白に憧れても

夏木ほたる

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十八話

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 時間は誰にでも平等なものか否か、という話題を、入学してすぐの頃に担任が持ち出したことがあった。
 慣れない環境に集められたクラスメイトばかりの教室はそんな話題にたいして盛り上がることもなく、結局は担任が言いたいことを言うだけになったような気がする。「時間は誰にでも平等だが、この高校での三年間を有意義なものに出来るかどうかは与えられた時間をどう使うかに懸かっている」と、確かそんなことを喋っていた。

 聞いていたときの自分がどう思ったのかは憶えていないけれど、たぶん僕の考えはあの教師と似たようなものだと思う。時間は誰にでも平等だ。誰の身に何が起こったとしても、進んでいく時間自体が変わることはない。
 むしろ、自分と自分以外の他人とが不平等だと思うことがどれだけあっても、時間だけが絶対的な平等さを持っているとさえ思う。

 いつだって不平等なのは、時間以外の全てのものだ。

 十一月二週目の週末に、第二希望としている私立大学の入試が予定通り行われた。
 美術室で篠崎先生と日比野さんと話した十月終わりの雨の日から、僕は意識のほとんどをあの日に置いてきてしまったような感覚だった。机に向かっていても、少し気を抜けば雨の匂いが鼻を掠めて、視線をぶつけた瞳が思い浮かんでくる。そして、登下校の電車内で参考書を開く高校生を見掛けるたびに、「受験以外のことに気を取られない奴らは羨ましいよな」とみっともない妬みが心を覆った。

 そんな僕にも受験の日程は周りと同じように迫り、当日を迎えた。その日は朝から雲一つない秋晴れで、試験もとくに問題なく順調に終わっていった。前日まで思考を邪魔していた様々なものたちがすっと息を止めて身を潜めたような、まるでそんな感じがするほどに、僕はある意味では上の空だったのかもしれない。

 ようやく現実に戻って来た気分になったのは、すべての試験が終わって会場の外に出たときだった。

 午後の太陽はまだ低くない位置にあって、朝と変わらない青空に目を細める。電源を切ってあったスマホを取り出して起動するのを待つあいだ、そばを通り過ぎていく雑踏の音をぼんやりと聞いていた。さっきまで解いていた問題について話す声、このあと何処かに寄って帰ろうかと話す声、やっと終わった、という声。

 大学受験なんてずっと先だと考えていた頃から、過ぎてしまえばあっという間だった。昔は高校を卒業して大学生になる頃には、もっと、大人になっているもんだと思っていた。けれど実際、僕はなにか変わっただろうか。母親や父親の話を聞いて、何もかも投げやりになったあの頃から、僕は少しでも大人になっただろうか。

 電源が入ったスマホには、彰都からのメッセージが届いていた。試験が始まる時間の少し前、『凪なら大丈夫だ』と。
 返信ボタンを押し、終わったよ、と打ち込んだ。しかし、そのまま送信ボタンを押そうとした僕は、その指を止める。

「……」

 スマホと一緒にポケットへ手を突っ込んで、僕は人混みに紛れて駅に向かった。正面から吹いてくる風が冷たくて、また少し目を細める。合格発表が行われる半月後には、本格的に冬が始まるだろうと思った。
 
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