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第167話「致死量未満の快楽㉑」

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  六月十二日(日)十八時十九分 埼玉県大宮市・路地裏

(楓君っ‼)
 二人が走り出したのと同タイミングで、心音まりあが嵐山楓を抱き上げた。
(シュウ君、復活したよ。待ってて。今、楓君も治してあげるから。)
(いや、駄目だ。毒が無くても体が動かない。派手に動きすぎた。)
 彼女の“性癖(スキル)“を知っている嵐山楓は、暗闇の中の女神の声にも冷静に返し、正確な状況判断を行っていた。
(それよりも…お前に一つ、頼みがある。)
(!)


 走り出した神室秀青。
 その速度は、さらに増していた。
 そして迎えうつ”pepper”の猛攻、二本の踊り舞うナイフを見事にいなし切っていた。
 (こいつ、また速くなった⁉)
 気付く”pepper”。
 一度死の淵に立たされたことにより、彼の感覚はより一層研ぎ澄まされたのだ。
 “pepper”の動きを、上回った。
 左からの刃を、右手で左肩を引っ張ることで無理矢理躱し、神室秀青は瞬時に体勢を立て直した。
 そして、左肩を離した右手で拳を握って放つ、渾身の右ストレート。
 神室秀青のパンチが胸元に直撃し、”pepper”の動きが止まった。
 そこに。
「𨸶先輩…嵐山…まりあさん……‼」
 神室秀青は左拳を握った。
「てめぇは死ねぇっ‼」
 放たれる、左フック。
 “pepper”はたまらず後退、衝撃を逃した。
「ふふ…うふふふ……」
 立場の逆転。
 それでも“pepper”は笑う。嗤う。
「ひゃぁははははははは‼」
 そして“pepper”は『致死量未満の殺人アマチュアデッドライン』によって再び自身に毒を打った。
 その毒は、脳機能の一部を著しく阻害するが、身体機能の一部を甚だしく向上させる。
 俗に言う、ドーピング。
 自身の速度を上回った神室秀青の速度を更に上回り、殺人鬼は少年へと迫る。
「つっ」
 再びの殺人鬼の猛攻。
 増した速度に、神室秀青はまた置いていかれる。
 防戦一方。
 攻撃をいなすのが精一杯となってしまった。
 しかし。
「——ぅうらあああああああ‼」
 ここでまた神室秀青の動きが速くなった。
 押されていた体勢が戻り、“pepper”の動きに追いつく。
 激しい怒り。
 それによって外れた脳の制御リミッターが、隠されていた潜在能力を引き出した。
 常人ならば、一秒と持たず体を壊す状態。
 しかし、神室秀青。
 『独り善がりの絶倫オーバーロード』によって常軌を逸したタフネスを持つ彼には、それができた。
「おぉ……」
 極限状態の交戦の最中、それでも”pepper”は感嘆の息を漏らした。
 獲物の抵抗はいつものことながら、それでも。
 こればっかりは、予想以上以上の領域。
 感動すら、覚えていた。
「いいぞ‼ もっとだ‼ もっとくれぇ‼」
 右上段からのナイフ薙ぎ払い。
 神室秀青はその腕の内を右手で掴んで防ぐ。
 そこからの、右ひじ打ち。
 鼻に直撃し、“pepper”は鼻血を噴いた。
「あははははははははっ‼」
 だが笑う。
 笑って、もう片方のナイフを神室秀青に振った。
「くっ」
 その腕を、今度は左手で受け止める神室秀青。
 自然と、両腕が交差した。
「はははははははははぁ‼」
「ぐぬぬぬぬぬぬぅぅぅ」
 両腕の力を強める”pepper“。
 力を込め、耐え続ける神室秀青。
 それでも、”pepper”の力が上回り。
「ふっ‼」
 両手を離して、神室秀青は上体を引く。
 神室秀青の顔が元あった場所を、二振りの刃が軌道を描いた。
「隙いただきぃ♪」
 そこに迫る、殺人鬼の追撃。
 複数回の刺突を、神室秀青は寸でのところで、手のひらで払い続ける。
「はっはぁー‼」
 途端に体勢を変え、今度は右上段蹴りを放つ”pepper”。
 靴先には、仕込んだナイフが光っていた。
「うっらぁっ‼」
 そのナイフ、刃先を、左拳で殴り上げる神室秀青。
 刃物は、横からの衝撃に弱い。
 靴先のナイフが音を立てて砕け飛んだ。
 その光景を見て。
 (楽しい。刺激的だ。待ち望んでいた瞬間。退屈の無い日常。高揚。そして、その後に待っている……

 圧倒的、快‼ 楽‼)

更に昂る“pepper”。
「ひゃっほぉぉぉぉぉぉ‼」
 ドーピングの追加。
 からの、ナイフの追加が間に合わず、裏拳。
「やっぱ今日は運が良いぃぃぃぃぃぃ‼」
 拳を腕で受けて、後方へと跳ぶ神室秀青。
 隙。
 決定的な隙が、できてしまった。
「うっひゃぁぁぁぁっはぁぁぁぁっ‼」
 そこを突くべく、“pepper”は踏み込み、そして、膝から崩れた。
「⁉ ⁉ ⁉」
 服毒によって痛覚を遮断していた”pepper”は気付かなかった。
 美神𨸶との交戦、神室秀青・嵐山楓との戦闘、そしてその二つの戦いの最中に度々行っていたドーピング。
 殺人鬼の体は、限界を過ぎていた。
「らあああぁぁぁぁっ‼」
 神室秀青は走った。
 この隙、この好機チャンス
 逃すわけにはいかなかった。
 その姿を見て、“pepper”がスーツの内より取り出したもの。
 残りのナイフ、二十数本。
 それを一度に、神室秀青に向かって投擲した。
「っ⁉」
 向かってくる夥しい数のナイフ。
 神室秀青は止まれない。
 止まれないから、足を振り上げ、靴を飛ばした。
 飛んだ靴により、二十数本のナイフの内の三本を撃ち落とせた。
 それでも、残ったナイフは数知れず飛んでくる。
 しかし、彼の狙いはこれではなく、序盤で脱いだTシャツ。
 ナイフを防ぐために脱ぎ捨てたTシャツが、足元に転がっていた。
 それを、靴を脱いだ足で器用に掴み、振り上げた。
 Tシャツはカーテンのように宙に舞い、彼の前方に迫りくる凶刃の全てを受けて、再び地に落ちた。
 そのTシャツを踏みつけて、”pepper”が彼の眼前に現れた。
 “pepper”の狙いこそ、まさしくこれ。
 神室秀青がTシャツを利用して飛び交うナイフを防ぐ動きは一度見た。
 だからこそ、予想した。計算した。
 Tシャツを隠れ蓑にすれば、今の自分でも神室秀青の隙を突けると考えた。
 獲物の動きを読むのは得意だった。
 全力疾走、動作をキャンセルしての無理矢理な防御。
 神室秀青は咄嗟に動けない。
 そこに振りかざす、”pepper”のエリミネイター。
「終・わ・り・だぁぁぁぁっ‼」
 叫ぶ”pepper”のエリミネイター、を握る拳に、ナイフが刺さった。
「っ⁉」
 投擲。
 しかし、神室秀青ではない。
 そのナイフを投げたのは。
 土壇場の状況でも、決して外さず正確に、”pepper”の手にナイフを刺したのは、美神𨸶だった。
 ようやく体が動いた美神𨸶が、最後の力をふり絞ってナイフを投げた。
 そして生まれる、最後の隙。
 “pepper”は毒を打ち消さんと体の動きを止めたが、腹部ががら空きになっていた。
 もう、仕込まれたナイフは残っていない。
 エーラの局所集中も、“性癖スキル“発動と並行すれば間に合わない。
「あああああああああああっ‼」
 神室秀青の檄。
 その瞬間、心音まりあが嵐山楓に合図を送った。
(楓君、今‼)
 心音まりあの合図に、嵐山楓のエーラが強まる。
(エーラ感知が出来ない俺でも、お前の馬鹿みたいなエーラだけはなぜか感じる。お前はすげぇよ、神室。武術も習得してないお前が、俺でさえもビビるような相手に恐れず立ち向かってる。……これが、最後のエーラだ。)
 嵐山楓、最後のエーラが彼の体から解き放たれていく。
(行け、神室。好きな女ぐらい、手前てめぇで護ってみせろ‼)
 神室秀青が拳を握り、嵐山楓の風が、それを加速させた。
 『独り善がりの絶倫オーバーロード』+『風さんのえっち!ウィンドウズ』。
 “疾風怒濤の童帝皇スカイアーツ・THE・ベーションマスター”‼
 腹部に拳を受け、”pepper”の体は宙を舞い、弧を描き、エリミネイターが地面を跳ねた直後に落下した。


  下田従士到着まで、残り三十一秒———
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