アブノーマル・ラプソディー

星ノ宮幻龍

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第162話「致死量未満の快楽⑯」

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  六月十二日(日)十八時十七分 埼玉県大宮市・路地裏

「あと二分だな。」
 神室秀青の生存に賭け、そして嵐山楓は殺人鬼へと駆ける。
 その速度は、先ほどよりも僅かに上昇していた。
 彼が走り去る軌道に沿って、風が舞っていった。
 (……おかしいな。あいつが走った後…埃が不自然に舞ってる?)
 極限まで圧縮された視神経・・・・・・・・・・・・
 故にその違和感に、“pepper”はすぐに気が付いた。
 気が付いたが。
 (ま、関係ねーか。)
 すぐにその違和感を思考外へと捨て去った。
 生まれついてからこれまで、自身で解決不能な事象に遭遇したことなどなかった。
 不意のアクシデントでさえ、ちょっとやる気を出せばすぐに片が付く。
 よって彼は警戒しない。
 警戒することになど、意味を見出せなかった。
 そしてそここそが、快楽殺人鬼“pepper”にとっての唯一ともいえる付くべき弱点であることを、嵐山楓は理解していた。
 嵐山楓もまた、生まれつき大抵のことは大抵できていた。
 器用貧乏。
 嵐山楓は“pepper”とこのワードでのみ繋がっていた。
 繋がっていた、と言っても、それは嵐山楓からの一方的なものに過ぎず、同じ器用でも、彼と”pepper”のとではモノが違っていた。
 彼はあくまで器用貧乏。
 初めこそ上手く無難に物事をこなせはするが、すぐに限界が見える。壁にぶち当たる。
 しかし”pepper”。
 快楽主義の殺人鬼たる彼は、不可能を知らない。
 限界など常に見当たらず、壁の存在すら知らない。
 故の、器用貴族。
 故に、退屈。
 このワードこそが、殺人鬼“pepper”、彩芽祐樹にとって最も重要となる言葉なのだ。
 そんな殺人鬼に、嵐山楓は腰を落として突っ込んでいく。
 果敢にも、無謀にも。
 無謀。
 どんなアクシデントにさえも対応し得る殺人鬼を相手に、嵐山楓は無謀に、無防備に突っ込んでいるように見えるが、しかしそれは大きな間違い。
 嵐山楓は警戒する。
 彼は、器用貴族ではなく器用貧乏なのだから。
 (馬鹿正直に正面から突っ込んできやがる。手玉すぎんだろぉ。)
 嵐山楓が仕掛けた真っ向勝負。
 そのあまりにも直線的過ぎる動きに、”pepper”は更なる退屈を感じていた。
 (さっきのガキの方がイきそうだったのになぁ……まぁ、いーや。)
 そして、握るナイフを振りかざす。
 標的は勿論、眼前に迫る嵐山楓。
 “pepper”が誇る動体視力、運動神経、そしてこれまでの殺害人数からくる圧倒的経験則。
 それら全てが物語っていた。
 このタイミング、絶対的タイミング。
 ここで振るえば必ず刺さる。
「これで二人目ぇ‼」
 ”pepper”の雄叫び。
 見下ろした先の嵐山楓。
 彼の目前に迫る凶刃。
 瞬間。
「⁉」
 嵐山楓は”pepper”の視界から消え失せた。
 消失。
 (いねぇっ⁉)
 僅かに視線を上げる“pepper”。
 その背後、殺人鬼の後頭部に向けて、嵐山楓は蹴りを放たんと脚を構えていた。
 跳躍。
 嵐山楓は別に煙ではない。
 消えたわけではなく、跳んだだけ。
 否。
 「だけ」で片付けていいことではない。
 この跳躍、まるで存在そのものが霧散したかのようなこの跳躍は、嵐山楓の努力の賜物。
 腰を落とし、突っ込んだのは全霊の攻撃を演出するため。
 そして、敵の視野を下方へと誘導するため。
 近づき、極端に距離を詰めたところで、訓練通り、予想通りの敵からのトドメの一撃。
 距離を詰めたことにより、敵の姿勢、体勢もある程度に誘導できた。
 そこから来る攻撃は、限定された軌道を描く一撃。
 予想の範疇。
 そして計算通りに振り下ろされたナイフ。
 その刃先が前髪に触れる寸前で、彼は跳んだ。
 しかも、ただ跳んだわけではなく、彼が突っ込む寸前に纏った風、『風さんのえっち!ウィンドウズ』の出力を瞬間的に上昇させて跳んだ。
 始めから全速なわけではなかった。
 しかし、初見でそれを見破れるものは少ない。
 彼が“性癖スキル“を発動させたことに気付いたとしても、少ないエーラ量に僅かな加速。
 勝手に彼の限界を決めつける。
 “性癖スキル“持ちこそ騙される。
 嵐山楓のエーラ総量が少ないからこそできる芸当。
 “pepper”もまた、騙された。
 “性癖スキル“だのエーラだのの概念を知りすらしていない殺人鬼だが、それでも『致死量未満の殺人アマチュアデッドライン』は発動しているし、エーラの局所集中も会得している。
頭の中でぼんやりと、なんとなく曖昧に、エーラやそれにまつわるルールを把握していた。
 考えているわけではなく、ただ感じている。
 天才型。
 よって騙された。
 ガスマスクの視界の狭さも手伝って、彼の目には一瞬にして嵐山楓が消えたようにしか映らなかった。
 しかし、騙されたのはそこまで。
 彼はすぐにもう片方の腕で、背後へと刃を向ける。
 気付いたのだ。
 彼は普段から考えていないだけで、考えられないわけではない。
 その気になれば、なんだってできる。
 見えもしない、気付かせない、そんな背後の敵に正確に反射のみでナイフを振るうことなど、できて当たり前のことだった。
 跳躍直後の嵐山楓に、ナイフが襲い来る。


  下田従士到着まで、残り百二十九秒———
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