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第164話「致死量未満の快楽⑱」
しおりを挟む六月十二日(日)十八時十八分 埼玉県大宮市・路地裏
蹴り上げ、蹴り抜き。
“pepper”の頭が宙に反る。
顎先狙い。
極端な上下運動。
脳を破壊する一撃。
しかし。
しかし、“pepper”の動きは途中、ぴたりと止まり、徐に蹴り上げ直後の嵐山楓を見下ろした。
「——ばぁっ♪」
瞬間、同じく宙に投げ出されていた腕がナイフを振り下ろす。
(‼ 三半規管ぶっ飛べよっ‼)
ナイフを大きく右に躱す嵐山楓。
そこに、もう反対で構えられていたナイフが追撃する。
嵐山楓はそのナイフを爪先で蹴り飛ばすが、次なる刃が襲い掛かり、それを拳で弾く。
しかし、その次には蹴り飛ばされたナイフの代わりを新たに携えた殺人鬼の猛攻が舞っていた。
「ちっ」
嵐山楓の舌打ち。
直後に始まる、二人の猛交戦。
嵐山楓は飛んでくる凶刃を蹴り、殴り、弾き、飛ばす。
“pepper”はナイフを蹴られ、殴られ、弾かれ、飛ばされる度に、すぐさま新たにナイフを取り出して追撃していった。
(だからっ、どんだけ隠してんだよっ‼)
嵐山楓はそれでも順繰りにナイフを蹴飛ばしていく。
この通りサバットは本来、やや防御寄りの格闘術。
杖術にしろ、脛では受けない独特の蹴術にしろ、間合い外から相手の攻撃を牽制しつつ詰めていくのが基本中の基本であり、彼もそれは知っていた。
それでも、”疾風怒濤の散歩者“を使ってまで、相手に分のある近接戦に強引に持ち込んだのには、三つの理由があった。
一つは、下田従士の存在。
殺人鬼と対峙して既に十二分の時が経過していた。
嵐山楓の仲間は、三人中二人が倒れ、一人は非戦闘要員。
自分以外が戦闘不能の状況下にあった。
しかしそれでも、嵐山楓たちが到着するまでの美神𨸶との戦闘にて“pepper”の体力は大幅に削られており、彼らが到着した後の攻防戦でも、ダメ押し程度には消耗させられていた。
不死身の殺人鬼は既に虫の息。
同じく不死身の下田従士が到着すれば、殺人鬼の捕縛は約束されたも同然だった。
故の、残り二分の時間稼ぎ。
そして、殺人鬼の残存体力が少なければ少ない程、その成功率は向上する。
嵐山楓は殺人鬼を倒すのではなく、残りの体力を少しでも削りにかかっていた。
しかし、ここでも厄介な問題が発生する。
“pepper”の間合い外からの防衛戦では、こちらの体力が一方的に削られるだけに留まってしまうのだ。
ジリ貧。
だったら当然、距離を詰めよう。
近接格闘は相手に分があろうと、関係ない。
俺が倒すんじゃない。
その後が楽になれば、それで十二分。
極限状態の中、嵐山楓は確かにそう考えた。
下田従士の戦闘をより有利にするための捨て身。
神室秀青とはまた違った粉骨砕身。
援護主体の戦法を持つ、嵐山楓の狂気。
そして、二つ目の理由。
それは嵐山楓の裏で暗躍する、心音まりあの存在だった。
派手に動く嵐山楓の影に隠れて、彼女はある物を探している。
美神𨸶から手を離してまで、彼女が探しているのは一本のナイフ。
「———つっ」
“pepper”が振るった、右手に握られたナイフ。
その刃先を左裏拳で弾くと、嵐山楓は体を捻って左足を返した。
体力の消耗により、殺人鬼は攻撃直後に微妙に隙を生じさせるようになっていた。
そこに打ち込まれる、右中段回し蹴り。
まともに喰らった”pepper”は、体を大きく吹き飛ばす。
まともに、と言ってもそれは肉体面のみの話で、無論、エーラの局所集中によって防御はしていた。
していたが、それでも殺人鬼は吹き飛ぶ。
壁にぶつかり、地を跳ねて、殺人鬼が飛ぶ先を嵐山楓も壁を走って追っていた。
更なる追撃。
宙に浮く”pepper”に、嵐山楓は蹴りを放った。
しかし流石の”pepper”、その攻撃を腕で防御した。
次なる攻撃はエーラ面でも肉体面でもしっかり防いだ。
(守んのかよっ‼)
受け身を取って転がり起きる殺人鬼。
「っ⁉」
その周囲を、白い霧が包んでいた。
白い霧。
これは、神室秀青奪還の際に嵐山楓が見せた、白い粉末での煙幕。
(毒か? いや、これ見よがしにガスマスク着けてんだ、それはない。ってことは———)
白い粉末を風で操り、“pepper”の周囲に固定。
そして、嵐山楓は走り出した。
(———あぁ、目眩ましか。)
“pepper”の周囲を高速で走る嵐山楓。
風で制御された白い霧は、それでも決して晴れることはない。
(あー、わかったぞ。)
自身の周囲を駆ける嵐山楓を意識で追いつつ、煙幕と能力者、双方からの包囲を受けつつ、“pepper”は気付く。
(こいつ、風か。)
ここにきての、殺人鬼の読みは的中していた。
対する嵐山楓。
殺人鬼の周囲を駆け回りつつ、彼もまた考える。
(ここまですれば風には流石に気付くか。それでも、一手遅い!)
殺人鬼の背後を右に抜けたところで、”pepper”による正確無比な攻撃が迫ってきた。
嵐山楓は、そのナイフを爪先で蹴り飛ばす。
(視界が閉ざされようとも、お前はエーラ感知に長けてるんだろ? 俺の動きを完全に把握してんだ。)
嵐山楓は瞬時に、“pepper”が振るった方とは反対側の腕を掴み、関節を極めにかかった。
しかし、“pepper”はズボンのケツポケットから新たにナイフを取り出し、彼に刺突。
(そうだ。エーラだけ探ってろ。)
嵐山楓は、腕を離してそれを躱した。
その刹那。
「ぐっ⁉」
”pepper”の背中を、無数の刃が貫いた。
それは、地面に突き刺さっていた殺人鬼の凶刃。
嵐山楓が近接戦に持ち込んだ三つ目の理由。
派手な近接技で、ナイフの遠隔操作を相手の意識から消し飛ばすため。
下田従士到着まで、残り七十六秒———
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