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第二章 妃選び
26.妖精の雫
しおりを挟む空は昨日の夜から灰色の分厚い雲で覆われていたが、今朝からぽつぽつと少し大粒の雨がその雲からこぼれはじめていた。今日の茶会の会場である、花よりも瑞々しい緑の多い庭園を見渡せるサンルームのガラスの天井を雨粒が滑り落ちていく。テーブルの上を彩る菓子や花、茶器はその空模様を気にすることなく華やかで、それは妃候補たちの今日の装いも同じだった。
あれが――
ミモザはちらりと、今日もミモザの前世と同じ顔をしているフィアレンセの髪に飾られた、透き通った水晶のような石を見た。照明はあっても陽の光には負けるこのサンルームで、その石は妙にきらめいて見える。アンナベルと目を合わせると、彼女は小さくうなずいた。
あれが、妖精の雫――。
***
「うーん……姿を変える宝石か……」
茶会の前日――いつものベンチで、ティンクも含めた三人でフィアレンセと彼女の髪飾りについて話していた。アンナベルが図書館で調べたことやマリエルに聞いたことを報告しに来てくれたのだ。妖精であるティンクに意見を求めたが、アンナベルが見た物語に出てきた妖精の宝物のことを彼女は知らなかった。
「わたしは普通にいろんな魔族がいる村の出身だし、そういうのはあんまり詳しくないのよね。そのフィアレンセっていう妖精は静かの森出身なんでしょう?」
「はい。そう聞いています」
「静かの森とか輝きの湖とか、妖精族が昔から暮らしている場所になら妖精族に伝わる宝物~みたいな物があってもおかしくはなさそうだけど。静かの森出身の妖精を探して聞いてみる方がいいかも」
三人とも残念なことに静かの森出身の妖精の知り合いはいなかったが、偶然にもその日の午後、ミモザは掃除係の手伝いをしに行った際に静かの森出身の妖精を見つけることができた。
王宮の来賓館と広間などがある棟をつなぐ廊下は吹き抜けになっている。ミモザはその天井付近の蜘蛛の巣の掃除の手伝いに来ていた。掃除係のリーダーが指示をしながら、身軽だったり宙に浮いたりできる者が上で蜘蛛の巣を取り、残りのメンバーは落ちてきた蜘蛛の巣の欠片やほこりなどを集めて捨てる。
ミモザも同期のノンナと一緒に床に落ちたゴミをほうきを使って掃除していた。ノンナの話だと季節のせいなのかあちこちに蜘蛛の巣が増えていて掃除が大変なのだという。この回廊も灯りをつけなければ目立たないので後回しにしていたが、いい加減そうも言っていられなくなったので今回できる限り人数を集めて掃除することになったのだと。ミモザは午後から手伝いに来たが、午前中から一日がかりで作業をしているらしい。
掃除をしながらノンナに静かの森出身の妖精を知らないかたずねると、偶然近くにいた掃除係の先輩がそうだと声をかけてくれたのだ。
ミモザは昼に聞いたアンナベルの話を思い出しながら、自分の姿をぼんやりさせるか姿を変えるかするような効果のある、水晶のような透明な石が静かの森にはないかたずねた。
「姿を意識させないのは、幻術のような気もするけど……」
自分の姿を相手に認識させなかったり、記憶に残りにくくしたりするのは妖精の幻術でもよく行われる。いくつかのおとぎ話にあるように、人間が妖精に惑わされて森に迷い込み、無事に帰路につけても森でのことを忘れているように。
「たぶん、“妖精の雫”じゃない?」
「“妖精の雫”?」ミモザが聞き返すと、掃除係の先輩はうなずいた。
「姿を変える石っていうわけじゃないんだけど――本にも載っている透明な石で、不思議な力がある妖精の宝って、他に思いつかないし」
「どういうものなんですか?」
「願いを叶える系の石? 恋のおまじないとかに使われるんだけど、正直眉唾ものだよ。でも子どもの頃は憧れていて、作れないか試してみたなぁ」
「作れるんですか!?」
ミモザは驚いて目を丸くした。「作れるかは別にしてね」と先輩は言った。
「作り方が静かの森に伝わってるの。あの辺りだと有名だよ。特定の花についた朝露に、その日一番最初の陽の光と妖精の翅の鱗粉だけを混ぜて作るんだけど……だけっていうのがまず無理なんだよね」
そもそも“その日一番最初の陽の光”という基準がよくわからないのだという。
「じゃあ、実物はないんですか?」
「うーん、ひいおばあちゃんが持っていたみたいな話ならあるけど」
「そうなんですね」
「まあ、あっても問題になりそうだけど」
「問題?」
一緒に話を聞いていたノンナがたずねた。
「さっき言った作り方で完成じゃなくて、願いごとにぴったりの魔力を混ぜなきゃいけないらしいの。たとえば――脚が早くなりたかったら魔獣族の魔力とか。妖精って基本的に魔力が少ないからなおさら他の魔族から魔力を、言い方悪いけど奪わないといけないと思うんだよね。それって絶対に問題になるじゃない?」
「奪うって――どうやって?」
ふと脳裏に、“白い庭”の出入口で消えてしまった蝶が過った。
「ごめん、そこまでは知らないや――」
先輩は眉を下げた。
「……ぴったりの魔力があれば、全く別の姿に変わることもできるんですか?」
「たぶんね。でも、普通しないと思うけど――実際に姿が変わるわけじゃないけど、幻術で見せかけだけはいくらでもどうにかなるし。わたしは幻術で充分だと思うなぁ」
フィアレンセはそう思わなかったのかもしれない。
アンナベルが言っていた、本に載っていた妖精の宝とフィアレンセの髪飾りが似ているのは偶然だとは思えない。もしミモザやアンナベルが彼女の姿をよく覚えていないのが幻術のせいだとしても、その後の、ミモザの前世の姿に見えたのはきっと――。
掃除係の先輩はそれ以上は何も知らなかった。
***
こうしてフィアレンセの姿がミモザの前世の姿――ガーディアと最初に出会った時の姿になっているのが“妖精の雫”の力で、あの髪飾りがそうだとして、どうすれば彼女を本来の姿に戻すことができるのだろうか? それにあの日見た蝶――もしミモザの勘が正しければ、願いを叶えるのにガーディアの魔力が使われている気がする。もしそうだとしたら、あの妖精の宝の力を打ち砕くことは難しいのでは?
ガーディアより強い魔力を持つ魔族は、少なくとも今現在このザルガンドにはいないだろう。
ミモザはそっと視線を伏せた。あまりフィアレンセの姿を視界には入れたくなかった。前世の姿で今のミモザとは似ても似つかぬ姿とはいえ、感覚としては自分と全く同じ顔が目の前にあるような気がして正直気分がいいものではない。それに、
感じた気配にミモザは顔を上げた。同時に、その場にいた妃候補たちがアンナベルを除いて一斉にざわめいた。振り返ると、シトロンが眉間にぐっとしわを寄せ、どこか不満そうにサンルームの入口近くに立っていた――これは別におかしなことではない。彼はいつも妃選びの集まりのたび、はじまる前かはじまってから十五分ほどたつまでの間に一度は顔を出す。そして形式的にガーディアの欠席を伝えるのだ。
他の妃候補は、きっと今日もそうだろうと思っていたのだろう。
「陛下……」
そう思わず声を漏らしたのは、ロスソニエルだろうか?
まさかガーディアが姿を見せるなんて、一体誰が予想できただろう? ミモザとアンナベルも昨晩シトロンから聞かされていなければ、きっと同じような反応をしていただろう。
***
掃除が終わる頃には、空を厚い灰色の雲が覆っていた。今晩は雨になりそうだ。宰相府の中に天文部という天気や災害を調べる部署があり毎朝一日の天気が発表されるのだが、ほとんど外れたことがなかった。
明日は妃選びがあるので夕食の片づけは早めに上がらせてもらい、ミモザは明日の茶会で着るものを確認するために妃選び用の衣装などを置いている王宮の一室へ足を運んだ。スティナが忙しかったので、ティンクが代わりを買って出た。ちょうどいいとアンナベルも呼び、昼間に聞いた“妖精の雫”のことを二人にも報告することにした。
「“妖精の雫”かぁ」
鮮やかなブルーのドレスを出しながらティンクは「そんなものがあるのね」と少し首をかしげながら言った。
ドレスは少しずつ気温が上がってきた季節にぴったりのさらりとした生地で、スカートの丈は足首まで。首元から袖はレースで覆われている。前よりも伸びてきた角は厚めの生地でできたヘアバンドで隠す予定だ。
「でも願いが叶う宝石なら、妃選びで自分が選ばれたいと願えばいいのではないでしょうか?」
「たしかに」
「妃になりたいわけじゃないとか……?」
「でもフィアレンセさんは立候補されたわけですし……」
「そうだよね」
それにわざわざミモザの前世の姿になる必要はないのだ。それとも願いが叶うと言っても何でも叶うわけではないのだろうか?
いや、そもそもどうしてあの姿だったのだろう――願いが叶う“妖精の雫”だったとして、何をどう願ってあの姿になったのだろうか……? “白い庭”でフィアレンセに会った直前に見かけた蝶がまた脳裏をふわりと舞っていき、ミモザはかすかに表情を曇らせた。
「あの、ミモザ」
アンナベルが遠慮がちに声をかけたのにミモザは顔を上げた。
「そもそもどうしてミモザは、フィアレンセさんの姿が違うと思ったんですか? わたしもですが、フィアレンセさんがどんな顔なのかあいまいなのに……。その……気を悪くさせてしまったらごめんなさい」
「ううん、大丈夫」
アンナベルの疑問はもっともだ。印象に残っていない相手の顔が違うのだと言い切れる方がおかしな話だった。
それでも紫色の瞳を伏せ、ミモザはためらった。ティンクとアンナベルになら話もいいとは思う。二人なら秘密にしてくれると信じられるから。しかし口にするにはのどの奥に何かが引っかかったような感覚がついて回った。
沈黙を破ったのは、控えめなノックの音だった。いないフリをするわけにもいかず「どうぞ」と答えると扉を開けたのはシトロンだった。彼はティンクとアンナベルの姿に一瞬気まずそうな顔をしたが、すぐに淡々と誰かがいる気配がしたから様子を見に来たのだと告げた。
「ちょうどミモザに話があって――話し中だったなら出直してきます」
「待って」
とっさにミモザはシトロンを呼び止めた。彼が来たことで、のどの奥に引っかかったものが取れたような気がした。
「話し中だったけど、関係のあることだから……ここにいて欲しいの」
そう言ったミモザの話し方も声音も親し気で、ティンクやアンナベルはもちろんのこと誰かがいる前でそんな風に話しかけられると思わなかったシトロンも驚いた。
「わたしがフィアレンセの顔が違うと思ったのは」
アンナベルとティンクを、紫色の瞳が真っ直ぐに見つめた。
「その顔に、見覚えがあったから」
アンナベルはハッとした。まさか……。
「彼女はわたしの――前世の姿になっていたの」
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