アブノーマル・ラプソディー

星ノ宮幻龍

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第160話「致死量未満の快楽⑭」

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  六月十二日(日)十八時十五分 埼玉県大宮市・路地裏

 エーラを局所的に集中させた神室秀青渾身の右ストレートは”pepper”の腹部を殴り飛ばした。
「っぅ」
 胃の中の空気全てが同時に口から噴き出し、声にならない声を発して吹き飛ぶ“pepper”。
 脊髄反射による回避行動、それによって生じた隙。
 エーラの局所防御はまるで間に合わなかった。
 確実に刻まれた痛恨のダメージ。
 ガスマスクの下に血が広がる。
 しかし。
 しかしそれでも、嵐山楓は勝利を確信していなかった。
 できなかった。
 なぜなら、見ていたから。
 吹き飛ぶ“pepper”から伸びた光の軌道。
 鈍く光るその光線が、横の壁から後方の壁、そこから上空へと一瞬で走っていくのが見えたから。
 その光線、光の軌道の正体は、ナイフ。
 遥か上空から弧を描き、回転を伴って落ちていく。
 その着陸先には、神室秀青。
 もっと言えば、彼の首を目掛けて、ナイフは落ちていた。
 あらゆる遠心力の操作。
 回転による力の底上げ。
 存在すら知らない中国の武術の極意を、至って関係のない中世ヨーロッパの格闘術を見ただけで”pepper”は模倣していた。
 ナイフが神室秀青の頭上へと差し掛かったあたりで、嵐山楓はその正体にようやく気付く。
 (なんつー技術テクだよっ‼ っ⁉)
「かむ———」
 叫ぶ嵐山楓。
 しかし、彼の叫び声が届く遥か前から、神室秀青はナイフに感づいていた。
 “pepper”を殴った時に感じ取った違和感。
 ガスマスクの下の見えもしない表情から、殺人鬼が口角を上げているのを見た気がしたからだ。
 本能によって察知した殺気。
 しかし、ナイフは彼の後方。
 どの位置からどの角度でどんな速度でどういう風に飛んできているのかすらわからない。
 既に投げられた賽。
 先程のように後方へと無暗に跳ぶわけにもいかない。
 殺気。殺意。殺人鬼。ナイフ。毒。
 瞬間、彼の脳は未だかつてない程に回転を始めた。
 そして周囲の時はゆるやかに流れだす。
 世界を置き去りにして彼の思考が思い起こしたもの。
 それは、今までの記憶。
 生まれてから今日こんにちに至るまでの、彼の人生そのものだった。
 走馬灯。
 一説によると走馬灯とは、自身が死の危機に瀕した際に自らのこれまでの経験、知識から危機を脱するヒントを得ようと流れるらしい。
 その説が正しいかどうかは別として、神室秀青、彼は今まさに、その為に走馬灯を見ていた。
 先程とは真逆。
 彼の思考は今、全てが戦闘の為に働いていた。
 彼が今まで蓄えてきた知識、経験が映画のエンドロールのように流れ出す。
 どうしても抜け落ちている部分もあったが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、しかし彼は、そしてようやく、ソレ・・を手にした。
 この危機を脱するためのもの。
 それは———
 再び時の流れが戻り、首筋に凶刃が迫る。
 それを、彼は首を左に傾けるだけで避けた。
 最小の動き。
 ナイフは彼の首筋を僅かに掠らずに通過し、そのまま地面へと刺さった。
 地面に突き刺さるナイフを見下ろし、神室秀青の思考も現実世界にようやく馴染む。
 (……なんだ? 避けれた? 今、見えた?)
 目覚めたのは、一瞬だった。
 彼が走馬灯から掴んだモノ・・は、すぐに消え去っていった。
「———ろっ‼」
 神室秀青がナイフに目を奪われている内に、嵐山楓が叫び終える。
 ナイフは避けた。
 でも危機は続いていた。
 嵐山楓が叫び、気付いて欲しかったもの。
 それは上空より後方から飛び交うナイフなどではなく。
 彼が投げられたナイフに気付いた後に・・気付いたもう一つの脅威。
 ナイフを投げ、地に転がると同時に立ち上がった、前方より迫る殺人鬼だった。
「あ……」
 気が付いた時には、既に遅かった。
 重いような、軽いような音が一度だけ響く。
 神室秀青の左わき腹から、ナイフが生えていた。
 毒が塗り込められた、殺人鬼の凶刃。
 直後に神室秀青は左から崩れ落ち、一切の身動きをしなくなった。
「これで一人目……」
 興奮気味に”pepper”がそう呟いた。
「神室っ‼」
 再度、嵐山楓の叫び声がこだました。


 下田従士到着まで、残り百三十九秒———
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