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第二章 悪役令嬢物語の始まり
9 不穏
しおりを挟む鳥のさえずりと共に徳は目が覚めた。気づけば寝てしまっていたようだ。起きた時は障子窓の前の文机に腕を枕にして突っ伏した状態だった。
誰かが障子窓を閉じ、徳の肩に夜着をかけてくれたようだ。部屋の中は暖かいし、寝冷えもしていない。
「あ…、おはようございます。志野さん。」
廊下へ出ると、志野が敷地内の掃除をしているところだった。
「おはようございます。徳姫様。昨夜はあまり眠れなかったようでしたが、大丈夫ですか?」
「え?」
「わたくし共は気づいてしまいますよ。夜分に伺うのもご無礼かと思い、昨夜は声をかけませんでしたが…。」
「そんな、ごめんなさい、心配かけちゃって…。ちょっと、考え事してて…。そうだ、どなたか夜着を掛けてくれたみたいで、ありがとうございます。」
「いいのですよ、それぐらい。今日は寝不足でしょうし、無理はなさらないでくださいね。」
志野と話をしていると、どこからともなく三毛猫が徳の足もとにすり寄ってきた。
にゃー
「あれ?猫…?」
トン
トン
徳が猫の存在に気づくと同時に、廊下の端から達磨坊主が例の如く、両足でジャンプをしながら徳のもとへやってきた。腹には文字が浮かんでいる。
『心配』
「ふふ。厘も達磨坊主も心配しているみたいですね。」
「え…、ごめんね、ありがとう…。えーっと、厘さんは…。」
「ああ、その猫ですよ。日中はほとんど猫の姿なのです。」
にゃー
志野に紹介された三毛猫が徳をジーっと見つめている。確かにボーッとしている感じが厘っぽい。っぽいというか本人なのだが――。蛇に猫に達磨。この屋敷の妖も結構個性豊かだ。
「あら、お早い。」
徳らが庭に集まっていると、志野が表門の方を眺め呟いた。
「…?」
「信繁様達がお見えの様です。出迎えて参りますね。」
信繁という名を聞いただけで徳は一瞬ドキッとしてしまう。小走りで去っていく志野を眺めていると、徳の手を達磨坊主が握り、三毛猫姿の厘が足の周りをすりすりと回る。
『大丈夫?』
「大丈夫。ありがとう。」
表情には何も出ていないはずだが、妖達には何か気づくものがあるのだろう。心配そうな顔の達磨坊主の頭を撫で、厘を抱きかかえる。徳は自分に活を入れ志野へ続いて表門へ移動した。
「おはようございます、信繁様、佐助さん。」
「おはよう姫さん。」
「おはよう、大谷の姫。昨夜は大事なかったか?」
「はい。ぐっすり眠れました。」
「…。」
「…?」
信繁に見つめられ思わず視線を下げた徳だが、信繁の手が徳の瞳の下に触れ、驚いて顔をあげる。
「わ!なんですか!?」
「…嘘だな。隈が出来ているぞ。何かあったか?」
「…っ。」
こういうことには鋭い信繁に徳はどう反応すればよいか困る。それに、ナチュラルに触れてくるのにもどうしたもんか。本人は無意識だろうが、こっちは嫌でも意識してしまうのだ。
「あのー…。」
その時、門の方から可愛らしい声がかかった。
「あ、おはよう鈴。」
佐助が一番に反応した。徳は焦って信繁から距離を取り、左右を見回す。志野も達磨坊主も気づけばいなくなっていた。いや、達磨坊主は居るにはいるが、半透明になっている。厘は未だ徳の腕の中だ。
『大丈夫』
『人間見えない』
達磨坊主の文字を見て一安心した徳は、なぜだか入ってこない鈴に声をかける。鈴はきょろきょろと周りを見渡して敷地内に入る。
「おはようございます。徳姫様。」
「おはよう、鈴ちゃん。」
朝から花開いたようにまぶしい笑顔を見せる鈴に、徳も自然と笑顔になる。やはり、鈴は無邪気でかわいらしい。毒心なんて無縁の子だ。この子が徳や家族に害をなすとは考えられにくいが、相手は小説のヒロインで、自身は悪役令嬢的ポジションだ。何が起きるか分からないのが正直なところだ。
「徳姫様、昨夜は大丈夫でしたか?」
「ふふ。信繁様と同じようなこと言うんだね。大丈夫だよ。ありがとう。」
「えっ、いや、そんな…。」
照れた表情を見せる鈴に、徳は微笑む。
「あの、朝餉を持ってまいりました。お口に合うかは分かりませんが、召し上がっていただければと…。」
「ありがとう、鈴ちゃん。嬉しい。…気を使わせちゃってごめんね。」
「いえ!私ができることと言えば限られてますので…。」
鈴は顔を朱に染めてあたふたする。その様子もかわいらしい。
「えーっと、あのー…、その、…信繁様達は、昨日この屋敷に泊まったのですか…?」
心配そうに尋ねてくる鈴に徳は焦った。
「ま!まさか!信繁様達も今来たばかりだよ!」
「あ、…そうなんですね。…でも、それでは徳姫様やはり、昨日はお一人でこの屋敷に…?」
鈴が一瞬ほっとした表情を見せたが、その後再び心配そうな目で徳を見つめた。
「いや、実はこのお屋敷を管理している方が、鈴ちゃん達が帰った後いらっしゃったの。昨晩はその方々と過ごしたから、大丈夫だよ。」
「そうなんですね!良かった…、徳姫様がお一人にならなくて…。では、しばらくはその方々にお世話になるのですか?」
「うん、そのつもり。…鈴ちゃんはこの後お城?」
あまり志野たちのことを深堀されてはいけないと思い、徳は違う話題を出す。
「はい。暮れまでには帰れると思うのですが、あの…、帰りも寄ってよろしいですか?」
鈴が上目遣いで徳へ尋ねる。自然にこれができるのだからすごい。あざとさなど皆無なのだ。本当に、素でやってて様になっている。
「別に、私は大歓迎だけど…、それだと鈴ちゃんが帰り遅くなっちゃうよ?」
「いえ!私のことは気にしないでください!」
「いや、鈴も自分のことを心配しろ。お前も女子なんだから。」
話を静かに聞いていた信繁が、鈴の発言を聞いて口を出してきた。
「大丈夫ですよ。徳姫様ほど美しい容姿ではないので。」
「そういうことを言っているんじゃないんだ…。」
信繁に心配され、頬を赤らめながら鈴が反論する。言い合う二人を、徳は笑顔で眺めた。
(大丈夫。大丈夫。)
「そろそろ行かなきゃですよ。主様ー。」
「…あぁ。そんな時間か。」
「あ、私もそろそろ…。」
「はい。皆さま心配していただいてありがとうございます。わざわざすいませんでした…。――では、皆さま、お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
目的地が同じ3人を、徳は門を出て見送った。表情を緩めて鈴と話をする信繁。やはりお似合いだ。
徳は気合を入れなおす。
(くよくよするな!家族が出来ただけで充分!妖を受け入れてくれている信繁様が婚約者になってくれるだけで万々歳!…私は、…自分のやるべきことをする…!)
「よしっ!!」
徳が屋敷の中に戻ろうとしたとき、なにやらひそひそと話す声と視線を感じ徳は振り返る。
「ほら、あの方よ。」
「まぁ、綺麗な容姿で、性根は汚いのねー。」
「町娘相手に道中で土下座させるなんて…。」
「自分が姫だからって、人を見下しているのかしら…。」
徳が振り向くとそそくさと人影が消えていく。
「…え…?」
清々しい春の朝に、不穏な空気が漂った。
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