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第零章 天女の始まり

44 人間と妖

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「な、なんだ…あの男…。…人間…?」


 竜巻が収まった原は落ち葉や枝で散乱していた。
 先ほどの悪天候とは打って変わって今は晴天が広がっている。おずおずといった感じで蝉が一匹、また一匹と鳴き始める。


(…?あれ?なんか、信繁様の声が聞こえたような気がする…。気のせい…?)


 徳が図らずも力は収まったが、頭がぼんやりとしているのには変わりなかった。
 信繁は徳の前に周り、両頬を挟んで目を覗き見るが、徳の焦点は合わない。触れられていることにも気づいてなさそうだ。
「…幻術か呪術の類か…?」
「徳様っ!」
「千代殿、分かるか?」
「やってみますっ!」

 千代は信繁と場所を変わり、印を結び徳の身体の中を探る。もともと甲賀忍者は医療や身体については詳しいのだ。

「…なるほど…。小癪なことを。」
 千代が静かにつぶやくと再び印を結び、親指と人差し指で円を作り、そこへ息を吹きかけた。


パチッ



「っ徳様ー!!!!」
「うわ!千代!?」
「ご無事で何よりですーーーっ!」

 徳が瞬いた瞬間、徳の瞳に光が戻った。
 それを見た千代は勢いよく徳へ抱きつく。急に抱き着かれた徳は何が何だか良く分からないが、『あ、なんかデジャヴ』と思いながら泣きじゃくっている千代の背を撫でる。

「…大事はないか?大谷の姫。」
「!?…の、信繁様…!?信繁様も、どうしてここに…。」
「徳様がっ、また、急にいなくなられたからぁ!」
 泣きながら叫ぶ千代を見て、心配して探しに来てくれたのかと納得する。
 あたりを見ると記憶にあった状態よりもだいぶ荒れ果てており、対面の木の下には吉明よしあきらが倒れていた。

「…また、助けていただいて、すいません…。」
「いや…、…俺は何もしていない。」
「へ…?」
(あれ…?…じゃあ、太郎坊さん…?…そういえば、太郎坊さんは…――。)


 あたりを見渡すと、徳の背後に太郎坊と二郎坊がなにやら光る球体の中に入っていた。二郎坊はいまだ目を覚まさないが、表情は落ち着いている。太郎坊はというと、眉間にしわを寄せ、難しい表情をしていた。

「…何してんだよ…。」
「え?」


 球体の光の膜を破き、内から出てきた太郎坊は先ほどのように苦しげではないが、表情は厳しい。

「なんで人間なんかと…。…お前も結局は林恵りんけいと同じかよ…。」
「…え?」


「――俺は…、妖が人間と関わって苦しんだり、死ぬの見過ごすことは出来ない…。お前は俺ら妖と一緒に居るべきだろ!」

 急に雲行きが怪しくなり、雷鳴が轟き始めた。鳴き始めたはずの蝉の声も一気に鎮まる。
 太郎坊が漆黒の羽根をバサっと広げ、宙へ浮かび上がると同時に雷が森に落ちた。

「た、太郎坊さん!?どうしたの…!?」
「どうしたも、こうしたもない。お前はなぜそいつらと一緒に居るっ!?」
「え?なぜって言われても…。」
「お前は妖だろう!?人間は俺らと考えが違う!そいつらはいずれ俺らを勝手に恐れ、殺しに来る!人間と共に過ごしたって、お前に未来はない!」
「えっ…。あ、あやかし…?なんのこ…――」
 徳がチラッと横目で千代を覗くと、千代がきょろきょろと瞳を彷徨わせた。

(………え?)

「……やはり、大谷の姫も知らされていなかったか…。」
「…………え?…私って…、」
「吉継殿に聞くんだな。俺らは詳しいことは分からん。」









(ぇええぇぇええええっ!!!??嘘でしょっ!!!???)


 徳は内心半狂乱になっていたが、表情には出さなかった。――いや、一周回って無表情になったというのが正しいが…――

(えっ!?どういうこと!?私は父上様の子じゃないの?それとも父上様も妖なの!?どういうことなの!?だから越前国は妖が多いの!?どういうこと…!?ってか、小説の中でも大谷徳って妖だったの!?……ってかそういう大事なことは早く言ってよぉおお!!)

 徳がフリーズしそうな頭を必死にフル回転させていると、何か勘違いしたのか信繁は徳の顔を覗き込んだ。
「…大丈夫か?大谷の姫。」
「え!?あ、はい、大丈夫です!」
「…あんたが人間だろうと、妖だろうと、俺は気にしない。」
「え?あ、っはい…。」

「………お前…、人間に惚れてるのか…?」
「え!?違っ!あの…っ!」
(違うの!不可抗力!信繁様無駄に顔が良いからっ!)
 徳は赤くなる頬を否定しようとするも、動揺しすぎて言葉にならない。

(というか、どういう意味っ!!??)








「っくそッ…、血は争えんな…。



 ――ならば、そいつを消すだけだ…っ!」







 徳の戸惑いなど知る由もなく、太郎坊は甘酸っぱい空気を消し去るように腰に差していた小刀で信繁へ切りかかった。

「信繁様!?」
「信繁殿っ!」
 信繁はそれを自身の刀で受け止めるが、重い攻撃を受け止めた信繁の足は土をえぐり後ろへと押されていく。


「っ太郎坊さん!止めて!なんでっ…!?」
「なんでだと!?あの陰陽師を見ただろ!結局人間は俺らを無差別に殺しに来るだろうが!それに、なんでお前は越前じゃなく一人こんなことろに居るんだ!?親に捨てられたか!?」
「っえ!?…ち、違うっ!」
「…っチッ!何が違うだっ!」

 なぜ太郎坊が徳の生まれを知っているのかなど疑問に思う間もなく、太郎坊が再度信繁へ刀を振るった。しかし、その刀が信繁に届く前に千代が飛苦無を飛ばし、信繁と太郎坊との間に距離を作る。
 飛苦無を避けた太郎坊だが、千代が印を結ぶと苦無は宙をカーブして太郎坊を追いかけた。

「チッ」
 追ってきたことに一瞬目を見開いた太郎坊だったが、舌打ちと共に苦無を刀で弾き落とす。

「…信繁殿、千代の後ろに居てくだされ。」
「いや、よい。俺がやる。」
「何を仰っているのですか!?千代は佐助兄さまに頼まれたのですから、お願いですから引っ込んでてくださいまし!」
「…。」
 千代の剣幕に一瞬たじろいだ信繁だったが、反論しようとすると人影が落ちた。

「そうですよー。主様。引っ込んでてください。ブフッ…」
「…お前の妹は意外と口が悪い。」
 口元を押さえて笑いをこらえ切れていない佐助を、信繁はもの言いたげな表情で見つめる。

「佐助兄さま!」
「ありがとう千代。よくやったね。」
「っ!…しかし、千代は信繁殿への一撃を許してしまいました…。」
「おいおい、反省会は後にした方が良いんじゃねぇの…?」
 才蔵のツッコミに皆の視線が太郎坊へと向かう。未だ曇天を背景に宙に浮きこちらを見下ろしている太郎坊。


「はっ!…たかが人間が増えたところで、俺の前では何の足しにもならんわ。」
「ねぇ、太郎坊さん!お願い、やめて!私の大切な人たちなんです!」
「…人間に情を移してもお前に何の得もないと言っていることが分からんか…っ!」
「分かんないっ!!」









「――…はは、仲間割れか?愉快なことよ…。」



 別の声が響き、徳らは声のした方向を見る。
 倒れていたはずの吉明よしあきらが木に上半身を預ける形で腰かけており、その横には藤四郎が横たわっていた。



「…あいつっ…!」
 太郎坊の意識が吉明よしあきらへ移った。
 太郎坊は大きな黒い翼をはばたかせると吉明よしあきらへ切りかかる。

「っ止めて!!」

 徳は二人のもとへ駆けだした。駆け出したつもりだったが、身体が浮いたように感じ、気づけば吉明よしあきらを背で庇い、太郎坊の小刀を拾い上げた苦無で受け止めていた。

「っな!?」
「大谷の姫!?」
「!?…なんの真似ぞ、女…。」




 一瞬にして目の前に移動した徳に驚き、たじろいだ太郎坊だったが、刀に再び力が加わる。先ほどの怒りとは比ではないほど怒っているのがありありと分かる。

「おいっ!!お前っ…自分が何をしてんのかわかってんのかっ!?」
「分かってる!ただ、止めたいだけ!」
「馬鹿か!こいつはお前も殺そうとしたんだぞ!?」
「分かってるんだってば!だけど、あんたも、こいつ殺してどうすんのさ!」
「どうもしない!ただ気楽に生きていくだけだ!」
「それは気楽って言わない!」
「お前に何が分かるっ!俺の周りでどれだけの妖が人間に殺されたと思ってるっ!?高々十数年しか生きてないお前には人間の身勝手さや醜さなど分からないんだろう!?」
 太郎坊の瞳が怒りと悲しみで揺れる。苦無を握る手に力が入った。

「それは、ごめんっ!でも、ずっと人から狙われて生きていくって言うの!?」
「ごめんなんて簡単な言葉が欲しいんじゃない!死んでった奴らを蘇らせろよ!それが出来ないなら人間を皆殺しにしろ!そうすれば気楽に生きていけるから!」


『徳様の周りの妖は人間に対して好意的ですが、人間を死ぬほど嫌う妖もおります故、無暗矢鱈に気を許すのは止めてくださいね。』
 千代が以前徳に話した内容を今になってようやく身に染みる。



「それは…、出来ない…。出来ないけど、…こいつが生きてても太郎坊が気楽に生きていける世界作るから、人間を殺さないでよ!お願いだから、人間を憎まないでっ!」
「……はぁ!?」
 その時太郎坊の瞳が揺らいだのを徳は見逃さなかった。刀を押し切り、太郎坊を弾き返す。太郎坊は宙を回り、空中で体勢を整え徳を見つめた。

「………簡単に言うなって、…状況も分からないくせにって…、太郎坊からしたら思うだろうけど…。私は人間で、妖を家族だと思ってる…。」
「あのな、お前は妖なんだよ。お前に流れてるのも妖力だ。」
「…でも、心は人間なんだよ…。」
 徳としても急に自身は妖だと言われても理解も納得も出来ない。 

「…人間と妖、両方がが仲良くして欲しい…。」
「馬鹿か。そんなこと出来たらこうはなってないんだよ。」
「父上様のやっていることを私も引き継ぐ…。」
「……やってること…?」
「妖と人間が共存する世界。」
「…はっ…。あいつ、本気で言ってたのかよ…。」
「…?…私は本気だよ。」
「…共存?夢見るのも大概にしろよ。あんたらが望んだところで、どうなる?あんたの親父がどこまで出来た?こうしている今にも死んでいっている妖が居るかもしれないってのにっ。」
「…そうかもしれない。でも、やらなきゃ始まんない。」
















「――…くそっ……、お前は本当に母親に似たな…。頑固なところがそっくりだ…。もう、知らねぇよ。勝手にしろ。」





 太郎坊が地へ足を下ろした。漆黒の羽根を折り畳み、両手を挙げ降参のポーズをとってそっぽを向きながら呟いた。
 タイミングを見計らっていた信繁と千代は瞬時に徳へ駆け寄り、信繁は太郎坊の前に阻み、徳を背に隠す。
しかし、徳はその背からひょこっと顔を出した。



「え?母上様…?」
「…頑固な馬鹿だから、お前を産むのと引き換えに死んだんだ。」
「え…?…3歳ぐらいまでは一緒に過ごしてたって聞いたけど…。」
「は?そんなわけないだろ。」
「ってか、私の母上様のこと知ってるの…?」
「…。」



 雲の合間から空が覗きだした。日もそろそろ傾きだしている。太郎坊はぶつぶつと文句を垂れているが、先ほどのような怒気は漂ってこない。

 信繁は太郎坊を警戒しながらも徳へそっと声をかける。
「…あんた、力が覚醒したんだな…。」
「あ、なんだかそうみたいで…。」
「徳様!千代の心の蔵を止めないでくださいまし!肝が冷えましたっ!」
「ご、ごめん…。」

 太郎坊は徳を気遣う二人の様子を眺める。
 人間が妖を心配して寄り添うという不思議な関係性だが、太郎坊はこの姿を前にも一度、越前国えちぜんのくにで目にしたことがあった。
「…馬鹿が…。」




「あ、」
「どうかしました?」

 急に徳は声を発し、吉明よしあきらの前へと移動する。

「徳様!?」
「大谷の姫!」

 二人が止めるのをよそに徳は吉明よしあきらの正面で腰を折ったかと思うと、吉明よしあきらの襟を掴み上げ睨め付けた。前のめりになった吉明よしあきらは立ち上がる力もないようだ。

「…あんた、ちょっと物騒じゃない?すぐに殺すだの、死ねだの。太郎坊と二郎ちゃんが何をしたって言うのさ、何を。」
「物騒なのはそなたもだろう。こんなことする女見たことないぞ。」
「うるさい。話をそらさないで。」
「…これが私の仕事でね。人々が妖を恐れ、退治してほしいと望めば、私は祖奴そやつらを駆除する権限がある。」
「誰の権限よ。」
「帝に決まっておろう。今や帝は力が衰え、秀吉公に頭が上がらんが、それ以前は陰陽道は帝の加護のもと花開いていたのだ。帝の力が衰えてしまったとしても、我々が帝に頼られ権限を与えられていたのは変わりあるまい…。」
「は?帝が妖を駆除しろって言ったわけ?」
「と、徳様…。」
「…。」

 口が大層悪くなってしまっている徳に千代がおろおろし、信繁が視線を逸らす。徳は構わず吉明よしあきらの襟を揺さぶりながら問い質した。傍から見ればチンピラのようにしか見えない。

「人々の役に立てと申しておったのだ。人々を守るのも私の務め。」
「馬鹿じゃないの?妖殺して、その妖が仕返ししてきたら元も子もないじゃない。それより、なんで人間が困っているのかしっかり聞いて、妖に話つけに行くことだってできるでしょ?なんでそんな物騒なやり方しか出来ないのよ?」
「……お前に何が分かる。今まで妖が原因で親が死に、川で村を流され、土砂で生き埋めにされた人々がどれだけいるか!?」
 徳は一瞬たじろぎ、藤四郎を横目で見やった。


「――馬鹿言え、下劣な人間めが。そんなん、理由なくする奴はいねぇよ。どうせ人間どもが余計なことしたんだろ。」
「…。」

 急に話に入ってきた太郎坊に吉明よしあきらは何も答えなかった。

「理由なぞ知らん。私らは人々が恐れなく生きていくために存在しているのだ。妖に耳は貸さん。…私ら陰陽師が一番初めに学ぶこと、それは妖に情を移すなということだ。
 ……女、そなたは妖と人間とが共存して生きていく世界を作るとしているようだが、無謀だと思うぞ…。人間がどれほど妖を恐れ、嫌っているのか分からぬだろう。恐怖こそが人間の行動原理。自衛と殺戮は同義なのだ。」
「イコールな訳ないじゃんそんなもん!自衛は自衛!殺戮は殺戮!全く別!ただ相手を傷つけるために大義名分を押しのけてるだけ!」
「だが、今がその世だというのだ。…人間は自身と容姿・性質・能力が異なるものを恐れる。」
「…っ!それでも、私は頑張りたいし、人間皆んながそうとも限らないじゃない!」
越前国えちぜんのくにで出来てるんだから、時間がかかっても、きっとできる…!これ以上、いがみ合って意味のない殺し合いをさせたくないっ…!)



「うぅっ…」

 襟を掴まれている吉明よしあきらの横で、もぞもぞと藤四郎が動き出した。
「まぁ、そなたの話は少し興味深かった。賛同はしないがな…。」
「…!?っよ、吉明よしあきらさんっ…!?」
 目を覚ました藤四郎が吉明よしあきらの状況を見て顔を青ざめた。
 ――そう。脱力している吉明よしあきらの襟を掴みあげ、脅している妖の図だ。

「…また会うときにそなたの考えがどう変わっているのかが興味深い。その時がそなたを殺す時じゃないことを祈るが…。――ではな、それまで死ぬなよ。」
「っ!!」
「徳様!」

 そう言って吉明よしあきらは仕返しのように徳の襟を引っ張った。
 信繁と千代が動いたが遅かった。
 徳と吉明よしあきらの顔が近づき…―――2人の唇が触れあう。



「っんん!!!??」



 それはキスと言うには荒々しく、獣に噛みつかれているような―――何か体内のものを吸われる感覚

「ひぃ!!よ、吉明よしあきらさん!!??」
 顔が真っ青だった藤四郎はついに蒼白となり、泡を吐きそうな勢いだ。

「…やはり不思議な味だ。妖力だが、少し違う。…馳走になった。じゃあな――。」

 そう言って吉明よしあきらは藤四郎へ手を伸ばし引き寄せたと思うと、一瞬にして光と共に消えた。
 残された静寂が残る森の中。徳はその場で膝から崩れた。

「と、徳様!お気を確かに…!ぉぉおのれ!あの腐れ陰陽師め…!!絶対許さん…!!」
「わ、わたしのファーストキス…。」

 現実的な思考の徳だが、意外にも色恋には純粋で夢見がちだった。ファーストキスがあのような形で終わってしまい、背後で千代や佐助、信繁が騒いでいる声も耳に入らずに項垂れるのであった。
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