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「リリアーヌ・セリーニャ嬢。貴女との婚約は、本日をもって破棄させていただく!」
煌びやかな舞踏会の最中、王太子ユリウスが高らかにそう告げたとき、会場の空気は一瞬で凍りついた。
その視線の先には、琥珀の瞳を驚きの色に染めた、金髪の令嬢――私、リリアーヌが立っていた。
「……理由を、お伺いしてもよろしいですか、殿下?」
周囲が息を飲む中、私は静かに問い返した。取り乱すことも、涙を流すこともない。けれど、胸の奥がひどく痛む。
「君は冷酷で、他人を見下し、思いやりに欠ける。今日ここにいるみんなが、そのことを知っている」
王太子の隣には、薄桃色の髪を揺らす平民の少女――ローザが立っていた。
平民ながら奇跡的な魔力を持ち、“新たな聖女”と噂されている娘だ。
「僕はローザと結婚する。彼女は民のために力を尽くし、誰にでも分け隔てなく接する、真の聖女だ」
その瞬間、ざわつきが走る。
私は目を伏せ、深くお辞儀をした。
「かしこまりました。では、以後、私は婚約者ではなくなりますので、王太子殿下にも、ローザ殿にも、一切関わらぬようにいたします」
そう言って、私はその場を立ち去った。
「――という事件が、昨日あったんだって!」
令嬢たちの噂話は、翌朝には王都中に広まっていた。
「聖女ローザ様は、平民出身だけど、真に高貴よねぇ」
「それに比べてリリアーヌ様は冷酷非道。これまで周囲を虐げてきたって話よ」
「やっぱり、身分より中身ってことなのね!」
……くだらない。
私は王都を離れ、辺境にある実家の領地に戻ることにした。
花も咲かぬ冷涼な地。だが、空気は澄んでいて、民は素朴ながらあたたかい。
「お帰りなさいませ、お嬢様!」
「姫様が戻ってきてくれて、皆喜んでますぞ!」
誰もが笑顔で迎えてくれた。
(……どうして、ここにいるときだけ、私は“普通”でいられるんだろう)
そう考えると、胸が締めつけられる。
でも、もう過去のことだ。ユリウスとは終わった。私は、前を向いて生きていくだけ――そう、決めたはずだった。
「リリアーヌ……! よかった、ここにいたんだな!」
それは、領地に戻って三日目の朝。
城門に馬を走らせてきた男の姿に、私は目を疑った。
「……ユリウス殿下?」
「もう“殿下”なんて呼ぶなよ。君との婚約は、正式に解消されたわけじゃない。僕の一方的な……」
「私が承諾しました。ですので、すでに成立しています」
私はきっぱりとそう返した。彼の顔に、焦りの色が滲む。
「誤解だ、リリアーヌ。あの場では、どうしてもローザの手前、ああ言うしかなかったんだ」
「どうしても? 私を辱めることで、彼女の地位を引き上げたかったのですか?」
「ち、違う! ローザは……いや、今は関係ない。僕は、君に会いに来たんだ。謝るために。やり直したい」
「お断りします」
私ははっきりとそう言い放った。
するとユリウスは、まるで地面に崩れ落ちそうな表情で、唇を噛みしめた。
「僕は……君がいなければ、何もできない。ローザは、ただの庶民だった。魔力は強いが、政治も教養も皆無だった」
「それを、私と婚約中に気づかなかったのですか?」
ユリウスは何も言い返せない。私は踵を返し、屋敷の中へと歩き出した。
「殿下、三日目の朝食もお断りしております」
使用人の報告に、私は頷いた。
あれからユリウスは、屋敷の門の前に滞在している。王太子の立場を利用することもなく、ただただ、ひたすら謝罪と復縁を願っている。
「――お嬢様、そろそろ、顔くらい見せて差し上げても……」
「……いいえ。まだ、です」
私の傷は、簡単には癒えない。
だが……彼の目に浮かんでいたあの必死さが、脳裏に残って離れなかった。
その夜。私はふと、屋敷の裏庭に出た。
月明かりの下、ひとりの人影が立っていた。
「……また、来ていたのですか」
「リリアーヌ!」
彼は、私の姿を見るなり駆け寄ってくる。
「話を……少しだけ、聞いてくれないか?」
私は黙って頷いた。
「僕は、間違っていた。ローザは、ただ僕の優しさに惹かれただけだった。彼女は、君がしていた貴族の務めの重さをまるで理解していなかった」
「今さら気づいたのですね」
「……ああ。でも遅すぎたのかもしれない。でも、それでも……僕は、君を選び直したい」
その言葉は、まっすぐで、痛々しいほどに真剣だった。
「ふざけないで。私は、お飾りじゃない」
「知ってる。君は誰よりも気高く、誰よりも正しくあろうとする人だ。君が王妃になるべきだったんだ」
私の胸が、ちくりと痛む。
(どうして、あのとき……そう言ってくれなかったの)
あの舞踏会の夜。私がどれほど傷ついたか、彼は本当にわかっているのだろうか。
「私は、まだあなたを許していません。信じてもいません」
「……それでも、僕は待つ。何年でも、何十年でも。君が振り向いてくれる日まで」
その言葉に、私は何も返せなかった。
ただ、そっと月を見上げるだけだった。
煌びやかな舞踏会の最中、王太子ユリウスが高らかにそう告げたとき、会場の空気は一瞬で凍りついた。
その視線の先には、琥珀の瞳を驚きの色に染めた、金髪の令嬢――私、リリアーヌが立っていた。
「……理由を、お伺いしてもよろしいですか、殿下?」
周囲が息を飲む中、私は静かに問い返した。取り乱すことも、涙を流すこともない。けれど、胸の奥がひどく痛む。
「君は冷酷で、他人を見下し、思いやりに欠ける。今日ここにいるみんなが、そのことを知っている」
王太子の隣には、薄桃色の髪を揺らす平民の少女――ローザが立っていた。
平民ながら奇跡的な魔力を持ち、“新たな聖女”と噂されている娘だ。
「僕はローザと結婚する。彼女は民のために力を尽くし、誰にでも分け隔てなく接する、真の聖女だ」
その瞬間、ざわつきが走る。
私は目を伏せ、深くお辞儀をした。
「かしこまりました。では、以後、私は婚約者ではなくなりますので、王太子殿下にも、ローザ殿にも、一切関わらぬようにいたします」
そう言って、私はその場を立ち去った。
「――という事件が、昨日あったんだって!」
令嬢たちの噂話は、翌朝には王都中に広まっていた。
「聖女ローザ様は、平民出身だけど、真に高貴よねぇ」
「それに比べてリリアーヌ様は冷酷非道。これまで周囲を虐げてきたって話よ」
「やっぱり、身分より中身ってことなのね!」
……くだらない。
私は王都を離れ、辺境にある実家の領地に戻ることにした。
花も咲かぬ冷涼な地。だが、空気は澄んでいて、民は素朴ながらあたたかい。
「お帰りなさいませ、お嬢様!」
「姫様が戻ってきてくれて、皆喜んでますぞ!」
誰もが笑顔で迎えてくれた。
(……どうして、ここにいるときだけ、私は“普通”でいられるんだろう)
そう考えると、胸が締めつけられる。
でも、もう過去のことだ。ユリウスとは終わった。私は、前を向いて生きていくだけ――そう、決めたはずだった。
「リリアーヌ……! よかった、ここにいたんだな!」
それは、領地に戻って三日目の朝。
城門に馬を走らせてきた男の姿に、私は目を疑った。
「……ユリウス殿下?」
「もう“殿下”なんて呼ぶなよ。君との婚約は、正式に解消されたわけじゃない。僕の一方的な……」
「私が承諾しました。ですので、すでに成立しています」
私はきっぱりとそう返した。彼の顔に、焦りの色が滲む。
「誤解だ、リリアーヌ。あの場では、どうしてもローザの手前、ああ言うしかなかったんだ」
「どうしても? 私を辱めることで、彼女の地位を引き上げたかったのですか?」
「ち、違う! ローザは……いや、今は関係ない。僕は、君に会いに来たんだ。謝るために。やり直したい」
「お断りします」
私ははっきりとそう言い放った。
するとユリウスは、まるで地面に崩れ落ちそうな表情で、唇を噛みしめた。
「僕は……君がいなければ、何もできない。ローザは、ただの庶民だった。魔力は強いが、政治も教養も皆無だった」
「それを、私と婚約中に気づかなかったのですか?」
ユリウスは何も言い返せない。私は踵を返し、屋敷の中へと歩き出した。
「殿下、三日目の朝食もお断りしております」
使用人の報告に、私は頷いた。
あれからユリウスは、屋敷の門の前に滞在している。王太子の立場を利用することもなく、ただただ、ひたすら謝罪と復縁を願っている。
「――お嬢様、そろそろ、顔くらい見せて差し上げても……」
「……いいえ。まだ、です」
私の傷は、簡単には癒えない。
だが……彼の目に浮かんでいたあの必死さが、脳裏に残って離れなかった。
その夜。私はふと、屋敷の裏庭に出た。
月明かりの下、ひとりの人影が立っていた。
「……また、来ていたのですか」
「リリアーヌ!」
彼は、私の姿を見るなり駆け寄ってくる。
「話を……少しだけ、聞いてくれないか?」
私は黙って頷いた。
「僕は、間違っていた。ローザは、ただ僕の優しさに惹かれただけだった。彼女は、君がしていた貴族の務めの重さをまるで理解していなかった」
「今さら気づいたのですね」
「……ああ。でも遅すぎたのかもしれない。でも、それでも……僕は、君を選び直したい」
その言葉は、まっすぐで、痛々しいほどに真剣だった。
「ふざけないで。私は、お飾りじゃない」
「知ってる。君は誰よりも気高く、誰よりも正しくあろうとする人だ。君が王妃になるべきだったんだ」
私の胸が、ちくりと痛む。
(どうして、あのとき……そう言ってくれなかったの)
あの舞踏会の夜。私がどれほど傷ついたか、彼は本当にわかっているのだろうか。
「私は、まだあなたを許していません。信じてもいません」
「……それでも、僕は待つ。何年でも、何十年でも。君が振り向いてくれる日まで」
その言葉に、私は何も返せなかった。
ただ、そっと月を見上げるだけだった。
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