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「セシリア様。カイ様が――もう一度お会いしたいと」
エミリアの声が廊下に響いた瞬間、応接室の空気は一層緊張を増した。
レイモンドがその場で静かに立ち尽くす。
私もまた、答えに迷っていた。いや、本当は……迷ってなどいなかったのかもしれない。
二人の間で揺れていたと思っていた心の中には、もう一つの確かな想いが芽吹いていたから。
「……わかりました。カイ様を、お通しして」
私の言葉に、レイモンドはわずかに瞼を伏せた。
「私は、もう帰る」
「待って。レイモンド様」
私は立ち上がり、彼の袖をそっと掴んだ。
「お願いです。……少しだけ、残ってください」
レイモンドの目が見開かれた。
それでも、彼は無言のまま、席に戻る。
そしてその数分後、カイが庭園の扉から現れた。
「セシリア様。昨夜は、楽しい時間をありがとうございました。……けれど、ひとつだけ伝えたくて、戻ってきました」
彼の手には、もう一枚の楽譜が握られていた。
「“第二楽章”……あなたの笑顔を思い浮かべて、作ったものです」
彼の手が震えていた。それは緊張からか、それとも感情の昂ぶりか。
その楽譜の紙面には、繊細な旋律とともに、最後のページにたった一言だけ書かれていた。
『この音が、あなたの心に届きますように。カイ』
私はゆっくりと顔を上げ、二人を交互に見つめた。
氷のように寡黙で、けれど心の奥に深い愛を抱くレイモンド。
風のように自由で優しく、私の心の痛みに寄り添ってくれたカイ。
かつて“選ばれる”だけだった私は、いま“選ぶ”立場にいる。
誰を選ぶのか。誰の手を取るのか。
それは、過去の痛みを経て、自分で決められる私の“答え”だった。
「……カイ様。昨日の演奏、とても素晴らしかったです。音楽でこんなにも慰められたのは初めてでした」
カイの表情が柔らかくなる。
「ありがとうございます。それだけで……僕は」
「でも――」
私は言葉を切り、そっと微笑んだ。
「……私の心は、もう別の人に向いてしまっていたみたいです。ごめんなさい」
カイは、しばらく言葉を失っていた。けれどやがて、ふっと微笑んだ。
「そっか。……聖女様に、恋を教えられた男として、僕の音楽史に刻みますね」
その言葉に、少しだけ涙がこみあげた。
優しい人。あたたかな人。けれど、それだけでは埋められない想いがあった。
カイは一礼すると、軽やかに去っていった。
風のように、また別の空を目指して。
そして――残ったのは、レイモンド。
沈黙の中、私はゆっくりと彼の方を向いた。
「……見ていらしたんですね」
「ああ」
「何も言わずに?」
「君の決断だから」
私は歩み寄り、彼の前に立った。
そして、そっと、彼の手を取る。
「私が“今”を選ぶなら……それは、あなたと歩む未来です。誰かに選ばれるのではなく、私が選んだあなたと共に、進みたい」
レイモンドは、驚いたように私の顔を見つめる。
けれどその表情は、次第に柔らかく、そして確かな喜びに変わっていった。
「……俺は、君を幸せにできるだろうか」
「できるかどうかじゃなくて、一緒に探していきたいの。私たち二人で、答えを」
彼は、私の手を優しく握り返す。
「――セシリア。君を愛している。称号でも、力でもなく。君という人間を」
その瞬間、私の中のすべての迷いが消えていった。
ようやく、本当にようやく、私は“愛されていい”と、自分に許すことができた。
その数ヶ月後。
教会の小さな礼拝堂で、私とレイモンドは“夫婦”となった。
神に誓いを立てる瞬間、あの王都での婚約破棄も、涙の夜も、すべてが浄化されていくようだった。
結婚式には、カイも演奏者として参加してくれた。
彼は明るく笑って、私たちに最後の楽章を贈ってくれた。
「“永遠に続く祈り”。セシリア様と、あなたのために作りました」
私は涙を浮かべながら微笑んだ。
あの日婚約を破棄され、すべてを失ったはずだった。
けれど――その痛みがあったからこそ、私は本当の愛にたどり着けた。
私は、もう“聖女”としてではなく、
ただの“セシリア”として、この人と生きていく。
ざまぁ? いいえ、違うの。
これは――“幸せの証明”なのだから。
エミリアの声が廊下に響いた瞬間、応接室の空気は一層緊張を増した。
レイモンドがその場で静かに立ち尽くす。
私もまた、答えに迷っていた。いや、本当は……迷ってなどいなかったのかもしれない。
二人の間で揺れていたと思っていた心の中には、もう一つの確かな想いが芽吹いていたから。
「……わかりました。カイ様を、お通しして」
私の言葉に、レイモンドはわずかに瞼を伏せた。
「私は、もう帰る」
「待って。レイモンド様」
私は立ち上がり、彼の袖をそっと掴んだ。
「お願いです。……少しだけ、残ってください」
レイモンドの目が見開かれた。
それでも、彼は無言のまま、席に戻る。
そしてその数分後、カイが庭園の扉から現れた。
「セシリア様。昨夜は、楽しい時間をありがとうございました。……けれど、ひとつだけ伝えたくて、戻ってきました」
彼の手には、もう一枚の楽譜が握られていた。
「“第二楽章”……あなたの笑顔を思い浮かべて、作ったものです」
彼の手が震えていた。それは緊張からか、それとも感情の昂ぶりか。
その楽譜の紙面には、繊細な旋律とともに、最後のページにたった一言だけ書かれていた。
『この音が、あなたの心に届きますように。カイ』
私はゆっくりと顔を上げ、二人を交互に見つめた。
氷のように寡黙で、けれど心の奥に深い愛を抱くレイモンド。
風のように自由で優しく、私の心の痛みに寄り添ってくれたカイ。
かつて“選ばれる”だけだった私は、いま“選ぶ”立場にいる。
誰を選ぶのか。誰の手を取るのか。
それは、過去の痛みを経て、自分で決められる私の“答え”だった。
「……カイ様。昨日の演奏、とても素晴らしかったです。音楽でこんなにも慰められたのは初めてでした」
カイの表情が柔らかくなる。
「ありがとうございます。それだけで……僕は」
「でも――」
私は言葉を切り、そっと微笑んだ。
「……私の心は、もう別の人に向いてしまっていたみたいです。ごめんなさい」
カイは、しばらく言葉を失っていた。けれどやがて、ふっと微笑んだ。
「そっか。……聖女様に、恋を教えられた男として、僕の音楽史に刻みますね」
その言葉に、少しだけ涙がこみあげた。
優しい人。あたたかな人。けれど、それだけでは埋められない想いがあった。
カイは一礼すると、軽やかに去っていった。
風のように、また別の空を目指して。
そして――残ったのは、レイモンド。
沈黙の中、私はゆっくりと彼の方を向いた。
「……見ていらしたんですね」
「ああ」
「何も言わずに?」
「君の決断だから」
私は歩み寄り、彼の前に立った。
そして、そっと、彼の手を取る。
「私が“今”を選ぶなら……それは、あなたと歩む未来です。誰かに選ばれるのではなく、私が選んだあなたと共に、進みたい」
レイモンドは、驚いたように私の顔を見つめる。
けれどその表情は、次第に柔らかく、そして確かな喜びに変わっていった。
「……俺は、君を幸せにできるだろうか」
「できるかどうかじゃなくて、一緒に探していきたいの。私たち二人で、答えを」
彼は、私の手を優しく握り返す。
「――セシリア。君を愛している。称号でも、力でもなく。君という人間を」
その瞬間、私の中のすべての迷いが消えていった。
ようやく、本当にようやく、私は“愛されていい”と、自分に許すことができた。
その数ヶ月後。
教会の小さな礼拝堂で、私とレイモンドは“夫婦”となった。
神に誓いを立てる瞬間、あの王都での婚約破棄も、涙の夜も、すべてが浄化されていくようだった。
結婚式には、カイも演奏者として参加してくれた。
彼は明るく笑って、私たちに最後の楽章を贈ってくれた。
「“永遠に続く祈り”。セシリア様と、あなたのために作りました」
私は涙を浮かべながら微笑んだ。
あの日婚約を破棄され、すべてを失ったはずだった。
けれど――その痛みがあったからこそ、私は本当の愛にたどり着けた。
私は、もう“聖女”としてではなく、
ただの“セシリア”として、この人と生きていく。
ざまぁ? いいえ、違うの。
これは――“幸せの証明”なのだから。
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