追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

柳葉うら

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第二章

38.お祝いのベルベットケーキ

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 陽が沈み、夜の帳が降りた頃。
 エイレーネ王国の王都の平民区画では家や店に温かな色の明かりが灯り始める。

 そしてフレイヤたちの祝賀会の会場である<気ままな妖精猫ケット・シー亭>も明かりがついており、中ではパルミロとフラウラがご馳走を作って祝賀会の準備をしている。
 
 フラウラが魔法でお玉を動かして鍋をかき混ぜたりオーブンで焼いている肉の様子を見ている間、パルミロは鼻歌交じりにケーキを作っている。
  
 パルミロは真っ赤なバラを彷彿とさせる色合いの生地の上に濃厚なチーズクリームを塗り、その上にまた赤色の生地を重ねて層を形成していく。
 三段ほど生地を重ねると天面と側面にもチーズクリームを塗り、雪景色を彷彿とさせるような真っ白なケーキにしてしまった。
 
 パルミロはその純白のケーキの上にイチゴやミントをトッピングして彩ると、最後に『優勝おめでとう』と書かれたチョコレートのプレートをケーキの上に乗せた。
 
 これは今宵、シルヴェリオがフレイヤへのサプライズとしてパルミロに依頼したベルベットケーキだ。
 
 競技会コンテストが開催される一週間前、シルヴェリオから店を貸し切りにしてほしいと依頼を受けていたのだ。
 もしもフレイヤが作った香水で優勝できたら祝賀会、そしてもしも優勝を逃してしまった場合は慰労会にする予定だった。

 そのためパルミロとフラウラは、今日は朝からシルヴェリオからの知らせを待ってソワソワしていた。
 そして昼間になり、シルヴェリオが魔法を使ってフレイヤの優勝を知らせてきた時は、二人は抱き合って喜んだのだ。
 
「フレイちゃんが王族主催の競技会コンテストで優勝かぁ。この店に来ては泣きそうな顔で飯を食べていた姿を見てきたから、とても感慨深いよ」
『あら、パルミロ。主役が来ていないのだからうれし涙は早いわ。フレイヤの前で思いっきり泣くといいわ』
「それはフレイちゃんが困るだろ」
 
 パルミロは笑いながらそう言うと、ケーキを氷棚の中に入れる。
 氷棚とは冷蔵庫のようなもので、食べ物の鮮度を落とさずに保管するための魔法具だ。
 
「フレイちゃんは鼻がいいからケーキの存在に気づいてしまうだろなぁ」
『それでもいいのよ。だって、匂いだけではシルヴェリオがフレイヤのために用意したことはわからないもの。十分サプライズになるはずよ!』

 フラウラの言葉に、パルミロはシルヴェリオが店の貸し切りを頼んできた時のことを思い出す。
 
 その日、いつのものように仕事終わりに店に寄ったシルヴェリオが、店の中にはいるなり「話がある」とパルミロに切り出したのだ。
 
 王族主催の競技会コンテストという大きな仕事を乗り越えようと奔走するフレイヤや、工房の創業前からなにかと尽くしてくれているレンゾの二人に礼をしたいため、ささやかな宴を開きたいと言う。
 
 パルミロはその頼みを二つ返事で引き受けた。
 新しい仲間との関係を築いていこうとするシルヴェリオの力になりたいのだ。
 
「ケーキを頼んできた時のシルヴェリオは見物だったな。いつもは飄々としているくせに、『ベルベットケーキというものを知っているか?』なんて不安そうな顔で聞いてくるものだから、明日には空から槍が降ってくるかと思ったよ」
 
 シルヴェリオはフレイヤのために日々、お菓子の情報を集めている。すると稀に、異国の菓子だから身近に作れる者がいなかったり、材料をすぐに取り寄せられないといった問題が起こるらしい。

「フレイちゃんのおかげでシルはいい具合に角が取れたし、前よりも積極的に人にと関わるようになって嬉しいよ」

 パルミロがまだ魔導士団に所属していた頃、シルヴェリオは他の団員たちとの関わり合いを必要最低限に済ませようとしている節があった。
 ぶっきらぼうな態度で隠しているが、彼らに対してどこか遠慮しているように見えた。
 
 そんなシルヴェリオのことが心配でならなかったパルミロは、たとえシルヴェリオに迷惑そうな顔をされても彼に積極的に話しかけていた。
 一年ほど粘り強く話しかけて、ようやくパルミロとは気さくに話すようになったのだ。

 それ以降は他の団員とも打ち解けられるように気を遣っていたが上手くいかず、その矢先に魔力を失って辞めることになったため、見守ることしかできずやきもきしていた。
 
 そんな折、フレイヤがシルヴェリオを変えてくれた。フレイヤは無意識のうちにシルヴェリオの背中を押して、変わるきっかけを与えてくれたのだ。
 
「これからもシルに良い変化が起こってくれるといいのだが……」
 
 しかし世の中は思うようにはいかない。シルヴェリオはこれからも自身の出自や貴族の身分で苦しむだろう。
 その困難の中でも幸せを掴んでほしいと願う。
 
 シルヴェリオのために女神様に祈りを捧げていたパルミロだが、フラウラから『オーブンの中の肉がいい具合に焼けているわ! 早く取り出さないと焦げるわよ!』と知らされて、慌てて料理に戻るのだった。 
 
     ***
 
 それから十分も経たない間に扉が開き、扉に取り付けられている鈴がカランと鳴った。
 フレイヤとシルヴェリオとオルフェンとレンゾ、そして工房で働く妖精たちが店の中に来たのだ。

 フレイヤがレンゾに祝賀会のお誘いをしていたところ、近くにいた妖精たちが興味を持ってついて来たのだ。
 
 ちょうどサラダの盛り付けを終えたパルミロは、満面の笑みでフレイヤたちを迎える。
 
「みんな、いらっしゃい。そしてフレイちゃん、優勝おめでとう!」
「ありがとうございます、パルミロさん!」

 フレイヤは心から嬉しそうに笑った。

 それから全員が席に着くと、各々が注文した飲み物が配られる。
 フレイヤとフラウラは果実水、シルヴェリオとオルフェンとレンゾとパルミロとはエールが入った盃を手にした。工房の妖精たちも、各々が用意した小さな盃にエールを入れてもらって掲げている。

 パルミロはニヤリと笑みを浮かべると、肘でシルヴェリオの小脇を突く。
  
「シルヴェリオ、乾杯の掛け声はお前がするんだろう?」
「……ああ」

 シルヴェリオはやや気乗りしない様子で返事をした。
 魔導士団でもそうだが、シルヴェリオは宴の席での掛け声が苦手なのだ。

 シルヴェリオは仏頂面のまま盃を掲げる。
 
「フレイさん、優勝おめでとう。そしてレンゾさんと妖精たち、いつもコルティノーヴィス香水工房のために尽力してくれて感謝する。今宵はコルティノーヴィス香水工房の更なる発展に向けて――」
「シル、相変わらず堅苦しいぞ。フレイちゃん、優勝おめでとう。そしてレンゾさんと妖精たち、いつもありがとうでいいんだよ。真面目なお前なら、それだけで気持ちが伝わるはずだ」

 パルミロが突っ込みを入れると、フレイヤとレンゾとオルフェンが声を上げて笑った。
 
「シルヴェリオ様、ありがとうございます。コルティノーヴィス香水工房をエイレーネ王国で一番の香水工房にするために尽力します!」
「工房長、俺のような作業員にまで労いの言葉をかけてくださってありがとうございます。俺、工房長に一生ついて行きます!」
 
 フレイヤとレンゾが心から嬉しそうに口にする感謝の言葉に、シルヴェリオは胸がくすぐったくなるような心地がした。今までに経験した事のない感情に困惑もあり、眉尻が下がってしまう。
 
『も~、乾杯までが長いよ。飲んでしまっていい?』

 オルフェンはそう言うと、シルヴェリオの返事を待たずにエールを飲んでしまう。

 フレイヤが慌ててオルフェンに注意して、そしてようやく全員で乾杯した。

「フレイちゃん、建国祭までは香水の生産で忙しくて大変だろうから、建国祭では存分に遊んでおいで」
 
 パルミロがフレイヤにそう提案すると、フレイヤは嬉しそうに頷く。
 
「はい、初めての建国祭を楽しんできます!」
『……初めて? フレイヤは王都に住むようになって四年目なんだよね? なぜ初めてなの?』

 オルフェンの問いに、フレイヤはほろ苦い表情になった。

「今までは建国祭の日も働いていたから、建国祭を見に行ったことがないの」

 同僚の中にはその日に休みをとれる者もいたが、アベラルドに目をつけられていたフレイヤは休めなかったのだ。

「でも、今年はシルヴェリオ様がお休みにしてくださったから建国祭に行けるよ。オルフェンも一緒に行こうね?」
『うん、僕も行きたい。カリオから建国祭について聞いていたから気になっていたんだよね』
「カルディナーレ香水工房にいた頃の同僚の話によると、夜にはダンスが始まって、みんなで踊るんだって。楽しそうだね」

 建国祭中、平民たちの間では、夜に王都の中心部にある広場で音楽に合わせて男女がペアになってダンスを踊る催しがある。
 大半の参加者は恋人や好いている相手を誘ってダンスをするのだが、フレイヤはそのことを知らないようだ。

 二人の会話を聞いていたパルミロは、地方から来たフレイヤのためにも教えてあげた方がいいだろうか、それとも楽しそうにしているフレイヤに水を差すようなことを言うべきではないだろうかと悩む。
 さらには、フレイヤとオルフェンが楽しそうに建国祭の予定を話している様子をシルヴェリオはどことなく寂しそうに眺めていることも気になる。

 シルヴェリオのことだから、本当は自分もフレイヤと一緒に踊りたくても、自分の身分の事を考えて誘えないだろう。
 
 すると、パルミロと同じく二人の会話を聞いていたレンゾが口を開いた。

「工房長もフレイヤさんたちと一緒に建国祭を見て回って、最後に踊って来たらどうですか? フレイヤさんは初めての建国祭で慣れないことが多いかもしれませんし、それに今回の競技会コンテストでさらに有名人になったのですから、フレイさんを狙って近寄って来る者がいるかもしれません。工房長がそばにいたほうが、そのような者たちへの牽制になっていいと思います」
 
 パルミロは弾かれたように顔を動かし、レンゾを見た。
 レンゾもまたパルミロを見ると、口元に微笑みを浮かべて頷く。

 共犯めいた表情を見たパルミロは確信した。
 おそらくレンゾは、シルヴェリオがフレイヤと一緒に建国祭に行けるよう仕向けているのだと。

 パルミロはレンゾに頷き返すと、シルヴェリオの肩を叩く。 

「ああ、レンゾさんの言う通りだ。シルは工房長としてフレイちゃんを護衛しろ! それにシルはいつも式典に出た後は王立図書館で本を読んでいただろ? たまには祭りを見たらどうだ?」
「たしかに、フレイさんを引き抜きこうとする工房経営者や、フレイさんを囲おうとする貴族が現れるだろうな……フレイさん、俺も一緒に行ってもいいだろうか?」 

「シルヴェリオ様がよろしければ、ぜひ……ですが、貴重なお時間を私の護衛に費やしていただくなんて申し訳なくて……」 
「いや、パルミロが言う通り、いつも王立図書館に引きこもっていたから気にしないでくれ。たまには気晴らしが必要だと団長に言われていたから、ちょうどいい機会だ」 
「それでは、当日よろしくお願いします!」
 
 そうして無事にシルヴェリオも追加で参加することとなった。
 話しが上手くまとまり、パルミロとレンゾは胸を撫でおろした。

 その後、パルミロは頃合いを見計らってベルベットケーキを氷棚から取り出してフレイヤの目の前に置いた。
 パルミロが包丁で切り分けて現れた美しい赤色の断面に、フレイヤはハッと息を呑む。
 
 フレイヤはベルベットケーキの存在は知っていたが、実物を見るのは初めてだったらしい。感激のあまり言葉を失い、何度もシルヴェリオに礼を言った後、うっとりとした表情でその美しい断面を眺める。
 
 シルヴェリオはそんなフレイヤを、優しい眼差しで見守っていた。

     ***

 フレイヤとシルヴェリオとオルフェンが三人でケーキの話をし始めると、パルミロはレンゾに近寄り、声を潜めて彼に話しかける。

「レンゾさん、実に素晴らしい提案でしたね。思わず立ち上がって拍手したくなりました」
「恐縮です。パルミロさんの応援があってこそですよ。ありがとうございました。工房長への最後のひと押しになりましたね」

 レンゾもまた、シルヴェリオがフレイヤに向ける想いに気づいており、彼に協力的なようだ。
 パルミロは仲間の登場に歓喜した。
 
「建国祭で、二人の仲が縮まりますように」
「ええ、まずはフレイヤさんが工房長に振り向いてくれますように」
 
 パルミロとレンゾは頷き合うと、盃をカチリと合わせて乾杯し、女神様に願いの成就を祈りつつエールを飲み干した。

第二章 結
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