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第135話「致死量未満の快楽③」
しおりを挟む六月十二日(日)十七時三十六分 埼玉県大宮市・路地裏
加賀美恭子を庇う様に、美神𨸶は両者の間に割り込む。
咄嗟に、彩芽祐樹は二人から距離を取った。
「やっぱり、俺の勘は正しかった。あなたが殺人鬼“Pepper”だね、彩芽祐樹さん。」
「………」
現状に理解が追いつかず、思考停止したまま膝から崩れ落ちている加賀美恭子を、美神𨸶は横目で見る。
「加賀美恭子さんだね?」
「ひっ」
「大丈夫。俺は味方だ。」
敵味方の判別もつかず、ただひたすらに怯え切るだけの加賀美恭子に対して、美神𨸶はその美しき美貌から笑顔を放ってみせた。
完璧に近いと言えるほどに整った容姿からの笑顔。
それは思考を放棄した女性を一時的に従順化させるのには十分すぎるものだった。
「今はまず、安心して。俺が助けにきたから。そして、今から言うことをよく聞いて欲しい。」
加賀美恭子の表情を伺って、美神𨸶は彼女を自分のペースに引き込む。
「………。」
加賀美恭子は無言で何度も頷く。
美神𨸶の想定通りの反応だった。
「この路地裏から出て、右に進んだ先にある最初の信号。そこを右に曲がるとすぐ交番がある。落ち着いたらでいい。そこに行って欲しいんだ。あとは、そこにいるお巡りさんに「人心の人間が”Pepper“を見つけた」と伝えて欲しい。できるかな?」
再度、加賀美恭子は執拗に頷く。勿論、無言のまま。
「あなたのタイミングでいい。動けそうになったら、ゆっくりと立ち上がって。出口まで焦らず走って。その間、必ず俺があなたを守るから。」
美神𨸶のその言葉を最後に、喫煙所跡地のこの路地裏に沈黙が訪れた。
吐き気を催す緊張感。
しかし、それを感じ取っているのは加賀美恭子ただ一人であった。
彩芽祐樹も、美神𨸶も、どちらも互いが発する圧力を互いに受け続け、それでもなお、平静を保ち続けている。
そんな状況下では加賀美恭子も落ち着けるはずもなく。
ゆえに当然。
加賀美恭子は落ち着く前に焦り立ち上がった。
そして堰を切ったように出口に向かって走り出す。
一種のパニック状態に陥っているとはいえ、それでも無意識に彩芽祐樹のいる場を避け、僅かな迂回を伴っての全力疾走。
緊張感に当てられ、全力を出しても速度が出ない。
その大きすぎる隙を、彩芽祐樹は決して見逃さなかった。
加賀美恭子が突っ切る空間、そこに至るまでの距離を瞬時に無意識下で計算。
弾き出された位置に向かって、大きく踏み込み———そこで止まった。
美神𨸶が、再び両者を結ぶ直線上に立ち入ったからだ。
彩芽祐樹よりも早く、意識下で行った計算によって導き出された距離まで移動した美神𨸶は、瞬間、更なる圧力を放つ。
一睨みで、連続猟奇殺人鬼の足が止まった。
「行かせないよ。」
正体不明の殺人鬼を前にして尚も落ち着き払った口調で話す美神𨸶。
対する彩芽祐樹も、殺人未遂の現場を目撃された上に獲物を逃したというのに、それでも冷静な雰囲気を纏っていた。
「お前……ここ数日俺を尾行けてた奴だろう?」
ガスマスク越しのくぐもった声で美神𨸶に語りかける。
「へぇ……気付いてたんだ?」
美神𨸶は大して意外そうでもなく、すぐに返す。
「お前はなんか……そう、目立つんだよ。」
「オーマイゴッド! そうなんだよ。確かに俺は何であろうと人並み以上にこなせてしまう器用貴族なんだけれどさ。それでもこの俺が唯一苦手としてるのが尾行なんだよね。生まれつき美しすぎるからかな。気高いオーラを見抜かれてすぐにバレてしまうんだ。」
最早命のやり取り寸前のこの状況においても、美神𨸶は大仰なポーズを取って悦に浸る。
それほどの余裕があるということだ。
「オーラ……オーラか。確かに、そういう感じだな。お前の体から出てるキラキラしたやつ。」
「!」
美神𨸶はポーズを解いて、天を仰いでいた視線を再び彩芽祐樹に向ける。
「俺の体からも出てんだよ、このキラキラ。確かにお前、向かい合って思ったけど強そうだもんな。」
咄嗟に動けなくなった先ほどのやり取りを思い出しつつ、彩芽祐樹は続ける。
「しかし、よく俺が人殺しってわかったな。」
「特定にもっと時間がかかるかと思ったかい?」
“Pepper”はやはり自覚ある変態だったか、と考え、美神𨸶は緩やかに思考を戦闘モードに移し替えた。
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