「婚約破棄だ」と笑った元婚約者、今さら跪いても遅いですわ

ゆっこ

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 その日、私は王宮の大広間で、堂々たる声で婚約破棄を宣言された。

「リディア=フォルステイル。お前との婚約は――今日をもって破棄する!」

 声の主は、よりにもよって私の婚約者であるはずの王太子・エルネスト。
 いつもは威厳ある声音の彼が、今日に限って妙に勝ち誇った笑みを浮かべている。

 けれど――。

(……ふふ。そう来ましたのね)

 私は笑みすら浮かべず、王太子をただ静かに見つめ返した。

 大広間の視線が一斉に私へと向けられる。
 王族、貴族、外交客……さまざまな人々が、まるで処刑でも始まるかのように期待の眼差しを向けている。

 その全てが滑稽だった。

「お前は陰湿で、嫉妬深く、挙げ句の果てにはこのルチアを苛めた疑いまである!」

 エルネストが隣に立つ少女――男爵家の娘ルチアの肩を抱き寄せる。

 ルチアはつくりものの涙を浮かべ、わざとらしい声で震えながら言った。

「うっ……リディアさまが、私の靴に泥を……っ」

(あら、それは初耳ですわね)

 周囲から同情の溜息が漏れた。
 けれど私は、涼しい顔で立ったまま。

「なるほど。では、証拠はありますの?」

「証拠? 貴族令嬢のお前が、平民に近い彼女を苛めたという事実だけで充分だ!」

 ――ああ、本当に救いようのない男。

 私は胸の奥から湧き上がるため息を飲み込む。

(どうせルチアに唆されたのでしょうけれど……ここまで愚かだったとは)

 私の父は国でも指折りの公爵。
 家の財政は豊かで、王家の外交も、軍備の一部も支えている。

 本来なら、そんな家を敵に回すなど、まともな頭なら絶対にしない。

 でも――。

 エルネストは、私が何も言い返さないと思ったのだろう。
 勝ち誇ったように腕を組む。

「リディア、お前は今日から婚約者ではない。ルチアこそが新しい王太子妃となるのだ!」

 大広間がざわめいた。

(あらまあ……これはまた盛大な茶番ですこと)

 周囲の視線が哀れむように、あるいは面白がるように私を見ている。

 けれど――私の胸に湧いたのは、羞恥でも後悔でもなかった。

 ただ一つ。

「ようやく……自由になれますわね」

 軽く息をついたその瞬間――。

「なっ……!?」

 大広間の空気が止まった。

 エルネストだけでなく、ルチアも目を見開き、周囲の貴族たちまで固まる。

「リ、リディア……? お前は今、何と言った?」

「ですから――ようやくお別れできますわね、と申し上げましたの」

 私は軽くスカートをつまみ、貴族式の礼を取る。
 その姿は、処刑台の前に立つ令嬢ではなく、舞踏会の主役のように優雅だった。

「婚約破棄をお申し出くださり、ありがとうございます。おかげで、これでもう無駄な時間を費やさずに済みますわ」

「む、無駄……!?」

 エルネストの顔がみるみる赤くなっていく。

(本当に……自分が選ばれる価値があるとでも思っていましたの?)

 私は微笑み、静かに言った。

「そもそもエルネスト殿下、わたくし――あなたのことなど、一度たりともお慕いしたことはございませんわよ?」

「なッ……!」

 大広間がどよめいた。

 エルネストが信じられないものを見るように口を開く。

「お、お前……! 俺を愛していなかったというのか!?」

「はい、当然ですわ」

 即答した。

 ルチアが慌ててエルネストの腕を掴む。

「え、えと……殿下! こんな人、もう放っておきましょう!」

(あら、この期に及んで口を挟むなんて)

 私は涼しい表情のまま続けた。

「殿下のお戯れはさておき……正式な書類が届きましたら、すぐにでも父へお戻しくださいませ」

「あ、ああ……?」

 エルネストは混乱したまま、まともに返事もできない。

「それでは、わたくしはこれで失礼いたしますわ」

 私はドレスの裾を揺らし、堂々と大広間を背にした。

 泣き叫びもせず、怒りに震えることもなく――ただ、自由を喜びながら。



 王宮の外へ出た瞬間、ひんやりとした風が頬を撫でた。

「……はあ、すっきりいたしましたわ」

 空は高く、青がまぶしい。
 ようやく重い枷が外れたような解放感に、肩の力が抜けていく。

 そこへ――。

「リディア様、お迎えに上がりました」

 馬車の前で跪くようにして待っていたのは、我が家の従者であり護衛でもある青年、アレン。

「アレン……来てくださってありがとう」

「いえ。……お辛かったでしょう」

「いいえ、一切」

 胸を張って答えると、アレンは少し驚いたように目を細め、やがて柔らかく微笑んだ。

「……やはり、あなたは強い方だ」

 その声音があまりにも優しくて、思わず頬が熱くなる。

(……アレンのほうがずっと素敵ですわよ)

 思わぬ胸の高鳴りを隠すように馬車へ乗り込んだ。

 すると、アレンが少しだけ躊躇するようにして口を開く。

「……リディア様。これで、本当に……殿下との関係は終わりなのですね?」

「ええ、もちろん」

 きっぱりと言い切る。

 その瞬間、アレンの瞳に、安堵とも喜びともつかない光が生まれた。

(……あら?)

「では――これからは、あなたの隣に立つ資格が、私にもあるでしょうか」

 心臓が跳ねた。

 顔を上げると、アレンは真剣な眼差しで私を見つめていた。

「ア、アレン……?」

「……ずっと、あなたをお慕いしていました」

 告白。

 思いもよらない言葉に、喉が震える。

「ですが……あなたには婚約者がいた。だから、伝えることさえできませんでした」

 アレンがそっと私の手に触れた。

「その婚約が消えた今――私は、あなたを守る男として、あなたの隣に立ちたい」

(……こんなにも真摯に想われていたなんて)

 胸がじんわりと熱くなる。
 エルネストに抱いたことのない感情だ。

「アレン……」

 名前を呼ぶだけで、涙がこぼれそうになる。

 でも――。

(ええ、これからは……)

 私の人生は、もう私自身のもの。

 その未来に、この青年が寄り添ってくれるなら――。

「……ゆっくり考えさせていただけます?」

「もちろん。急ぎません。あなたの心が、自由であるのなら」

 アレンが微笑む。

 その笑顔は――エルネストがどれほど求めても手に入れられない、真の優しさに満ちていた。



 だがその頃。

「……リディアが、俺を愛していなかった……?」

 大広間に取り残されたエルネストは、呆然とつぶやいていた。

「殿下! 気にしないでください! 私が――」

「……黙れ」

「えっ?」

 ルチアが凍りつく。

 エルネストの手は震え、顔色は蒼白だった。

(な、なんだ……この胸の痛みは……?)

 だが彼はまだ知らない。

 その痛みが恋心だと認めるには――
 あまりにも、遅すぎるということを。
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