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6 嵐の前の静けさ(1)

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 12月11日。正式な『デイジー・ローズ』の依頼日。

 窓から注がれている太陽の光でエリオットは目が覚めた。外は冷えているのだろう。寒暖差で窓ガラスが結露している。
 エリオットはソファから立ち上がり、凝り固まった身体を伸ばす。
 昨夜、ヴルカンが悪魔や悪霊に反応することはなかった。しかし、一応自身のベッドで寝ている依頼主の様子を確認すべく、エリオットは伸ばした身体を寝室へ向けた。
 女性の寝姿を覗くのはいかがなものかと思うが、念のため安否確認をしなくては。
 デイジーからは事前に承諾を得て、寝室のドアは開けっ放しにしてもらっているのだから、こっそり覗くというものではないのだが、少し申し訳ない気もする。



 寝室へは入らず、入り口からベッドを覗き見る。胸のあたりの毛布が上下に動き、微かな寝息が聞こえてくる。表情も穏やかで、特に問題はなさそうだ。
 エリオットは寝室を後にし、次は洗面所へ移動した。ストーブの熱が届かず、ややひんやりしている洗面所で顔を洗いながら、エリオットはふと思う。

(…よくよく考えれば、女と朝を迎えたのは始めてか…?…いや、何もしてはいないが…。…というか、これも仕事になるのか…?)
 やはり、素で接しているためか、自宅にいるためか、エリオットはプライベートとオフィシャルが混同する。
 歯ブラシを加えたままキッチンへ移動すると、ケトルへ水を注ぎ、コンロの火を掛けた。モーニングティーの準備だ。

 エリオットはコーヒーよりも紅茶派だ。朝は紅茶を一杯とリンゴ1/2個を食べ家を出る。そして仕事に行きつつ適当にどこかで朝食をテイクアウト。それがいつものルーティーン。外で朝食を買うならリンゴは食べなくてもいいのではと思うかもしれないが、いつからだかそれが習慣になっており、紅茶とリンゴを朝に摂取しなければ一日が始まらないように思えるのだ。
 歯磨きを終えると、丁度ケトルからゴポゴポと沸騰した音が聞こえだした。キッチンに出ているのはティーカップとマグカップ一つずつ。この家にはティーポットが無いためマグカップの方に直接湯を注いで、ティーバッグを入れる。面倒だからマグカップを温めたりはしないが、一応小皿で蓋をして蒸らし作業は行う。それでどれだけ味が変わるか不明だが、念のためだ。



(…まだ起きないか…。)



 エリオットは寝室をチラッと見て、ケトルをコンロへ戻した。デイジーは相当寝不足だったのか、外から子どもたちのはしゃぐ声が聞こえだしてもまだ眠っている様だ。ティーカップ一つはそのままキッチンに残し、エリオットはダイニングテーブルへマグカップと丸皿に乗ったリンゴ1/2個、冷蔵庫から出したミルクを器用に持って移動する。

 一応エリオットの出勤時間は9時だ。今はまだ8時前。ルミテス小教会までは歩いて15分ほど。デイジーは未だ起きないが、時間はまだあるし、依頼主と一緒に居たのだから、むしろ時間外労働をしている様なものだ。

 蒸らし終えた紅茶の蓋を開け、熱を冷ます。その間に持ち物の確認を行う。
 細かい装飾が施されているナイフとピストル一つずつ。そして銅貨数枚とロザリオと祈祷書。
 信徒と関わるだけの神父であれば、ロザリオと聖書だけで基本良いのだが、悪魔祓いをするとしたらナイフとピストルと銅貨、この3つは必須だ。ちなみに聖水なんて水さえあればすぐに作れる。ピストルの中の弾丸を確認し、それらすべてを仕事用のバッグへ入れる。
 そろそろ紅茶も冷めたかとマグカップへミルクを足し、口に含もうとした瞬間、

――部屋に大きな音と声が響いた。






ガチャガチャッ!


「にいさーん!おはよう!兄さんに残念なお知らせだよー!!」
「――…っ……アレクシス…。」
「よかった!丁度モーニングティーの時間かなって思ったよ。まだ仕事に行かないでしょ?」

 ずかずかと部屋に入り、ダイニングテーブルの向かいに腰かけた、ブロンドヘアで碧眼、どことなくエリオットに似ているが、エリオットよりも幼い印象の男性。
 『アレクシス・ロアン』エリオットの弟だ。


「…お前、朝から元気だな…。」
「そりゃ、僕もこれから仕事だからね。あの狡猾な糞じじぃと今日は会わないといけないから、気合入れておかなきゃ。」
 にこにこと人の良さそうな笑顔で、口の悪い発言をする弟をエリオットは見つめる。

(…嫌なタイミングで来たな…。デイジーの存在に気づかれたら面倒くさそうだ…。)
 アレクシスはエリオットの私生活を熟知している。そのため、この部屋には女性が訪れないことを知っているのだ。デイジーが起きる前にアレクシスを帰さなくてはと、エリオットは平然を装いアレクシスへ要件を訪ねた。


「…で、残念なお知らせって…?」
「ハミルトン大公から舞踏会の招待状が届いてるよ。兄さんへも。」
「はぁ?なんで俺まで。」
「だって、ロアン家は2人兄弟だってみんな知ってるし、ロアン家の長子は誰だって誰しもが気になっているみたいだよ?僕もパーティーとかに行くと必ず兄さんのこと詮索されるもん。」

 フォルテミア公国。名前の通り王族は居らず、貴族が君主となって政治を動かしている『公国』だ。そのトップがハミルトン大公。今まで、何度か貴族からの招待状を受け取り、無視をし続けたエリオットだが、大公からの招待状は初めてだ。
「でも、ロアン商会を継ぐのはお前だろ。俺のことは別に放っておいてもよくないか?」
「最近さらに商会も大きくなってきているだろう?大公としても、今のうちから商会を継ぐ俺と、その兄である兄さんとも仲良くしておきたいってことじゃない?だって、今やフォルテミア一の大商会だし、そこらの中流貴族より財もあるしね。」

 そう。エリオットは、主に衣服、装飾類、美容製品などを手がけているフォルテミアの中で一番大きな商会、ロアン商会の長男なのだ。最近では酒は売らず、昼だけオープンしているケーキと紅茶がメインのバルを展開し、女性を中心に大繁盛。さらにフォルテミアでの地位をゆるぎないものにしていた。

「…行きたくない。ルミテス教会は小教会だけど貴族だって来てんだ。絶対にバレるだろ。」
「でもさ…、そろそろバレてもいいんじゃない?もう兄さんの実力は証明されてるんだから、権力で上に上がったとか言う奴も出ないと思うけど。…ってか、大公からの招待状だから拒否権ないよ。」
「…影武者を使うか。」
「何馬鹿なこと言ってんの?……え…。」
「…?…っ!」

 エリオットが舞踏会からどう逃げ切ろうかと考えていると、アレクシスが一点を見つめて固まった。エリオットは一瞬だけ疑問に思ったが、焦ってその視線の先を追う。


「…お、おはよう…、ございます…。」
「…あ、あぁ…。」
 せめてアレクシスに見つかる前に気づきたかったが、時すでに遅し。寝室から顔を少しだけのぞかせ様子をうかがっているのは、やはり、先ほどまで穏やかに寝ていた『デイジー・ローズ』だ。
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