94 / 96
陽だまりのアトリエと、小さな麦の穂 〜守り神と育む、家族のレシピ〜
第94話 レオン親方の最後の教えと、静かな引退
しおりを挟む
マルセルの新たな門出を見届けたフィオナ・フォン・シルフィードは、「愛する家族と共に歩む、永遠の日常」という名の「新しいレシピ」を胸に、王都の庶民街へと馬車を走らせていた。
向かう先は、パン職人としての魂を育ててくれた、唯一無二の師匠の店「ブランシュール」だった。
王宮での公開実験と討論会を経て、フィオナは王家特別賞を受賞し、王都一のパン職人として公的に認められた。その栄誉と褒賞を全て辞退し、路地裏の小さなパン屋を選んだこと。
「管理された秩序(科学)」に「分け合う温もり(愛)」が勝利したこと――その全てを、最も大切な師に伝える必要があった。
ブランシュールの店内は、相変わらず穏やかな麦の香りに満ちていた。奥へ進むと、レオン親方はいつものように小麦粉まみれの作業台で、生地を叩きつけている。
「あん? 何だ、嬢ちゃん。随分と派手な噂を撒き散らしおってから、今頃どの面下げて来やがった」
振り返りもせず、レオンはフィオナを迎えた。
「親方」
フィオナは誇り高きパン職人の作法で、深々と頭を下げる。
「この度、王宮での催しにて、王家特別賞を頂きました。この栄誉は、親方からの『力で支配せず、寄り添って育む』という教えの賜物です」
「フン。大馬鹿弟子が、随分と上手いことを言うじゃねえか」
レオンは作業の手を止め、フィオナの顔をじろりと見た。その瞳には、もう弱さはない。
そこにあるのは、揺るぎない「パン職人の誇り」だった。
「で、その王家特別賞とやらになったパンはどこだ。どうせ、王宮の猿回しに合わせた見栄っ張りなパンだろうが」
フィオナは持参した陽だまりブレッドを、恭しく作業台に置く。
素朴で不格好だが、森の土や太陽の種の色が混じり合った、力強いパンだ。
レオンは黙って手に取り、香りと重さを確かめ、儀式のようにちぎって口に運ぶ。
その瞬間――レオンの表情が変わった。
(……なんだ、この温かさは……)
口いっぱいに広がる、愛と絆の滋味。
それは「最も温かい記憶」を呼び覚ます力を持っていた。
レオンの脳裏には、亡き妻マリーが若いころ、不格好なパンを焼いてくれた日の情景が蘇る。
主の強面の目尻に、一筋の涙が滲む。
慌てて手の甲で拭い、ぶっきらぼうに吐き捨てた。
「……ちっ。相変わらず、感傷的なパンを焼きやがって。パンは感傷だけじゃ焼けねえと、何度も言ったはずだ、この大馬鹿弟子が」
しかし、もう悪態を続けることはできなかった。
レオンはまっすぐにフィオナを見て、静かな声で言う。
「フィオナ」
それは師匠としての、真剣な呼びかけだった。
「てめえがあの王宮で、『管理された秩序(科学)』に勝ったのは、てめえのパンが『分け合う温もり(愛)』という根源的な真実を証明したからだ」
そして、かつて伝えた教えの言葉を、もう一度口にした。
「力で支配せず、寄り添って育む」
「てめえは、それを自分の『新しいレシピ』にした。アルトの力も、ホズネの力も、支配しようとすれば必ず枯れる。だが、てめえは愛と知恵でその力を尊重し、導いた」
レオンは深呼吸をして――
作業台を、ぱんっと叩いた。
「お前は、もう俺から教わることは何もない」
フィオナは息を呑んだ。
それは、彼なりの最大限の「合格」宣言だった。
「王都一のパン職人として、その小さな灯りを消さずに守り続けろ。二度と王宮の猿回しになんて付き合うんじゃねえぞ」
レオンは、フィオナの「路地裏のパン屋」という選択を、心から尊重していた。
その時、奥からマリーさんが顔を出した。
「あら、フィオナちゃん! おめでとう! さっきからおじいさん、ずっと泣いてたんだよ! 『マリー、フィオナのパンは太陽の味がする』なんて言ってさ」
「お、おい、マリー! 余計なこと言うな!」
レオンは顔を真っ赤にして慌てる。
マリーさんは優しく笑いながら、フィオナの肩に触れた。
「フィオナちゃんのおかげで、この頑固親父も、やっと肩の荷が下りたみたいだよ」
レオンは腕組みをして遠い目をした。
「……フン。まあ、これからはマリーと二人で、好きなパンでも焼いて暮らすさ。てめえという最高の弟子に、パンの魂を託したんだ。もう、思い残すことはねえ」
それは、レオン親方の「静かな引退」の宣言だった。
フィオナは、師の長年の重責と深い愛情に胸が熱くなった。
「親方……マリーさん……」
師匠からの「合格」。
それは、彼女の「伝説のパン職人としての誇り」を何倍にも大きくしてくれる宝物となった。
フィオナは愛と叡智を胸に、
「全ての道が帰ってくる、永遠の居場所」である陽だまりのアトリエへと帰っていった。
師の叡智は、彼女の「永遠のレシピ」の一部となった。
向かう先は、パン職人としての魂を育ててくれた、唯一無二の師匠の店「ブランシュール」だった。
王宮での公開実験と討論会を経て、フィオナは王家特別賞を受賞し、王都一のパン職人として公的に認められた。その栄誉と褒賞を全て辞退し、路地裏の小さなパン屋を選んだこと。
「管理された秩序(科学)」に「分け合う温もり(愛)」が勝利したこと――その全てを、最も大切な師に伝える必要があった。
ブランシュールの店内は、相変わらず穏やかな麦の香りに満ちていた。奥へ進むと、レオン親方はいつものように小麦粉まみれの作業台で、生地を叩きつけている。
「あん? 何だ、嬢ちゃん。随分と派手な噂を撒き散らしおってから、今頃どの面下げて来やがった」
振り返りもせず、レオンはフィオナを迎えた。
「親方」
フィオナは誇り高きパン職人の作法で、深々と頭を下げる。
「この度、王宮での催しにて、王家特別賞を頂きました。この栄誉は、親方からの『力で支配せず、寄り添って育む』という教えの賜物です」
「フン。大馬鹿弟子が、随分と上手いことを言うじゃねえか」
レオンは作業の手を止め、フィオナの顔をじろりと見た。その瞳には、もう弱さはない。
そこにあるのは、揺るぎない「パン職人の誇り」だった。
「で、その王家特別賞とやらになったパンはどこだ。どうせ、王宮の猿回しに合わせた見栄っ張りなパンだろうが」
フィオナは持参した陽だまりブレッドを、恭しく作業台に置く。
素朴で不格好だが、森の土や太陽の種の色が混じり合った、力強いパンだ。
レオンは黙って手に取り、香りと重さを確かめ、儀式のようにちぎって口に運ぶ。
その瞬間――レオンの表情が変わった。
(……なんだ、この温かさは……)
口いっぱいに広がる、愛と絆の滋味。
それは「最も温かい記憶」を呼び覚ます力を持っていた。
レオンの脳裏には、亡き妻マリーが若いころ、不格好なパンを焼いてくれた日の情景が蘇る。
主の強面の目尻に、一筋の涙が滲む。
慌てて手の甲で拭い、ぶっきらぼうに吐き捨てた。
「……ちっ。相変わらず、感傷的なパンを焼きやがって。パンは感傷だけじゃ焼けねえと、何度も言ったはずだ、この大馬鹿弟子が」
しかし、もう悪態を続けることはできなかった。
レオンはまっすぐにフィオナを見て、静かな声で言う。
「フィオナ」
それは師匠としての、真剣な呼びかけだった。
「てめえがあの王宮で、『管理された秩序(科学)』に勝ったのは、てめえのパンが『分け合う温もり(愛)』という根源的な真実を証明したからだ」
そして、かつて伝えた教えの言葉を、もう一度口にした。
「力で支配せず、寄り添って育む」
「てめえは、それを自分の『新しいレシピ』にした。アルトの力も、ホズネの力も、支配しようとすれば必ず枯れる。だが、てめえは愛と知恵でその力を尊重し、導いた」
レオンは深呼吸をして――
作業台を、ぱんっと叩いた。
「お前は、もう俺から教わることは何もない」
フィオナは息を呑んだ。
それは、彼なりの最大限の「合格」宣言だった。
「王都一のパン職人として、その小さな灯りを消さずに守り続けろ。二度と王宮の猿回しになんて付き合うんじゃねえぞ」
レオンは、フィオナの「路地裏のパン屋」という選択を、心から尊重していた。
その時、奥からマリーさんが顔を出した。
「あら、フィオナちゃん! おめでとう! さっきからおじいさん、ずっと泣いてたんだよ! 『マリー、フィオナのパンは太陽の味がする』なんて言ってさ」
「お、おい、マリー! 余計なこと言うな!」
レオンは顔を真っ赤にして慌てる。
マリーさんは優しく笑いながら、フィオナの肩に触れた。
「フィオナちゃんのおかげで、この頑固親父も、やっと肩の荷が下りたみたいだよ」
レオンは腕組みをして遠い目をした。
「……フン。まあ、これからはマリーと二人で、好きなパンでも焼いて暮らすさ。てめえという最高の弟子に、パンの魂を託したんだ。もう、思い残すことはねえ」
それは、レオン親方の「静かな引退」の宣言だった。
フィオナは、師の長年の重責と深い愛情に胸が熱くなった。
「親方……マリーさん……」
師匠からの「合格」。
それは、彼女の「伝説のパン職人としての誇り」を何倍にも大きくしてくれる宝物となった。
フィオナは愛と叡智を胸に、
「全ての道が帰ってくる、永遠の居場所」である陽だまりのアトリエへと帰っていった。
師の叡智は、彼女の「永遠のレシピ」の一部となった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜
くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。
味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。
――けれど、彼らは知らなかった。
彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。
すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、
復讐ではなく「関わらない」という選択。
だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。
【完結】婚約破棄された辺境伯爵令嬢、氷の皇帝に溺愛されて最強皇后になりました
きゅちゃん
ファンタジー
美貌と知性を兼ね備えた辺境伯爵令嬢エリアナは、王太子アレクサンダーとの婚約を誇りに思っていた。しかし現れた美しい聖女セレスティアに全てを奪われ、濡れ衣を着せられて婚約破棄。故郷に追放されてしまう。
そんな時、隣国の帝国が侵攻を開始。父の急死により戦場に立ったエリアナは、たった一人で帝国軍に立ち向かうことにー
辺境の令嬢がどん底から這い上がる、最強の復讐劇が今始まる!
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
私を追放した王子が滅びるまで、優雅にお茶を楽しみますわ
タマ マコト
ファンタジー
王国の茶会の場で、マリアンヌは婚約者である王子アレクシスから突然の婚約破棄を告げられる。
理由は「民に冷たい」という嘘。
新しい聖女リリアの策略により、マリアンヌは「偽りの聖女」として追放される。
だがマリアンヌは涙を見せず、静かに礼をしてその場を去る。
辺境の地で彼女は小さな館を構え、「静寂の館」と名づけ、紅茶と共に穏やかな日々を過ごし始める。
しかし同時に、王都では奇跡が失われ、作物が枯れ始めていた――。
虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました
たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
婚約破棄のその場で転生前の記憶が戻り、悪役令嬢として反撃開始いたします
タマ マコト
ファンタジー
革命前夜の王国で、公爵令嬢レティシアは盛大な舞踏会の場で王太子アルマンから一方的に婚約を破棄され、社交界の嘲笑の的になる。その瞬間、彼女は“日本の歴史オタク女子大生”だった前世の記憶を思い出し、この国が数年後に血塗れの革命で滅びる未来を知ってしまう。
悪役令嬢として嫌われ、切り捨てられた自分の立場と、公爵家の権力・財力を「運命改変の武器」にすると決めたレティシアは、貧民街への支援や貴族の不正調査をひそかに始める。その過程で、冷静で改革派の第二王子シャルルと出会い、互いに利害と興味を抱きながら、“歴史に逆らう悪役令嬢”として静かな反撃をスタートさせていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる