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十二話
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しおりを挟むでも卓は、立ち止まってなんかいない。どこにも進まないでいようとしているのは、僕だけだ。
「凪は、おれに進級してほしかったんじゃないの」
「……そうだよ」
「じゃあなんでそんな不満そうな顔してるの」
「僕、そんな顔してる?」
「してるよ」
「……」
「ずーっと。凪はずっと、何かが不満そうな顔してるよ」
「そんなこと」
ない、と言おうとしたつもりが、上手く声にならなかった。
何もかもが気に入らないのは、自分でも嫌なくらいに自覚がある。もしも卓が宣言通りに留年をして三年に上がっていなかったとしたらと考えると、「どうして進級しなかったのか」と詰め寄る自分が想像できた。
「親は勝手かもしれないけどさ、おれたちも変わらないでしょ。おれも勝手で、凪も勝手だ」
喉の中にずっと何かがつかえているような感じがする。
「……僕は父親とは違う。父親みたいなこと、絶対しない」
まだ眠気が残っているのか、卓はゆっくりと瞬きをしながら少し間延びした声を出した。
「どんなこと?」
「無責任に子供作ってそれを捨てて逃げるようなこと」
僕を見たまま卓は、へへへ、と笑う。
「凪がなんで望月彰都とセックスできないのか、おれ、わかった」
「……なにそれ」
「……」
「卓? ……おーい」
卓は目を閉じてしまっていて、返事の代わりに静かな寝息が聞こえてくる。短い溜め息を吐いて、僕は布団に顔を突っ伏した。呼吸を繰り返すたびに、卓の匂いが鼻を伝う。遠くの方で雷鳴が唸っている気配がした。しばらくして、雨の降る音が聞こえてくる。
僕も寝てしまおうと思ったけれど、一向に眠れそうにない。さっき少し寝てしまったせいか、それとも妙な夢を見たせいだろうか。薄目を開けてちらりと横を見る。卓は変わらず規則正しい寝息を立てていた。
重力のぶんだけ布団に押し付けられた心臓が何かを主張するみたいにどくどくと脈を打っている。
「……卓」
卓は目を覚まさない。
火照る脳裏には、あの日の卓が浮かんでくる。雨の日の美術室で頬を紅潮させながら僕を見上げる卓の顔だ。
「……」
いつから僕は、……。
そこまで考えて僕は思考を止め、再び顔を伏せて固く目を閉じた。
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