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第112話「戦いの後始末③」

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  五月二十九日(日)二十時四十一分 真希老獪人間心理専門学校・体育館

 梶消事は、自己鍛錬を欠かさない。
 平日だろうと休日だろうと関係なく、毎晩遅くまで体育館で訓練に励んでいる。
 それを知っていたから、嵐山楓は体育館を訪れた。
 今日の報告、今日の反省。
 今日の戦闘を、師とともに振り返る。
 それが、嵐山楓の戦闘後の習慣だった。
「うむ。」
 梶消事は、汗を拭きつつ嵐山楓の話を聞いていた。
「それで? 貴様の今回の失点はどこにある?」
 良かった点よりも悪かった点を振り返れ。
 上手くいった事は自然と体に染みつくが、下手をうった事は染み付けば悪癖となる。
 それが梶消事の教えだった。
「……焦ってました。下田先生が罠にかかって、敵を逃がしそうになって。その上で、自分の実力と敵の実力を見誤って、死にかけました。」
「そうだ。」
 目を伏せ、梶消事は短く答える。
「今回、戦闘を行った者の中で、一番強かったのは誰だ?」
「それは…木梨です。」
 神室秀青、嵐山楓、木梨鈴。
 今回の任務で戦闘に及んだ三人。
 その中で最も戦闘力を有していたのは、三人の中で唯一の女性である木梨鈴だった。
 結果を見れば一目瞭然。
 彼女だけが無傷で戦闘を乗り切ったのだ。
 恐らく、彼女が逆撫偕楽と戦闘を行ったとしても、位置入れ替えなど気にも留めず、いとも容易く投げ飛ばしていただろう。
「そうだな。では、一番戦闘慣れしていた者は?」
「……俺、です。」
 躊躇う嵐山楓。
 こと戦闘に関して、最も場数を踏んでいたのは、彼だった。
「そうだ。」
 声を低く、嵐山楓を睨むように見る梶消事。
「楓……貴様は三人の中で一番、戦闘経験を積んでいる。そして、貴様の“性癖スキル”は戦闘向きではない。援護や不意打ちに特化していると言ってもいい。にもかかわらず、貴様は戦場において冷静さを失い単騎で突っ込み、あろうことか油断から相手の実力を見誤り、死にかけた。」
 威圧的な声、態度。
「貴様には、確かに一人で戦える戦法を叩き込んだ。しかしそれは、冷静な頭脳をもって初めて成立するものだ。考えなしの貴様は、あの三人の中で最も弱い。」
「………。」
 事実、嵐山楓は三人の中で一番重い傷を負っていた。
「重火器を所持した敵に比べ、貴様は火力が低すぎる。貴様は死んでいてもおかしくなかった。今回生き残ったのは、運が良かったからだ。」
 今回、鰯腹拓実と純粋に正面切った撃ち合いとなっていれば、嵐山楓に勝ちの目はなかった。
「いいか? 我々は、敵一人を打ちのめせば勝ちではないのだ。最も優先すべきは、己と仲間の命。今回は運よく敵を倒せたが、自身は死にかけ、あろうことか仲間を危険に晒すような事態にも発展しかけた。たとえ敵を逃すことになろうとも、下田の解放を待つべきだったのだ。」
 戦場において、最も強く作用するのは、数の利。
 これも、梶消事の教えだ。
「貴様は最も愚かな選択を行った。」
 大きく息を吐いて、梶消事はタオルを置いた。
「なにを優先すべきか、なにを選ぶべきか。二度とそんな愚行に走らぬよう、今一度徹底的にシゴいてやる! 来い!」
「……っ! はい! お願いします!」
 威圧的な声も、態度も、全ては愛情によるもの。
 嵐山楓を鍛え直すため、梶消事は構えを取った。
 (瞬時に相手の性癖を見抜き、初の任務で勝ち星を挙げた……俺だけが遊んでるわけにもいかない。待ってろ神室…すぐに追い抜いてやる!)


  五月三十日(月)六時三分 真希老獪人間心理専門学校・寮

「あららー。すっごい熱出ちゃってるねー。」
 測った体温計に示された数字は、三十九度八分。
 頭がすっごいふらふらする。
「昨日頑張りすぎちゃったもんねー。嵐山くんも今日はヘトヘトだし、二人とも思い切って学校休んじゃおっか。」
 笑顔で告げる先生。
「じゃ、また伴裂先生のところ行こっかー。……あの人朝弱いけど、叩き起こせば大丈夫でしょ。」
 不穏なことを言いつつ、俺に肩を貸さんと屈む先生。
「……先生。」
「ん?」
 戦いが終わり、倒れるように眠った後、目が覚め、高熱を出した。
 一度冷静になり、熱で回らなくなった脳みそで、俺はどうしても思い出してしまっていた。
「……昨日、痴漢野郎から受けた最初の一撃。みんな、俺が木梨さんを庇ったって言ってますけど…実は違うんです。」
「……違うって?」
 言おうかどうか迷っていた。
 でも。
「……上手く、言えるかわかんないですけど……あの時、俺は痴漢野郎の言い分に納得してました。してしまってました。どうしても、理解できてしまうんです。でも、あいつのやってることは間違っていた。考えは合ってる。行動は間違っている。共感と拒絶を同時にしてしまったんです。でも、それでも、あいつを捕まえなきゃ、先生も助けられなかった。だから、一度頭を冷やそうと、冷静に、やるべきことをやろうと、気が付けば動いていました。でも、今冷静に考えれば、あの時俺はわざと・・・あいつの攻撃を受けたんだろうなって……。防御もせずに、痛みと怒りで忘れようって……。」
「………。」
「その後も、相手の言い分もロクに聞かずに、怒りに任せて、相手を叩いて……。仲間を侮辱されたとか、殴られそうになったとか……全部言い訳で、俺は、なにが正しいのか考えるのが怖かったから……じゃないかって。……多数性癖マジョリティ少数性癖マイノリティの懸け橋になるなんて言っといて…この体たらくじゃあ、俺…俺……」
 そこまで言った時、優しく、頭に触れられた。
 先生の手。
「……みんな、おんなじだよ。」
 いつになく優しい声で、先生はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「僕だって、何が正しいのかわからない。本音を言えば、君を今回連れだしたのだって、未だに正しかったと言い切れる自信もない。何が善で何が悪か、なんて、一つの正解があるわけでもないと、僕は思ってるし、みんな悩んでいるんだ。じゃなきゃあ、多数性癖マジョリティ少数性癖マイノリティも、人心僕たちも『パンドラの箱彼ら』だって、存在はしていなかったよ。だからいいし、だから面白いんじゃないか。今回、君が痴漢を倒したことで、冤罪によって刑が執行された人たちも、無罪が確定して、健常な社会復帰も約束された。君は多くの人を救ったんだ。君も僕も、正しい事をしたと、ここは納得しておこう。……そこに気付けただけでも、大したもんだよ。」
 優しく、撫でられる。
 涙が溢れるのは、熱のせいではないだろう。


  五月二十九日(日)二十一時九分 T県・某廃墟

「三人とも、捕まったか……」
 『パンドラの箱』の根城と化した廃墟。
 神代託人と荒神野原が席に着いていた。
「すまない……まさかあいつらが逃げ切ることすら・・・・・・・・できないなんて、思いもしなかった。」
「野原のせいじゃないさ。仕方なかったんだよ。」
 顔を伏せる荒神野原に、神代託人は慰めるように笑いかける。
「顔を上げて。彼らを救うためにも、僕たちは前を向かなきゃいけない。」
 力強く微笑む神代託人。
 しかし、その内心は。
 (彼らは浮いて落とせば生きるだった。……予想よりも早い『鍵』の投入。そして、偕楽を撃破するほどの戦闘力を既に有しているという事実。……あれから少し様子がおかしいとは思っていたけど、これでほぼ確定だな。)
 神代託人が立ち上がった時、机に置かれた一冊の本。
 タイトルは『あらかじめ裏切られた革命』。著者・岩上安身。
「思っていたよりも神室君が強くなっていた。みんなには、追加で指示を出そう。しばらくは、真希老獪人間心理専門学校彼らとの接触は絶対に避けるように。」
 神代託人の言葉に、荒神野原は伏せていた顔を上げた。
「な、早いとこあいつらを解放するために動くんじゃねぇのか?」
「勿論そうだよ。」
 屈託のない笑顔で、神代託人は答える。
「けど、そのためには相応の準備が必要になる。彼らから情報が漏れることも考えにくいし、申し訳ないけど、ゆっくり、確実に事を進めさせてもらうよ。その方が、早いんだ。」
「たし…かに、そうなのかもな……」
 今市歯切れが悪く、荒神野原は納得する。
「けど、向こうから接触を図ってきた時はどうすんだ?」
「その時も、勿論逃げの一手だ。」
 即座に、神代託人は返す。
 そして、横目で流されていたテレビを見遣る。
「それに、多分しばらく彼らは僕たちにちょっかいをかけては来ないよ。次の彼らの相手は、テロリストじゃない。———一般の、殺人鬼だ。」
 神代託人の視線の先で、テレビはニュースを流していた。

『———ということから、これはpepperよる新たな犠牲者の可能性があるとして、警察は慎重に捜査を続けていく模様です。次のニュースです。女性人権団体、通称グングニルは、先日———』


  五月二十九日(日)二十三時五十五分 埼玉県・路地裏

 埼玉県のとあるビル群。
 その路地裏に、一人の女性が倒れていた。
 全身の複数個所にナイフが突き刺さっており、鮮やかな赤い液体が、路地を染めていた。
 その女性を、見下ろすように。
 一人の男が立っていた。
「いい! いいよ! まさみちゃん! 気持ちいいよ! もっと見せて!」
 懸命に自身の肉棒を扱き上げる男。
 そして、その男が肉欲を撒き散らした時。
 僅かに呻いていた女性は、永遠に沈黙した。
 一人の女性が、一つの死体となった。
 男は、しばらく余韻に浸った後、女性の血を掬い取り、壁に大きく「pepper」と文字を残してその場を去っていった。

 この男こそ、今世間を騒がせている連続殺人犯。
 通称名「pepper」。
 固有“性癖スキル”『致死量未満の殺人アマチュアデッドライン』。
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