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第174話「彩芽祐樹③」
しおりを挟む六月十三日(月)十八時四十七分 真希老獪人間心理専門学校・食堂
先生の話は続いていく。
「最初はそんなに激しいものではなかった。一月に一度、彩芽祐樹を自分の両親に預けて客と会う程度だった。元々色んな店を掛け持ちして働いていたんだし、理由付けには困らなかっただろうね。でも、ストレスからの逃避。秘密の密会。逢瀬。強すぎる刺激は感覚を鈍らせ、並大抵の刺激では物足りなくなっていく。月に一度の火遊びは、やがて大きな山火事を呼ぶことになった。彩芽祐樹が幼稚園を卒業したあたりから、彩芽桔梗の行為が両親と夫にバレ始めたんだ。最初はみんな黙認状態だった。彩芽千種も、彩芽桔梗と結婚はしたものの、心は別の女性にあっただろうし、彩芽桔梗の両親はそんな彩芽千種を快く思っていなかっただろうしねー。彩芽桔梗も勿論、バレてるだろうことは気付いてたんだろうけど、今さらやめることなんてできなかっただろう。」
一度覚えた蜜の味。
それがたとえ、体を徐々に蝕む毒であったとしても、死ぬまで舐めずにはいられないだろう。
「でも不貞っていうのは、密かに行うからこそ意味がある。禁じられた遊びだからこそ、夜は一層、その火を燃え盛らせるんだ。黙認状態を関係者すべてで共有してしまったら、浮気に刺激は有されない。解消されないストレスから、彩芽桔梗は度々彩芽千種と衝突することになった。彩芽祐樹が中学に上がる頃には、二人の関係は破綻しきっていて後戻りできない状態になっていて、程なくして離婚した。」
先生は笑顔のまま、冷静に語っていく。
その話を聞いて、俺は「当然だろう」という至極他人事な感想しか抱けなかった。
「二人の関係」という言葉を先生は用いていたが、どうにもそれは正しくなく感じる。
話に出てきた”pepper”の両親、この二人の関係は、夫婦なんてものではなく、恋愛の延長線上のような、もっと曖昧で模糊としたナニカのように思えたからだ。
「裁判まで事は及び、結果として彩芽祐樹は母親の彩芽桔梗——この時はまた松原桔梗——に引き取られる形になった。」
「じゃあ、“pepper”は中学生以降は片親に育てられてたってことですね?」
「いや、「引き取られる形になった」っていうのはあくまでも裁判の形式上のもので、実際は、松原桔梗の両親、彩芽祐樹の祖父母に引き取られた、っていうのが正しい。」
……はい?
「彩芽千種との子ども——彩芽祐樹は、多分、元旦那を想起させる存在だったんだろう。離婚後は松原桔梗から邪険に扱われるようになった。彩芽姓を取り払わないという裁判結果もそれに拍車をかけていたのかもしれない。松原桔梗は、彩芽千種からの養育費を全て男遊びに費やした。若くない両親に子どもの面倒を全て押し付けて遊び歩いていたのさ。」
「………」
それは、なんとも……クズだな。
「一度覚えた快感は決して忘れられない。それは、男も女も結婚後も離婚後も変わらないんだ。当時を上回る快感を得られないことがわかっていようと、ね。」
そして、先生は人差し指を立てた。
「それら全ての経緯を、彩芽祐樹は全て気付いていた。器用貧乏的気質があったんだろうね。幼い頃から大抵のことはこなせた大人しい子ども。それが彼の当初の人格でもあり、原初の人格。そして、彼が歪むことになる要因の一つでもあったと僕は考えている。……だけど、これはあくまで要因の一つ。」
先生の細い目尻から、一瞬笑みが消えた。
「彼——彩芽祐樹が殺人鬼”pepper”と化した決定的な事件は、彼が中学二年生の頃に起こった。」
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