した。
 これほどまでに、誰かに欲せられたことはない。同期生の中で流行している、ごっこ遊びでもない。確実に求められている。
「あら、あなたにすればまともな愛の告白ね」
 つまらなさそうに美登理が口を尖らせた。
「さあ、早くその固い翼を大きく広げ、私の胸の中へ飛び込んで下さい。羽一枚たりとも取りこぼさず、あなたを受け止めます」
 いつの間にか雪森は枝の先まで来ていた。
 助かる手段は、真下の青蜥蜴めがけて飛び降りるしか方法はない。
 万が一、着地点が外れれば、屋根から真っ逆さまだ。躊躇う雪森に、青蜥蜴は両方の手を大きく広げた。
「さあ、私の愛の天使。早く」
 上空に巨大な満月。その中心に、黒い影が躍り出た。
 大きく両手を広げ、まるで天に昇るイカロスさながら、しなやかな肢体が光に照らされる。
 ふわりと舞うその姿は、人々の心に天使の肖像を刻みつかせた。
 枝先で大きくジャンプした雪森は、屋根の上で受け止める体勢の男めがけて急降下していく。風が頬を切り、髪の筋が上を向いた。
 歓声が上がる。
 宣言通り確かに受け止めた青蜥蜴は、弾みで二、三歩後ろによろけ、運悪く屋根板の腐った個所を踏み抜いてしまう。
 ずざざざざ、と激しい音を立て、二人いっぺんに真下に引き摺られた。
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