Lost Resort:Phantom Pregnancy

天城小枝

文字の大きさ
9 / 27
第2章「未だ来たらず明日を希う」

第2章第4節「未だ来らず明日を希う」

しおりを挟む
 ジルが所長室へ向かうと、中には書類に目を通している茶髪の女性の姿が見えた。彼女の姿は写真などで何度か見たことがあるが、実際に対面するのは初めてだ。見たところスラッとした背格好で、黒いブラウスの上に緋色の上衣を羽織っている。
 町を統括している総督府のリーダーということもあって、多少の緊張を抱えつつジルは所長室をノックする。
「入れ」
 許可を得てから、彼は無言で扉を開けて中に入る。
 立場上、二人の間には明確な上下関係があるのだが、今となってはあってないようなもの。もともと真面目と言えるほどでもないが、彼は特に礼儀を弁えるつもりはなかった。町の事態を収束させられなかったのは、お互いに同じなのだから。
「楽にしてくれて構わない。今さら義理を欠いたとして咎めるつもりはない」
 ドロシーは読んでいた報告書をデスクに置き、緩めた黒いネクタイに触れながら所長室を見渡す。
「アトランティスが混乱に陥ってから、君たち保安官はよくやってくれた。たとえ事態の収束は叶わなかったとしても、君たちの功績を否定する理由にはならない」
 所長室にはこれまでの保安官たちの功績の証である賞状やバッジなどが飾られている。ドロシーが見ている中央のデスクは所長が使っていたもので、未だ書きかけの報告書が並べられていた。
 町で発生する失踪事件は何の前触れもなく、一つとして解決していない。それは所長自身の失踪についても同じだった。
「社交辞令はいいです。何か知ってるなら教えてください。この町で何が起こってるんですか?」
 町で起きた現象を、総督府はパラダイムシフトと公表した。裏を返せば、総督府は事態を把握していたにも関わらず、それ以上のことをしようとはしなかった。保安官事務所の所長すらも失踪する現状になって、ようやくドロシーはジルの前に姿を現したのだ。切羽詰まった様子になるのも理解できる、そんな調子でドロシーは淡々と言葉を返す。
「伝えられるなら、私も伝えたいと思っている。だが、根拠がなければ物事は事実として成り立たず、憶測と可能性の話になる」
 ドロシーがどこまで把握しているのか、正直なところジルにも分からない。だが、彼女の言いぶりから察するに、ある程度の目星はついているように聞こえた。
「彼らは憶測や可能性ではなく、真実を求めている。であるならば、分かっている事実のことだけを考えればいい」
 彼女の言う通り、ジルを含め住民たちは答えを求めている。この町から出るにはどうしたらいいのか。パラダイムシフトとはいったい何が原因で起きているのか。理不尽な現象を前にして、瞳は光と焦点を見失ってしまった。
 しかしだからこそ、ドロシーは先にあるものではなく手元にあるものを見るべきだと語る。
「この時をもって、保安官としての役目を解く」
「え?」
 見据えていた答えから遠ざける。暗に、答えを探すことをやめろと、ドロシーは言っている。どうせ、答えは見つけられないのだからと。
「君にも家族がいるだろう。本当に大切に思うなら、今寄り添うべきは町ではなく家族の方だ」
 そう。ドロシーはあくまでも事実を語っていることに変わりはなかった。紛れもない事実は、この時のジルを押し黙らせるには十分すぎるものだ。
「闇から事実を掬い上げようとする前に、闇に葬られようとする事実を守るべきなのは言うまでもない」
 言葉にジルが俯くと、頭の中に声が響いてきた。
『いいか、あんたは「魔剣ライフダスト」のことだけを考えればいい』
 ふと、彼は万華鏡を覗いていたことを思い出す。つまり、今見ているのは過去に起きた可能性だ。だがそれを見るだけでは何の意味もない。
 過去にあり得たかもしれない別の可能性を探る必要がある。
「話は終わりだ。ご苦労様。次はエンツォ・マンティーニを呼んできてくれ」
 ドロシーは会話を一方的に終わらせると、同僚の名前を出す。
「まさか全員を解雇する気か?」
 多くを語らなかったドロシーだが、彼女の言葉の裏に潜む意図が分からないほど彼は初心ではない。
「君たちの為だ」
 冷たく言い切ってみせるドロシー。どうやら、今日のうちに残っている保安官全員を解雇するつもりなのだろう。
「…………」
 この時、彼は何か言い返すことはできなかった。ここまでは、全く一緒。
 所長のデスクに腰を置くドロシーをジッと見つめる。そう、ジルが踵を返して所長室から出て行くことはなかった。
「何を見ている?」
 ドロシーは不快感を声に滲ませる。
 ここからはジルが見ることのなかった可能性。万華鏡を傾けて初めて見ることのできる、あり得たかもしれない過去。
「一つ聞きたいことがある」
 意を決して、ジルは過去とは異なることを選択した。
「俺が見つけた剣のことだ」
 当然、ドロシーは眉をひそめる。彼女の反応もまた、異なる可能性が導き出した違和感とも呼べる。
「あれが『魔剣ライフダスト』だってことは分かってる。あれをどうするつもりだ?」
 当時のジルは、魔剣ライフダストについては半信半疑。その上、ドロシーから家族のことを諭されたために退いてしまった。だが今、彼は超能力者であるセツナや、錬金術師の末裔であるマリーと出会ったことで確証を得た状態にある。
 ドロシーは少し面食らったように息を吸い、鼻から息を吐く。そして彼女はジルを試すように上目遣い気味に話す。
「パラダイムシフトがもたらしたものが何であるか、お前は理解しているのか?」
 言われてみれば、アトランティスが置かれている状況については筋の通る理解をしたが原因までは考えていなかった。仮にアトランティスが魔界に沈んだことが事実であったとして、なぜそうなったのだろうか。
 ジルは過去と異なる展開に早速言葉を詰まらせると、幸いにもドロシーは話を続けた。
「君ら保安官が対応してくれた失踪事件を始めとする超常現象には原因がある。それは、魔力だ」
 魔力。普段から神や悪魔について語られることのある町なこともあって、大真面目にそんな言葉を聞く機会は珍しくもない。だが町の人々はさておき、保安官という立場にあるジルが全ての事件の原因は悪魔の仕業だと言うわけにはいかない。そういう意味で、彼を含む多くの保安官たちは信仰を気休め程度にしか留めていなかった。でなければ、保安官という職は務まらない。
 そんな職務上での事件に、とうとう魔力という単語が当然のように現れたのだ。
「パラダイムシフトによって魔力に侵されたこの町に黒い太陽が現れたのも、人が跡形もなく消えるのも、全ては魔力のせい。君が見つけてくれた魔剣ライフダストがあったのも、そのせいだ」
 とはいえ、魔界に沈んだとされる町に魔力があるという話は、特段飛躍したものでもなかった。むしろ、魔界に沈んでいるという前提があるからこそ、素直に飲み込める気さえしてくる。
「魔力に侵されたこの町から出る方法は一つだけある」
 そして、ドロシーはついに答えを口にする。ジルが追い求めていた、真の答え。それは、
すればいい」
 一瞬、頭が真っ白になった。
「……なんだって?」
 魔剣ライフダストについて調べるために神話を読み解いてきたジル。当時よりもその知識はより深いものになったが、だからこそ理解の及ばない領域の話だった。
 転生。つまり、町から出るためには死んでもう一度生まれ変われと言っているのだ。
 魔力や魔剣といったものこそ言ってしまえば非現実的だが、まだ想像することくらいならできる。だからこそ、神話というものが根付いている。それが実在すると言っても、目に見えない雲の上の話ならと無理矢理に納得できなくもない。しかし転生ともなれば、自分の生死に直結する概念だ。
 天国と地獄。セツナとマリーがあくまでも比喩的に使っていた言葉を答えとして突きつけられ、ジルは理解が追いついていなかった。
 そんな彼の様子を見て、ドロシーはふんと俯くと微かに微笑んだ。
「冗談だ」
「…………?」
 ドロシーは、今の言葉が全て冗談だったと白状する。
 さも真実のように語ってきたことは嘘だったと認め、彼女は肩の力を抜く。
「まぁ、来世にでも期待したい状況なんだ。分かってくれ」
 何が真実で、何が虚構なのか。
 何を信じて、何を疑えばいいのか。
 彼には分からなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

真実の愛は水晶の中に

立木
恋愛
学園の卒業を祝うパーティーの最中、レイシア・マレーニ侯爵令嬢は第三王子とピンク髪の女、その取り巻きたちによって断罪されようとしていた。 しかし断罪劇は思わぬ方向へ進んでいく。 ※「なろう」にも重複投稿しています。

婚約破棄されましたが、私はもう必要ありませんので

ふわふわ
恋愛
「婚約破棄? ……そうですか。では、私の役目は終わりですね」 王太子ロイド・ヴァルシュタインの婚約者として、 国と王宮を“滞りなく回す存在”であり続けてきた令嬢 マルグリット・フォン・ルーヴェン。 感情を表に出さず、 功績を誇らず、 ただ淡々と、最善だけを積み重ねてきた彼女に突きつけられたのは―― 偽りの奇跡を振りかざす“聖女”による、突然の婚約破棄だった。 だが、マルグリットは嘆かない。 怒りもしない。 復讐すら、望まない。 彼女が選んだのは、 すべてを「仕組み」と「基準」に引き渡し、静かに前線から降りること。 彼女がいなくなっても、領地は回る。 判断は滞らず、人々は困らない。 それこそが、彼女が築いた“完成形”だった。 一方で、 彼女を切り捨てた王太子と偽聖女は、 「彼女がいない世界」で初めて、自分たちの無力さと向き合うことになる。 ――必要とされない価値。 ――前に出ない強さ。 ――名前を呼ばれない完成。 これは、 騒がず、縋らず、静かに去った令嬢が、 最後にすべてを置き去りにして手に入れる“自由”の物語。 ざまぁは静かに、 恋は後半に、 そして物語は、凛と終わる。 アルファポリス女子読者向け 「大人の婚約破棄ざまぁ恋愛」、ここに完結。

令嬢失格な私なので

あんど もあ
ファンタジー
貴族の令息令嬢が学ぶ王都学園。 そこのカースト最下位と思われている寮生の中でも、最も令嬢らしからぬディアナ。 しかしその正体は……。

処理中です...